最終話「遙かなる旅立ち」

01.後悔

「――ホワイト君? どうしたの、ぼうっとして?」


 ……アーシュの呼びかけに、ふと我に返る。

 どうやら知らない内に、ぼうっとしてしまっていたらしい。


 いくらアーシュも一緒に警戒してくれているとは言え、気を抜くなんてどうかしていた。何せ、。罠や魔物への警戒を怠っては、命とりになる。


 俺達が新たに辿り着いた階層は、かなり崩壊が進んでいた。

 だが、無事な部分の構造から察するに、どうやらここは第三層らしい。俺達は思いの外、上層へと辿り着いていたようだ。


 しかも、この階層には確か、小休止するのにおあつらえ向きな小部屋があったはずだった。

 もしその小部屋が崩壊を免れているなら、一旦そこで仮眠をとった方が良い――俺達はそう結論付けて、その小部屋へと向かっている所なのだ。


 不眠不休での行軍が続いた為に、俺達は疲労の極致にあった。

 俺もアーシュも、殿しんがりのドナールも、もはや無駄口を叩く余裕もない。ただただ黙々と歩き続けていた。

 疲労に加え、罠や魔物への警戒で気を張っているので、互いに気遣う余裕もない。自分の役割を果たすので精一杯の状態――だというのに、俺は何か、おもむろに殿のドナールへと目を向けた。

 果たして、そこにあったのは――。


「ドナール卿……? どうか、しましたか?」


 思わず、そんな言葉が出てしまった。

 俺の言動を怪訝に思い、アーシュもドナールの様子を窺うべく後ろを向くと……やはり「ドナール様!?」と驚愕の声を上げていた。


 ――ドナールは、なんと言い表せばいいのだろうか、深い苦悩に満ちたような、思いつめたような、何とも辛そうな表情を浮かべていた。まだ短い付き合いだが、彼のこんな表情は初めて見る。

 しかも、声をかけてからしばらくの間、ドナールは俺達が呼びかけている事に全く気付いていなかった。ややあって、ようやく俺とアーシュが心配そうな表情で眺めている事に気付いた位だ。


「……いや、なんでも……なんでもないんだ。ちょっと、傷が痛んでね……」


 そう答えつつ、ぎこちない笑顔を見せたドナールだったが、嘘を吐いているのは明らかだった。

 傷が痛むというのは本当の事なのだろうが、先程の表情は傷の痛みに耐えるそれではなく――心の痛みに耐えるような表情だ。


「……ドナール卿。もし何か心配事があるのなら、俺達にきちんと話してください」

「そうよ、ドナール様。貴方の責任感の強さはよ~く知っていますが、人一倍抱え込みやすい事も知っています。……私も、もう貴方に守られるだけの子供ではないのですから……。助けが必要な時は、どうか頼ってください」


 ドナールは、まさに「騎士のかがみ」といった男だ。人一倍責任感が強く、高潔。そして誰より仲間想いだった。

 だが、その事で自分自身の問題については後回しにしてしまい、周囲に助けを求めず一人で抱え込んでしまう事も多いように見えた。

 まだ付き合いの短い俺でさえ、そんな印象を抱いているのだ。付き合いの長いアーシュについては言わずもがなだろう。


「……すまない。そうだな……我々は仲間なのだった、な。頼るべき時は、きちんと頼らせてもらおう。……約束する」


 俺達二人に詰め寄られたドナールは、心底困ったような表情を浮かべていたが……やがて破顔一笑し、そんな言葉を返してくれた。

 俺が今までに見たドナールの表情の中で、最も晴れやかな笑顔だった――。


 そしてその笑顔を見て、俺は気付いてしまった。

 これは……、と。


 俺は……俺とアーシュは、ドナールの苦悩に気付いてあげられなかったのだ。

 俺達はひたすら前を向き続け、後ろを振り返る事を――常に殿から俺達を見守っていたドナールの表情を窺う事を、殆どしなかった。

 だから、彼の最期の表情は、優しげだがもっと悲壮で――。

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