第40話 接続点の苦悩
※舞台が地球のため、日本語で記載します。
スマートフォンを取り、電話帳アプリを起動して、英字の欄から彼の名をタップする。
そうして通話ボタンを押して数コール待てば、受話部の向こうから聞きなれた声が聞こえてくる。予想の通り、
「Buna ziua, este Hunt magazin situat in Brayham strada sunca.」
「ハイ、ジャック? 神保町のベン・アガターだ」
軽く英語も交えて言葉を投げれば、向こうはすぐに気が付いたらしい。米国人らしからぬ流暢な日本語に切り替え、言葉をかけてきた。
「おぉー、ベン、久しぶりだな。そうか、もう地球に切り替わったんだったか」
「ああ。だから今君の後ろに広がっているのはサンフランシスコのバレンシアストリートのはずだよ。ドルテ語を話す必要もない」
からからと笑いながら、そんな事実を告げるベンだ。
今は地球だ。マー大公国のフーグラー市もなく、首都はオールドカースル市でもない。勉とジャックは日本とアメリカに分かれていて、それぞれの店で電話を取っているはずなのだ。
そのことを向こうも理解したのだろう。ジャックが言葉を濁らせながら、困ったように舌を打つ。
「あぁなるほど、そうか、チクショウ」
「ジャック?」
憎らし気に言葉を吐く彼に、目を見開いて問いを投げると。ジャックは溜息を吐きながら、電話口でその事実を告げてきた。
「
「ああ、分かった。また後で」
矢継ぎ早に告げて、すぐさま電話を切ったジャック。それを咎めるでもなく、勉は力なく肩を落とした。
やはり、やはりだ。
「やはり、首都に繋がるハントストアは転移のケースが多いか……今のうちに皆にも連絡を入れないと」
呟きながら勉がメッセージアプリを立ち上げると、そこには既にいくつもの通知がポップアップしていた。
神奈川県川崎市幸区のブルックスカフェ店主の
埼玉県さいたま市大宮区の
大阪府大阪市中央区の大衆酒場マーチ店主の
同市淀川区のカフェフリーズ店主の
日本各地に点在する『接続点』の店主から、地球から何人転移した、ドルテから何人転移してきたと報告が上がってくる。
今回は地球側の切り替わり発生が地球側が土曜日の昼だったし、ドルテ側も
「まいったなぁ……今回はあっちもこっちも土曜日だったから。僕のところは
深々とため息をつき、肩を落としながら、勉は誰もいない店内で言葉を吐いた。
自分の店は古本屋だから、靖国通りに面しているとはいえ
幸運だと思いながら、此度の切り替わりで転移していき、戻ってこなかったあの女性の行く末を案じる。ここで地球の時間がどれほど過ぎるかによって、彼女の生活もまた変わってくるのだから。
そわそわと通路の外を見やる勉。その耳に、メッセージアプリの呼び出し音が聞こえてくる。
「もしもし?」
「あっ、
通話ボタンをスワイプし、受話器を耳に当てれば向こうから明るい男性の声が聞こえてきた。その声色には覚えがある。店名と名字で、すぐに思い至った。
「あー、ユウジさん! ティーレマンの。お久しぶりです。今回どうでした、そちらは」
「今回は地球からもドルテからも何人か行っちゃってますね、うちは……ランチのタイミングだったのでどうしても」
電話の向こうにいるのは、新宿歌舞伎町に本店を構える居酒屋「鳥牧」のオーナー、
雄二が苦々しい声色で返事を返してくるのを聞いて、勉も肩を落とすしかない。
「そうですよねぇ……ユウジさんところは新宿ですし、居酒屋ですし」
「はい……というか今もお客さんがちらほらと入ってきてて……ドルテ側の人に説明するのが大変で」
そう話す雄二の背後では、彼の雇用する店員がしきりに声を張っているのが聞こえる。今は十二時を少し回ったくらい。土曜日だからこそ、この時間に居酒屋をランチ目的で利用する客も多い。
だからこそ、だからこそだ。こういうタイミングで転移が起こると、飲食店が『接続点』になっていると巻き込まれる人が増える。
そのことは勉もよくよく分かっていた。分かっていたからこそ、頭を振る程度で済ませるのだ。
「了解です。うちの店は幸い、地球から一人行っただけで済みましたが……人数の多い少ないじゃないですからね」
「全くです。ハントさんのアプリが入ったスマートフォンが手元にあれば何とかなるんですが……生憎今は全部出ちゃってて」
勉の言葉を受けて雄二もため息をついた。
簡素なスマートフォンにジャックの作ったアラームアプリをインストールし、転移に巻き込まれた者に持たせるサポートは徐々に進められているが、台数にはどうしたって限りがある。スマートフォンだってタダではないのだ。
加えて、ある程度のサーバー管理の技術が要る。勉のような高齢者では、よくよくそういったサポートは出来ない。だから『彼女』にも案内はしなかったのだ。
「私もそういう形でサポートできればいいんだがなぁ……年のせいか、とんと、機械類には弱いもんで」
「ははは、安形さんは『接続点』の取りまとめ役の仕事がありますからしょうがないですよ。うちも若い子に機器管理は任せちゃってますし」
頭を掻きながら勉が零すと、それに笑みを返しながら雄二も言葉を吐いた。曰く、若い店員で機械類に明るい者に、サーバーの管理と保守を任せているのだそうで。
それはそれとしてだ。勉は話題を切り替え、必要な事柄を聞きにかかる。
「そうだねぇ、ひとまず、内訳を教えてください」
「はい。新宿からは男性三名、女性一名。ティーレマンからは
今回の新宿からの男性二名と女性一名は、今日の切り替わりで
雄二の述べた内訳に、ほっと胸を撫で下ろす。
一度の切り替わりで巻き込まれても、その直後の切り替わりで戻ってこられれば、元の世界には何の影響も及ぼさない。ただ『その店にいた』だけに留まる。
だから『接続点』の店主は、一度の切り替わりで元の世界に戻ったか、どの切り替わりで転移した者が今回で戻ったかなどを、『
雄二の告げた内容を手元の紙に書きとりながら、勉が口を動かしていく。
「了解しました、三人すぐに戻れたのはよかった。他の人も……一日二日で、また切り替わってくれるといいんですがねぇ」
「はい、皆さん気が気ではないでしょうから……ザイフリードは差別も激しいし。マーにいる皆さんが羨ましいですよ」
そう零しながら、電話の向こうで雄二がため息をつくのが聞こえる。
ザイフリード大公国はドルテの中でも人種差別が根強い地域だ。どうあがいても
歯がゆい。歯がゆいがこればかりは何をどうしようもない。
「こればかりはどうしてもね。根強い問題ですから……大公家の皆様も、いろいろと各国に働きかけてはいるけれど――おっと」
勉がため息をつくと、スマートフォンが振動するのが分かった。割り込みの電話だ。
「電話ですか?」
「うん、ジャックからだ。ごめん、一度切るね」
「はい、お疲れ様です」
メッセージアプリの通話を切り、すぐさま通話アプリのボタンを押す。果たして、先程こちらから電話をかけたジャック・ハントが、受話器の向こうでからからと笑っていた。
「やあベン、待たせてすまなかった。説明に時間を食っちまってな」
「いやいいよ。納得してもらえたかい?」
こちらも朗らかに言葉を返せば、ジャックがくつくつと喉を鳴らして答える。言うに、なかなか状況を飲み込むのに時間がかかった御仁がいたらしい。
「ブラウニングの使いの方が、なかなかな。学生二人はスマホ片手に嬉々として出かけて行ったよ、『校外学習の一環として楽しみます』だとさ。片方は
そう話すジャックに、勉も笑みがこぼれた。
マー大公国の首都オールドカースルは、学術都市フーグラーほどではないにせよ、あらゆる種族に学問の道が開かれている。
話を聞くに、件の学生はいずれもアメリカ語学科の学生らしい。熱心にジャックの話を聞いては、サンフランシスコの街に飛び出していったという。
笑みをそのままに椅子の背に持たれながら、軽口をたたく勉だ。
「若いっていいねぇ。案外そのまま、サンフランシスコに居つくんじゃないかい?」
「有り得るねぇ、こっちじゃ
その軽口にジャックも軽く答えた。
アメリカ合衆国は異世界ドルテの存在について、地球と不定期に『接続点』で繋がる異世界、であることを認識し、市民に広く伝えている。『接続点』の多さで言えば日本がトップだが、市民への認知度はアメリカが最上位だ。
それ故に、彼の国はドルテからの住民も快く受け入れている。もともと白人と黒人で人種差別があった背景があるから、人種差別には殊更に敏感だ。世界各地からの移民が多いカリフォルニア州では余計にである。
「了解です、っと。あぁそうそう、ジャック、一つお願いしたいことがあるんだった」
「おう、なんだ」
頷きながら本題に入る勉に、ジャックが明るく答える。
その声色に幾らかの安堵を感じながら、勉は口を動かしていった。
「前回の地球からドルテへの切り替わりで、うちの店から一人女性の転移があったんだが、今回戻ってこなくてね。それで、近々オールドカースルに向かわせようと思っているんだ。
日本語が堪能な狼の
「なるほど、了解だ。お嬢さんが店に来たら、ちゃんと俺の店の場所を伝えるんだぞ。オールドカースル二番街、ブレイハム通りだ」
相手は二つ返事で了解した。明瞭な答えに勉も安堵する。
手元の紙にペンを走らせながら、彼は朗らかに相手へと告げた。
「分かってるよ。じゃ、また」
「おう、よろしくな」
短く返して、ぷつりと切れる電話。スマートフォンの画面にはまだまだ、日本各地の『接続点』からの通知が飛んできている。
「ふー……さて、と」
今回と、その前の切り替わりで、どれだけの人が地球からドルテに転移し、またドルテから地球に転移してきたのか。
それを改めて取りまとめるため、勉はメッセージアプリに流れてくる通知に目を光らせた。
この時間を無駄にするわけにはいかない。情報収集に余念がなかった。
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