03.齟齬と矛盾と
ふとした気配に
すると、丁度アーシュがあくびをしながら大きく伸びをしている姿が目に入った。どうやら、俺よりも先に仮眠を終えていたらしい。
アーシュは俺が目を覚ました事に気付くと、あくび顔を見られたのが恥ずかしかったのか、ほんの少しだけ赤面しながら「よく眠れた?」と尋ねてきた。
「……ぼちぼち、な。アーシュこそ、よく眠れたのか?」
危険な旅暮らしの多かった俺は、自然と短時間で効率的に睡眠をとる体質が身に付いている。だが、冒険はおろか旅すらろくにした事のないアーシュには、そういった芸当は難しいのではないかと思い、逆に尋ね返した。
しかしアーシュは静かに首を振り、「研究に没頭して何日も寝ない事はざらだったから慣れっこよ」と、元気な笑顔を返してくれた。
顔に強く表れた疲労の色から、それがある種の強がりである事は察せられた。が、俺は「そうか」とだけ答えると、ゆっくりと立ち上がり周囲の様子を確認した。
――スライムの群れを倒した後、程なくして上層へと向かった俺達を待っていたのは、今までとは様相を異にする迷宮の姿だった。
壁も、床も、天井も、どこもかしこもひび割れあるいは崩れ落ち、迷宮は「崩壊」という言葉を体現した姿を見せていた。下層のように、一部が酷く崩れているというわけではなく、地震や爆発によって破壊されたような、文字通りの無秩序な「崩壊」振りだった。
下層における「崩壊」は迷宮の構造変化に伴う意図的なものだったようだが、こちらは正真正銘、ただ壊れている状態に見えた。
もしかすると、構造が変化するようになっているのは迷宮の下層の方だけで、上層はその振動を受けて崩壊が進むようになっていたのかもしれない。
この無秩序な崩壊が意味するもの、それは出口まで辿り着けないかもしれない可能性が高くなったという事だった。
下層の様子から、俺達は迷宮の構造変化は全てヴァルドネルが意図した意味ある崩壊だと考えていた。必ず出口にたどり着く道筋があるものなのだ、と。
だが、俺達の前に広がる文字通り崩壊した迷宮の姿からは、そういった希望的観測は得られそうにない。この先に道などなく、俺達はそろって生き埋めにされている――そんな最悪の状況である可能性の方が、高くすらある。
だが、ほんの少しだけではあるが、確かな希望もあった。俺達はこの階層に見覚えがあったのだ。
所々通路が瓦礫によって塞がれているが、それでも元々の構造を読み取る事くらいは出来る。そう考え、この階層を調べていくと、どうやらここは第三層なのではないかという結論に達した。
つまり、脱出用の魔法陣があるはずの第一層までは、あと少しなのだ。
思いの外に上層部へと辿り着いていた事を知った俺達は、不眠不休の行軍を一旦止め、仮眠をとる事にした。
往路では、第一層から第三層に辿り着くまでおおよそ一日ほどの時間を要した。そこには、遺跡探索に慣れていない面々の教育の為の時間やら、罠や魔法装置、巣食う魔物の傾向の調査などに要した時間も含まれている。なので、正解のルートが分かっている状態ならば、ざっとの計算だが半日弱で抜けられる程度の行程だ。
つまり、最短ならあと半日程度で、俺達はこの崩壊した迷宮を脱出できることになる。
……もちろん、それはあくまで最短での話だ。実際には、どこかの通路が瓦礫によって塞がってしまっているかもしれないし、往路よりも魔物の数が増えているかもしれない。
いや、むしろそちらの可能性の方が高い。瓦礫の除去や回り道、魔物との戦いに要するであろう時間は未知数だ。そういった意味では今までと状況は変わらない。
だが、少なくとも目的地までどの程度の
多少荒っぽい手段を使ってでも――それこそアーシュの魔力を使い切ってでも、瓦礫の山と魔物を蹴散らしていくしか無い。仮眠をとって、気力と体力を整える必要があったのだ。
俺達がここで仮眠をとった理由はもう一つあった。この階層には、体を休めるのにおあつらえ向きの小部屋があり、それが崩壊を免れているのを発見したのだ。
元々は侵入者を閉じ込める為の罠の一つだったその小部屋は、俺の細工とアーシュの魔法により罠が無力化され、逆に強固な壁と扉に守られた空間となっていた。往路ではここをベースキャンプとして、第三層付近の探索を進めてもいた。
当然、リサ達もここの存在は知っている。
運が良ければここ合流できるかもしれないと思っていたが、未だリサ達がやってくる気配はなかった。
扉の方に目を向けると、ドナールが扉にもたれかかるようにして、いまだ寝息を立てている姿が目に入った。一応、扉にはアーシュの「
扉にもたれかかっていれば異常にすぐ気付くという理屈だが、俺達三人の中で一番傷を負っているのは、他ならぬドナールだ。彼にそういった役回りをさせるのは、やや後ろめたいものがあった。
「――ドナール卿には、もう少し寝ておいてもらおう。下手をすれば、これから体力が許すまで瓦礫撤去を続けなきゃいけない。卿の腕力が頼みの綱になるかもしれない」
「……よく寝てるわね。やっぱり無理していたのね」
寝息を立てるドナールを見つめるアーシュの瞳には、強い心配の色が浮かんでいた。
ドナールの身体のあちこちにある酷い打撲や
「グンドルフ司祭がいれば、こんな傷なんて事ないのにね。もう少し簡単に合流できるものだと思っていたけれど……陰口叩いちゃった罰かしら? 三人とも無事だと良いけれど……」
「なぁに、リサはああ見えてしぶとい
そう答えかけて、俺はアーシュの言葉に強い違和感を覚えていた。今、彼女はなんと言った?
……「三人」だって?
「アーシュ、三人ってのは……?」
「え? ああ……ごめんなさい、言葉が悪かったわ。アイン様も含めて四人、と言うべきだったわね」
「いや、そうじゃなくて……あれ……?」
何かが、おかしい。
アーシュは今、「アインも含めて四人」と言った。ならば先程の「三人」というのはリサとグンドルフとダリルという事になる。「三人とも無事なら良い」という言い回しには、その三人が共に行動しているというニュアンスが含まれている。
だが、リサと瓦礫越しに会話した時、彼女はグンドルフと二人だと言っていなかっただろうか? アインとダリルの身を案じていなかっただろうか――?
「――ホワイト君? どうしたの、顔色が悪いわよ?」
「……いや。大丈夫、だ。どうも、まだちゃんと目が覚めてなかったらしい」
――そう、俺はもしかしたらまだ寝ぼけているのかもしれない。
確かに、俺の中には「リサとグンドルフは二人だけだった」という記憶がある。だが同時に、おぼろげながら瓦礫越しにダリルと会話した記憶も残っているのだ。
実にぼんやりとした記憶だが、「リサお嬢ちゃんのエスコートは任せな!」等といった軽口を聞いた覚えがある。この記憶の矛盾は一体何なのだろう?
アーシュも、本人は気付いていないようだが少々言っている事がおかしい。
「グンドルフの陰口を叩いた」と彼女は言った。それは恐らく、グンドルフが男女問わず若い子が大好物だからリサの身が少し心配だ、といった話だったはずだ。
だが、それはリサがグンドルフと二人きりだったからこそ出て来る心配だ。言動は軽いが実は義理堅いダリルが一緒ならば、そもそもそんな心配はしないはずだ。
あまりにも不可解なその記憶の齟齬が、一体何を表しているのか。
その答えは、ほんの少しだけ未来で俺を待ち構えていた。深い悲しみと共に――。
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