第22話 レストン家での出会い

「あれ? ミノリちゃんにパーシー君、おはよう。どうしたの?」

「おはようございマス、アガターさん。サワさんがホテルルのチェックアウト後ニ、こちらに寄りたいと仰ったノデ伺いまシタ」


 「ホテルル・サルカム」を出てから徒歩五分。「湯島堂書店ゆしまどうしょてん」に顔を見せた私とパーシー君を、ベンさんは驚きとともに出迎えた。

 今は朝九時半。まだまだ黄色の太陽は翡翠色の空を上る途中で、ヘルトリング通りでは朝市も開かれている時間だ。何か用事が無い限りは、寄る理由はなかっただろう。

 しかし私には、とても重要な用事があるのだった。カウンターに手をついてベンさんに問いを投げる。


「ベンさん、ドルテに私が転移してきてからこの二日間、地球にお店の入り口が切り替わった・・・・・・ことはありましたか?」

「いや、ないねぇ。ここのところはずっとドルテ側だ。

 切り替わった時に書店の中に居なくても、こちらに入り口が戻ってきた時にミノリちゃんのスマートフォンの時間もその分だけ進むから、その時計が一昨日の昼間を指しているままなら大丈夫だよ。

 地球とドルテの時間は・・・・・・・・・・同時には流れない・・・・・・・・からね」

「そうですかー……よかった」


 ほっと息をついて脱力する私だった。この店の中に居なくても、切り替わって地球での時間が流れた分だけ時計が進むのなら、スマホの時計を逐一チェックしていれば大丈夫そうだ。

 問題が一つ片付いたところで、次である。


「お店の入り口が切り替わった時に、私がこのお店の中に居なかったら、ドルテの時間が止まるのに取り残される・・・・・・わけですよね?

 なにかこう、切り替わる前に知らせてくれるアラームとか、無いんですか?」


 次いで投げかけた問いに、ベンさんは難しい顔をして腕を組んだ。


「うーん……少なくともうちには置いてないなぁ。

 大公国の首都オールドカースルにもここと同じように、地球とドルテを繋ぐ入り口を持つお店があって、雑貨屋なんだけど、そこの店だったらもしかしたら置いてあるかもしれないね。

 店主のジャックさんは色々変わったものを店に置いているし、自分でスマートフォンのアプリ開発もやる人だし……確か作ってなかったかな、アラームのアプリ」

「へぇ……凄いですね。首都に行くことがあったら、寄ってみようかな、そのお店」


 ベンさんの発言に、私はほっと胸を撫でおろした。

 少なくとも首都に行けば、何かしらの手が打てるかもしれないし、首都にも日本とドルテを繋ぐ店があるのなら、そことも懇意にしておいた方がきっといい。

 私の隣でパーシー君が「ハァー……」と感嘆の声を漏らしていたが、きっと何を話しているかチンプンカンプンなのだろう。

 そんなパーシー君ににこりと笑顔を向けたベンさんが、徐に人差し指を自分のこめかみに当てた。


「その時になったら紹介するから、話してね。

 あと切り替わるタイミングについては、人によっては切り替わる直前とか、一時間前とかに、予兆・・を感じ取れる人というのはいるみたいなんだ。

 ちょうど、気圧が下がる時や天気が急変する時に発生する、偏頭痛や神経痛のような形でね」

「偏頭痛や神経痛……ベンさん、身近にいる人でそういう人、知ってます?」

「グロリア夫人のご子息は二人とも頭痛持ちだったねぇ……切り替わりの予兆によるものかは分からないけれど。あとはアサミさんがそんな話をしていたような。

 夫人にお会いすることがあったら、一度聞いてみたらどうだい?」


 そう話すベンさんに、私はこくりと頷いた。ちょうどこの後、グロリアさんとその息子さんと合流する予定だし、ちょうどいい。

 そして、私が最後にもう一つ、話題を切り出そうとしたところで、私たちの後方から男性の声がした。


「ベンサン、本、決マリマシタ。会計、オ願イシマス」

「へ……?」

「アレ……パーパ?」


 振り返った私とパーシー君が、揃って思わず声を漏らした。

 書店の奥の方から姿を見せたのは、灰色の毛並みの狼の頭部をした獣人族フィーウルの男性だった。顔つきも、毛の色合いも、瞳も、隣に立つパーシー君によく似ている。

 そしてパーシー君が「パーパ」と言ったところから察するに、この男性はつまり。


「パーシー君の……お父さん?」

「ハイ、ロジャー・ユウナガ=レストン言イマス。貴女ガ、息子ガ話シテイタ、『サワさん』デスネ?」


 そう言って、男性――ロジャーさんはこれから買うのであろう古本を抱えたままで、私に深々と頭を下げた。釣られて私も頭を下げる。


「息子ガオ世話ニナッテイマス。マタ、今日カラ貴女ヲ家ニオ招キスルト、聞イテイマス。ヨロシクオ願イシマス」

「いっ、いえ、こちらこそ、お世話になります。澤 実里です」


 思わぬところで家主と遭遇したものだと思いながら、ロジャーさんに自己紹介をする私だ。

 ロジャーさんが頭を上げたところで、パーシー君が不思議そうに首を傾げた。


「パーパ、どうしたんですカ? 今日はお仕事ガある日なのデハ」

「アサミガ、具合ガ良クナイデスカラ、午後出勤ニサセテモライマシタ。今ハアサミガベッドデ読ムタメノ本ヲ、買イニ来マシタ。

 今日ハ帰リガ遅クナルノデ、私ハ夕飯要ラナイデス」

「具合が良くない……そんな時にお邪魔することになってしまってごめんなさい」


 パメラちゃんも、お母さんが病気して仕事を休んでいるって話していたな、と思いながら再び頭を下げる私。

 葬式直後のグロリアさんの屋敷に転がり込むのも申し訳ないが、病人が臥せっているパーシー君の家に転がり込むのも、また申し訳がない。

 しかしロジャーさんは気にする風でもなく、ゆるりと首を振った。


「イイエ、大丈夫。アサミモ久シブリニ、日本ジャポーニアノ方ト会エルコト、楽シミニシテイマス」

「うんうん、ここ数年、日本からドルテに来た人でアサミさんと会ったことのある人はいなかったからねぇ。久しぶりに日本人と話をしたいと思うよ、彼女も」

「そう……ですか。なら、まぁ、いいんですけれど」


 ベンさんにもにこやかに声をかけられて、私は「まぁ家主がいいと言ってるならいいか」と楽観的に捉えることにした。

 そもそもパーシー君とグロリアさんの間で相談が交わされてそうなっているのだし、パーシー君のお母さんとグロリアさんは旧知の仲だし、そこで大丈夫だというのなら本当に大丈夫なのだろう。

 そうして思案を巡らせる間に、ロジャーさんはカウンターに持ってきた古本3冊をお買い上げだ。合計して1アルギンと200クプル。

 ビニール袋に入れられた本を受け取ると、くるりと身体を入り口に向けて颯爽と歩き出した。


「サァ、家ニ帰リマショウ。オ連レシマス」


 入り口の前で足を止めたロジャーさんが、古本を収めたビニール袋を片手に、私とパーシー君へと振り返って笑う。

 その背後の尻尾が嬉しそうに左右に振られているのを見て、私もパーシー君も小さく笑みを零したのだった。

 ちなみに最後にベンさんに聞く予定だった「ACアダプタの変換コネクタってどこで買えますか?」については、ベンさんからお古のコネクタを貰えた。よかった。




 「湯島堂書店ゆしまどうしょてん」のあるアーレント通りを歩いてしばらく行ったところを左に曲がってヴェーベルン通りへ。

 ヴェーベルン通りに入って二つ目の角を左へ曲がり、レーマン通りへ。

 アーレント通りよりも少々細い通りに入ってすぐのところ、右手側。ポストにドルテ語のアルファベットで「Reston」と書かれた札がかけられた、庭付きの家が今日から私が寝起きする家、パーシー君の家だ。

 ロジャーさんとパーシー君に中を案内されて、貸してもらう二階の部屋に通してもらって(有難いことにクローゼットもついていた)、持ち歩かないでいい荷物を置いたところで、私は一階のリビングでパーシー君のお母さんでロジャーさんの奥さん、アサミ・ユウナガ=レストンさんに挨拶をしていた。


「ごめんなさいね、折角来ていただいたのにこんな体たらくで……調子が良ければ、お茶やお菓子でおもてなししたかったのだけれど」

「いえそんな、長くご病気されていると聞いていますし、無理しないでください」


 ロッキングチェアーに座って、膝にブランケットをかけているアサミさん。聞けば、グロリアさんの下で日本語研究の仕事に就いていたころから、謎の手足のしびれに悩まされていて、酷い時には今日のように身動きも取れなくなるのだそうだ。

 アータートン家の庇護下にいる頃から伯爵家かかりつけの医者にも診てもらうも、原因は不明。しびれを抑える薬を今も飲んでいるが、飲んでいても駄目な日と言うのはあるらしい。


「一度日本に帰って、治療を出来ればとも思うんだけれど、知っての通りいつ行けるかも分からないし、いつこちらに帰ってこれるかも分からないでしょう?

 調子がいい時ならベンさんのお店まで行けるけれど、そういう時に都合よく繋がってくれるとは限らないしね」

「はい……それにアサミさんには、こちらでの家庭もありますものね」


 溜息を吐きながら、膝の上に乗せたロジャーさんの買ってきた古本に手を置くアサミさんに頷きつつ、私は彼女の傍らに立つパーシー君とロジャーさんに視線を向けた。

 二人ともフーグラー市のギルドに仕事を持っている。パメラちゃんもホテルル・サルカムのレストランで働いている。加えてアータートン伯爵家に土地と家を貸してもらっているわけで。

 そう簡単に、フーグラー市を離れるわけにはいかないのだろう。


「マーマが望むナラ、一家揃って日本ニ移住しまショウとは言ってるんですヨ、ボクもパーパもパメラも常々」

「ハイ。アサミノ身体ヲ治スコトガ第一デス」


 二人ともきっぱりとそう言ってのける。その様子を見るに、本当に懇々と説得に当たっているのだろう。

 パーシー君の日本語力なら日本でも普通に生活できるだろうし、ロジャーさんも話をした感じ、そんなにたどたどしいわけでもない。

 まぁ、障害となるであろうのが三人の容姿の問題だと、おおよそ想像はついている。


「そういえば聞きそびれていましたけれど、ロジャーさんってギルドでどんなお仕事をやっているんですか?」

「帳簿管理人、ヤッテイマス。ギルドノ書類、帳簿、ソノ他諸々、整理シテ保管スルノガ、仕事デス」

「この人はアータートン家のお屋敷にいた頃から、書類や帳面の管理を任されていたんですよ。とても真面目で……あら?」


 アサミさんがロジャーさんを褒め称えていると、不意にその言葉が止まった。不思議そうに窓の外を見ている。

 パーシー君も、ロジャーさんもそうだ。三人揃って同じ方に視線を向けているではないか。なんだろう。


「あの、どうかしましたか?」

「馬車が来た音がしまシタ……この家の前デ止まっていマス」

「郵便ヤ、オ医者サマガ来ル時間デハアリマセンネ」

「いえ、そういった馬車の音ではないわ。これは……やだ、どうしましょう」


 途端に困惑し始めるアサミさん。ロジャーさんも慌ててキッチンの方へと駆けて行った。パーシー君はその反対側、玄関の方へと。

 私だけがすっかり取り残されて、リビングでポツンと立っている。そこにパーシー君が、おずおずとした様子で顔を覗かせた。


「マーマ、サワさん……アノ、奥様とデューク様が、お見えになりまシタ……」

「ミノリサン、ごめんなさいネー。レストンのお家にいらっしゃるのハ分かっていたから、迎えに来ちゃったワ」


 レストン家のリビングに入ってきたのは、昨日と同じようなシンプルなドレスに身を包んだ、藍色の鱗を持つ竜人族バーラウの貴婦人。お察しの通り、グロリアさんである。

 その後ろからパーシー君よりも若干背の低い、緑青色の鱗を持ち上等そうなジャケットとスラックスに身を包んだ、竜人族バーラウの青年が姿を見せる。

 年の頃はパメラちゃんと同じくらいか、それよりも少し年上だろうか。少なくともパーシー君よりは年下に見える。

 ともあれ、私はぺこりとグロリアさんに頭を下げた。本来はバックハウス通りまで私達が行くはずなのに、こうしてこちらまで来てもらったのだから。


「グロリアさん……いえ、その、すみませんわざわざ」

「いいのヨ、私が来たくて迎えに来たのだカラ、気にしないで頂戴。

 それで、パーシーには話を通してあるケド、こちらが私の下の息子のデューク、年は20歳ヨ。

 ミノリさんの護衛ト、パーシーでは手が回らない部分ノ対外折衝などをさせてもらうワ。よろしくお願いするわネ」


 グロリアさんに背中を押されるようにして、竜人族バーラウの青年が前に進み出た。

 右手を胸の前に置き、そっと私に向かって首を垂れた。その姿勢のままに、存外朗らかな声色で彼は話し始める。


「お初にお目にかかりマス、ミノリ・サワ様。ヒースコート子爵を拝領いたしておりマス、デューク・ネリー・アータートンと申しマス。

 日本語ジャポネーザの知識はパーシー殿に及ぶべくも無イ若輩の身ではございますガ、精一杯務めさせて頂きマス。何卒、よろしくお願いいたしマス」

「あ、え、えっと……澤実里、です。よろしくお願いいたします、デューク様」

「イエ、そう畏まっていただかなくトモ。パーシー殿にそうなされておりますようニ、気軽にお呼びいただければ幸いデス」


 顔を上げて柔らかく微笑むデュークさんに、困惑も露に私は顔の前で手を振った。

 まさか、れっきとした貴族の青年を「君」付けで呼ぶわけにもいかないだろう。よくて「さん」だ。

 どうやらパーシー君と同列に扱ってほしがっているデュークさんと、貴族の人相手にどう気安く接すればいいのか分からない私の間で、しばらくの間互いに「いやいや」と譲り合うやり取りが続くのを、レストン家の人々はなんともおかしそうに見ていたのだった。

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