03.魔導師ヴァルドネル

 そこは、地下とは思えぬ高い天井を持った広間だった。


 門扉もかなりの高さがあったが、室内はそれ以上だ。「玉座の間」でも気取っているのか、中央には赤い絨毯が敷かれ奥へと続いている。

 その向かう先――広間の最奥にはいた。


 豪奢な装飾の施された「玉座」。そこに腰掛ける漆黒のローブを纏った人物。

 フードを目深にかぶっている為その顔形は分からなかったが、仲間達の誰もが確信していた。「奴こそがヴァルドネル」だと。

 その身に纏った禍々しい魔力が、その事を如実に表していた。


 警戒しつつ歩を進める。

 広間の中にはヴァルドネル以外の気配は感じられないが、罠と言う可能性もある。

 奇襲に警戒しつつ奴との間合いを詰めていき、そのままあと二十歩の距離まで近づいたところで、アインが名乗りを上げた。


「我が名はアイン! アイン・フェリア! 魔導師ヴァルドネル殿とお見受けするが、如何いかがか?」


 朗々と歌うようなアインの声が広間に響くと、フードの人物が静かに立ち上がり、おもむろに拍手し始めた。

 そして――。


「――見事。よくぞここまで辿り着いた。この一年余り、数多の戦士達が我が『迷宮』に挑戦したようだが……踏破して見せたのは諸君らが初めてだ。……如何にも、私がヴァルドネルだ」


 低くしわがれているが不思議とよく通る声で、奴――ヴァルドネルが答える。

 そして静かに、足音も立てずこちらへと歩み寄ってくる。仲間達に動揺と警戒心が広がるが、アインはそれを手で制し、ヴァルドネルに問いかけた。


「……日々、地上に現れる魔物の群れ――あれは貴公の仕業か?」

「如何にも、彼の魔物達は我が僕である」

「何故、人里を襲わせる!?」


 ――アインのその問いは、アルカマックの人々の想いを代弁したものだった。

 何故、アルカマックの人々は、ヴァルドネル配下の魔物に襲われなければならなかったのか?

 初代国王に封印された事への復讐なのか? それとも、「邪悪な魔導師」という伝承通り、悪虐そのものを楽しんでいるのか?


 だが、ヴァルドネルの答えはそのどちらでもなかった。


「――である」

「……なんだと? どういう事だ?」

「言葉通りの意味だ、強き者よ。

 この現世の、なんとみすぼらしい事よ! 城も、人も、魔法も、私が生を受けた魔導王国期とは比べ物にならない程の脆弱さ! かつて大海を支配し、天駆ける船をも操り、いずれは星の海をも渡るとされた人類の叡智えいちは今や見る影もない!

 全ては我が故国、魔導王国が滅びた故。……強き者よ。何故、我が故国は滅びたと思う?」


 逆に問いかけてくるヴァルドネルに面食らいつつも、アインは少しだけ何やら考えてから、静かに答えを口にした。


「俺は歴史学者ではないから詳しくは分からないが……魔導王国はその平和が長く続き過ぎた故に滅んだ、と何かの文献で読んだ覚えがある。大陸だけではなく、この大地と海の全てを治め、魔物達を駆逐し、外敵も内乱も無くなった。

 だが、そこが王国の発展の頂点であった、と。自分達を脅かすものが無くなった魔導王国は、その発展を止めてしまったのだと」

「――正解だ、強き者よ。我が故国は、歩みを止めてしまった。ゆっくりと長い年月をかけて次第に腐っていったのだ。そしてその腐敗が取り返しのつかない所まで達してしまった時、これ以上愚かな支配者には従えぬと立ち上がったのが……今、この大陸を支配する数多の王国の始祖達なのだ」


 その話は俺も聞いた事があった。

 現在、大陸に存在する数々の王国。その王族達は元をただせば古代王国――ヴァルドネルの言う「魔導王国」の下級貴族達だったという。

 だが、その話が今回の件と何か関係あるのだろうか?


「――魔導師ヴァルドネルよ、我々は貴公に歴史の講釈を受けに来た訳ではない。その事と貴公が『試練』と称して魔物達に人々を襲わせる事に、何の関係があるのか?」


 どうやらアインも同じ事を思ったらしい。

 他の仲間達の様子を窺うと、リサはちんぷんかんぷんといった風に首を傾げている。その他の面々も神妙な面持ちではあるが、予想外に饒舌なヴァルドネルの様子に戸惑っているようだった。

 唯一、アーシュだけが興味津々と言った様子で目を爛々と輝かせているが……彼女の事は放っておこう。


「逆に問おう強き者よ。汝は今の世の繁栄が、魔導王国のそれに匹敵するものだと思うか? ……思わぬであろう? 数々の魔導の技は失われ、統一されていた大陸はいくつもの王国に分断され、血で血を洗う争いを続けている――しかも、人間同士で、だ。

 それは何故か……? 答えは明白である。魔導王国建国前と後とでは、決定的に異なる事がある! それが何か分かるかな? 強き者よ」


 再びのヴァルドネルの問いに、アインは律儀に何やら考え込み、やがて顔を上げると少し自信なさげに答えを口にした。


「――それは、もしかしての存在、か?」

「その通りだ、強き者よ」


 どうやらアインの答えは合っていたようだ。

 ……俺もかじった程度だが聞いたことがある。そもそも古代王国と言う統一国家が成立したのは、古代の人々が人間以上の勢力を持った魔物達と戦う為に、部族の枠を超えて一致団結する必要があったからだという。


 「魔物」ってのは、人間や妖精エルフの天敵。暗黒神が生み出した邪妖精や魔獣、魔法で生み出された魔法生物や合成生物キメラ、はたまた異界から召喚された悪鬼なんかの総称だ。

 古代王国の人間達は力を合わせ、その魔物達を滅ぼし、封印し、あるいは魔法で隷属させて、その勢力を大幅に減らす事に成功したらしい。


「魔物と言う天敵を失った人間達は、再び人間同士で争うようになった。魔導王国は内外に敵が無くなった為に滅びたが、現在の諸王国はその逆だ。いずれ国同士の戦いがお互いを疲弊させ、人間の文明そのものを死へと追いやるだろう。

 ――故に、私は封じていた魔物達を解放する事を決めたのだ。人間の真の敵がどこにあるのかを知らしめる為に!」


 ヴァルドネルの言葉は次第に熱を帯び、演説じみてきた。

 ――言っている事は無茶苦茶だが。


「そんな事の為に……? だが、現状では貴公のやっている事はアルカマックの平和を乱す結果にしかなっていないぞ、ヴァルドネルよ! この『地下迷宮』から溢れ出る魔物程度では大陸の脅威とはなるまい。随分と壮大な事を考えているようだが、実が伴っていないように見えるが?」

「無論だ、強き者よ。このアルカマック王国での事は、ただの前哨戦でしかない。汝らは『地下迷宮』が?」

「――なんだと?」


 ヴァルドネルとアインの問答が長く続いていた為に、傍で聞いていた俺達にはどこか弛緩した空気が漂っていた。だが、それが一気に吹き飛んだ。

 今、ヴァルドネルは何と言った? 「地下迷宮」が一つじゃないと言ったのか?

 それは、つまり――。


「私以外が築いた物も含め、この大陸にはまだ無数の『地下迷宮』が現存している。その用途や目的は様々であったが、どの迷宮にも共通するものがある――それは、いずれの迷宮にも強力な魔物達が数多く封印されているという事だ。

 『地下迷宮』は時に修練場であり時に宝物庫であり時に巨大な魔術儀式の祭壇であったが、その最たる役割は御しきれぬ魔物達を封印しておく事にあったのだ。それらの封印を、順次解き放つ。

 さすれば私が望む結果にも届こうぞ……」


 ――俺達の間に戦慄が走る。

 大陸に無数にあるという「地下迷宮」。もしそこから、一度に大量の魔物が復活し溢れ出したら……?


「貴公、そんな事をすれば――」

「死ぬであろうな、おびただしい数の人々が。

 だが、それによって人間は再び魔物と言う天敵を思い出す! 正しき指導者さえいれば、いずれまた統一王国を打ち建てるであろう。だが、それでまた魔物達を駆逐し尽くし、腐敗が始まってしまっては元も子もない。

 ――だから、私が『地下迷宮』の主として魔物達の王となる。我が魔導の技にて、彼らにも更なる強さと凶悪さを与え続けよう。そして、永劫の敵として人間の前に立ちはだかるのだ。永遠の繁栄の為に!」


 ――まるっきり狂人の理論だった。

 人間が反映し続ける為に、人間の敵となる魔物達を強くし続けようだって? 本末転倒もいい所じゃないか。


 再び仲間達の様子を窺うと、アーシュも含めて皆ヴァルドネルのに眉をひそめていた。

 当初は理知的で話も通じそうな雰囲気だったが、とんでもない。こいつは完璧に狂っている。


「――ヴァルドネル。貴公が人間の繁栄を望む気持ちは分からなくもない。だが、永劫の戦いが、沢山の無辜むこの人々の死が前提の繁栄など、本末転倒! 何故、その叡智でもって血が流れる以外の道を模索できない? 戦いによってもたらされるのは繁栄だけではないぞ!」


 ヴァルドネルを糾弾するかのように、アインは収めていた剣を抜き、その切っ先をヴァルドネルに向けた。「これ以上お前の妄言には付き合わない」という、明確な敵意と共に。


「騎士として災いの種は見過ごせぬ……犠牲になるのがたとえ他国の民草であったとしても、我が騎士の誇りがそれを許さぬ!」


 ドナールも大盾を構え直しアインの横につく。


「ホッホッホ。魔物達の王――魔王となろうなど、まさに神をも恐れぬ所業……拙僧が邪気を祓ってしんぜよう」


 グンドルフも祈りの言葉を唱えながら、二人の後ろに立ち臨戦態勢に入る。


「傭兵ってのは戦ってナンボなんだが……。それでもなあ、戦いが好きって訳じゃないんだぜ?」


 ダリルも大太刀を抜き放ちアインの横に並ぶ。

 戦いを生業とする傭兵のダリルだが、その裏で戦災孤児達を集めた施設に多額の寄付をしているのだという。その心の内までは分からないが、死をまき散らそうというヴァルドネルの言動に静かな怒りを燃やしているようだった。


「偉大なる魔導師ヴァルドネル様……貴方のお話は非常に興味深いのですが、平時に研究室へこもってこそ辿り着ける真理もございます。失われた魔導の技についてご教授願いたいところでしたが……残念です」


 「ヴァルドネルに会ったら魔術談義がしたい」等と、冗談交じりに語っていたアーシュだったが、流石の彼女でもヴァルドネルの思想は理解し難かったのだろう。魔法の杖を構え直し臨戦態勢に入る。


「あたしの故郷は、戦争の巻き添えでなんにも無くなっちゃった……。戦争を無くしたい、ずっとそう思って来た。あんたの言葉通りなら。確かに人間同士は戦争をしなくなる。けど、代わりに魔物と人間の戦争が始まるだけじゃない! そんなの、絶対に許さない!」


 リサが、小さな体に似合わぬ大きな声で叫んだ。

 幼い頃に故郷の森を戦火で焼かれ、全てを失った彼女の事だ。永遠に続く戦いなんてものは、とても認められないだろう。いつでも精霊達を召喚できるよう、精神統一を始めた。


 何やら盛り上がっている皆を尻目に、俺は特に口上が思いつかず無言のまま短剣を構える。

 だが、何も言わないというのも何だか格好がつかない気がしたので、一言だけ――。


「アイン、指示を。あいつは何だか気にくわない」


「――皆。倒すぞ、奴を!」


 仲間達の意志を受けて、アインが一歩踏み出す。

 ヴァルドネルはと言えば……何だか肩を震わしているように見える。フードのせいで表情は相変わらず見えないが、もしかすると笑っているのだろうか?

 七人分の敵意をその身に受けても、ひるむ様子は全く感じられなかった。


「良い……良いぞ! 真に良いぞ、強き者達よ! その強さに免じて、我が魔導の奥義でもってもてなして差し上げよう! さあ、全身全霊をもって挑むがよい!」


 歓喜に震えるヴァルドネルの体から、禍々しい魔力が吹き上がる。

 だが、誰一人としてひるむ者はいない。この「地下迷宮」を戦い抜いた仲間達は、今や強い絆と勇気で結ばれているのだ。


「行くぞ!」


 号令と共に、アインとドナール、ダリルの三人が突進する。

 グンドルフは護りの小奇跡ホーリープレイの詠唱を始め、アーシュはヴァルドネルの魔法を警戒し慎重に次の手を探っている。

 リサも状況に応じて適切な精霊を即座に召喚出来るよう、精神を集中し続けている。

 俺は前衛の三人を援護すべく、左手の手甲に仕込んだ小型弓を組み立て矢をつがえると、ヴァルドネルに狙いを定め発射のタイミングを計り始めた。


 遂に、俺達の最後の戦いが始まったのだ――。

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