第23話 フーグラー城
レストン家を後にして、グロリアさんとデュークさんが乗り付けてきた馬車に乗って。
私はパーシー君、デュークさん、グロリアさんと一緒に、フーグラー市の北側に聳え立つフーグラー城へと向かっていた。
フーグラー市を治めるアータートン伯爵家の家というだけでなく、市庁舎もその敷地内にあるとのこと。道理で庭園を含め、一般市民に城が公開されているはずだ。
「お城って要するに貴族の皆さんの住まいだから、もっと厳重に警備されて、容易に立ち入りできないものだと思っていたなぁ」
「さすがニ伯爵家の居住区画にハ、市民の皆さんガ入ることは出来ませんヨ。棟が分かれているのデス。
市庁舎を兼ねル議場棟、パーティーや結婚式や葬儀を行ウ斎場棟、伯爵家の住居になっていル湯場棟、といった感じですネ」
「城の周囲に広がる庭園ト、城の手前側左手にございマス議場棟ハ、市民に広ク公開されておりマス。
手前側右手にございマス斎場棟ハ、伯爵家ヤそれに連なる貴族ノ冠婚葬祭に使用いたしマス。一般市民への開放、という形ではございまセン」
パーシー君とデュークさんの説明を受けながら、私は窓の外に見えるフーグラー城の三本の尖塔を眺めていた。
城そのものの建物は背が高くないが、それぞれの棟の上に伸びる尖塔は、どれも立派で存在感がある。古都というだけあって石造りの城は佇まいがすごく落ち着いていて、静謐で、荘厳だ。
私の向かいに座るグロリアさんが、口元に手を添えながら笑った。
「昔は、お城の敷地が全て、市民は立ち入り禁止だったというワ。それが三代目の伯だったかしラ、彼が初代である伯父と、二代目である自分の父親の石像を庭園に拵えたノ。それは立派な石像ヲ、お二人の遺骨を台座に収めてネ」
「もしかして、それが歴代アータートン伯爵の……」
「そういうコト。そしてその石像を、フーグラーという街の創設者の姿を一目見ようト、多くの市民の陳情が集まっタ。
その結果庭園が市民に開放されテ、観光名所として成立したってワケ」
グロリアさんの話を聞いて、私はなるほどと頷いた。
確かに街を作った人の石像が建ったとあれば、市民が見たいと思うのは当然だ。
私の隣に座るパーシー君が、口元に笑みを浮かべながら解説の後を継ぐ。
「お城の一角ガ市庁舎を兼ねるようになったのも同時期だそうデス。
昔はバックハウス通りニ市庁舎があったそうなのですガ、四代目の伯が広大な城の棟一つガ丸々使われていないコトを問題視されまシテ、使わないなら市民に開放シテ有効に使いまショウ、ということで市庁舎の機能を持ってきた、という話だそうデス。
その市庁舎跡地には貴族の別邸が建つようにナリ、バックハウス通りは高級住宅地になった、というわけデス」
「へー……そんな経緯があったんだ。じゃあグロリアさんのお屋敷も?」
「そうヨ。かつては私の実家、イングラム家の持ち家だったのだケド、アータートン家に嫁入りする時ニ持参金代わりに譲られたノ」
グロリアさんの話によると、ご実家であるイングラム伯爵家はフーグラーの隣町、ケンジットという都市を治めているのだそうだが、最近は凋落の一途を辿っており、グロリアさんがアータートン伯爵家に嫁入りする頃には財政がだいぶ火の車だったのだそうだ。
婚礼の際にかかる費用こそ住民からの寄進でなんとか捻出したものの、今では同じ伯爵位を持っているとは言えどもアータートン家とは比ぶべくもない状態だそうだ。別荘を手放すのもやむなしというところなのだろう。
結果としてグロリアさんはエイブラムさんと添い遂げ、息子を二人も生まれたのだから、イングラム家としては万々歳というところだろう。
「グロリアさんもデュークさんも、あのお城で寝起きしているんですよね?」
「Da, doamna. マーマはいつも週末ニハ、バックハウス通りの別邸デお休みになっておりますガ、基本的には城ノ
「デューク、ドルテ語が出ているワヨ」
私の質問に溌溂と答えるデュークさんを、グロリアさんがぴしゃりとたしなめる。
無意識のうちに出ていたのだろう、指摘されてようやく気が付いたという風のデュークさんが頬を赤らめた。青い鬣の生えた後頭部に右手をやりながら、そっと頭を下げる。
「ア……申し訳ございまセン、ミノリ様。つい普段のクセで」
「大丈夫です、『イエス、マダム』くらいなら私も意味は理解できますから」
顔の前で手を振りながら言葉を返して、私はしまった、と手を止めた。
「ダー、ドアムナ」はこの二日間でしょっちゅう聞いた言葉だから分かる。つい脳内で「イエス、マダム」と英語に変換していたが、ドルテで英語が一般的であろうはずもない。
日本語は外来からの言葉がいくつも混ざってごちゃごちゃしているから意識することは無いが、これもまた混乱の元だろう。
事実、デュークさんは意味を掴めなかったようできょとんとしている。
「『イエス』……?
「あー、まぁ……ごめんなさい、つい英語が」
「お互い様ってやつネ。さぁ、もうすぐお城に着くわヨ」
クスリ、と笑みを零したグロリアさんが窓の外を見やる。
ちょうど馬車がアータートン家の居城、フーグラー城の大きな門をくぐるところだった。
馬車を降りると、目の前に聳え立つ石の壁が私を出迎えた。
間近で見る、初めての本物のお城。テーマパークに作られているお城とはまた違った、本物の風格を感じさせる。
「わぁぁ……」
「ドウ?間近で見るフーグラー城の偉容ハ。凄いでショウ?」
「まずは庭園ニご案内いたしマス。ミノリ様、パーシー殿、こちらへドウゾ」
にこやかにそう言って、グロリアさんとデュークさんは私とパーシー君を先導して歩き始めた。
門をくぐった先、まっすぐ前庭を貫く通路を戻るようにして、まず私たちが観光し始めたのはフーグラー城の前庭。「みるぶ」の21ページ、22ページに2ページ見開きでどどんと掲載されている、まさしくフーグラー市の「顔」だ。
この広い通路を挟むようにして、初代から第7代までのアータートン伯爵の石像が建てられており、来場者を出迎える形になっている。ちなみに現在の伯爵であるブレンドン伯爵閣下は、第八代アータートン伯爵になるのだそうだ。
かつての施政者の石像で、お墓として扱われていることもあり、並び立つ石像の前には花が供えられている。いずれの石像の前も、庭園の植え込みや花壇に負けないくらいに色鮮やかだ。
先頭を歩くグロリアさんが、第七代伯爵、エイブラム・ゾーイ・アータートンの石像の前で足を止める。
「これが、私の前の夫でアル、第七代伯爵、エイブラムの石像。彼の市政は大体二十年くらいだったかしらネ。三十二歳で伯爵位を継いで、五十四歳で没したノ。
彼ハ妻の私から見てモ、本当に精力的に働いたワ。市民のため、力無き人々のため……
「人種差別撤廃のため、ってことですよね……エイブラムさんの努力を以てしても、それでも全ての差別を、無くせなかったと……」
「そうヨ。アガター先生とエイブラムに付き合いがあったことハ、先生から話を聞いていると思うケレド、彼も元々は一介の書店の店主に過ぎなかったシ、
エイブラムとブレンドンのお父様……第六代伯爵のコーネリアス様の頃カラ、徐々に融和的な方向に舵を切るようになっていったケレド、それもアガター先生や先生のお父様のお力があってのことなのヨ」
エイブラムさんの石像の隣に建つ第六代伯爵、コーネリアスさんの石像にも視線を向けたグロリアさんが、エイブラムさんの石像をそっと撫でた。
デュークさんの視線もコーネリアスさんの石像の方へと向けられる。そのままに、ふぅとため息をついた。
「お祖父様はフーグラー市をお収めになられ始めた当時カラ、
その教育をパーパも受けられているハズなのニ、どうしてあそこまで頑なナ差別主義者にナッテしまわれたのか……」
「Duke, Gloria. Ce faci aici?」
嘆くようなデュークさんの言葉にかぶさるようにして、低い声色のドルテ語が聞こえてきた。
同時に聞こえてくる、コツコツと硬質な靴底の音。声のした方に視線を向けると、果たしてそこに立つのは、銀色の鱗を持ち、上質なジャケットに勲章をたくさんつけた、壮年の
その男性の姿を見て、デュークさんとグロリアさんが揃って声を上げた。
「エ?」
「アラ、あなた……」
呼びかけられた男性が、ふんと鼻を鳴らしながら顎を持ち上げた。
そう、第八代アータートン伯爵こと、ブレンドン・サム・アータートン伯爵閣下である。
何やら不満げに地面を爪先で踏み鳴らすブレンドン閣下が、じろりとグロリアさんを睨みつけた。
「De ce esti aici? Ar trebui sa fii la serviciu.」
「Am venit sa vad situatia pentru ca nu am putut sa ma intorc, desi ar fi trebuit sa-i vizitez pe oaspeti. Nu l-ai adus pentru salut?」
「Papa, ar trebui sa ma salut in timpul zilei. Inca nu mai e ora unsprezece?」
「Nu vorbi, Duke. Am o intrebare pentru Gloria.」
「Nu fii escaper, huh!?」
ブレンドン閣下、グロリアさん、デュークさんの間でバリバリのドルテ語で繰り広げられる、会話の応酬。
どうみても穏やかな雰囲気ではない。さながら家族喧嘩のようだ。一応アータートン家の名前で招待されている、私がここにいるのに、である。
ますますヒートアップしていくデュークさんを抑えようと、私は閣下に食って掛かるデュークさんの腕を掴んだ。
「デュークさん、ちょっと……」
「...Oh, asa e, papa. Disputa nu este buna in fata clientului.」
「V-ati hotarat sa o primiti ca oaspete, Brendon. Nu crezi ca nu a actionat ca un topor in fata ei?」
「Hmmm... cred. Imi pare rau sa va arat ceva inestetic, doamna Sawa. Numere meu este opta generatie Sir Arterton, tineti minte dupa aceea.」
デュークさんとグロリアさんが揃って私の方に顔を向けた後、しばしの沈黙が庭に広がった。
そしてようやく、客人である私の前で言い争うのはまずいと気が付いたらしい。三人揃って私に頭を下げてきた。閣下に至ってはそのまま私に右手を差し出してくる。
ようやく、ちゃんとブレンドン伯爵閣下は私に挨拶してくれたらしい。ちら、とパーシー君に視線を送ると、頷いたのちにそっと耳打ちしてきた。
「『お見苦しいところをお見せしてしまい、失礼しました、サワさん。私は第八代アータートン伯爵、ブレンドンと申します。以後お見知りおきください』、とのことデス」
「あー……はい、なるほど。マ ヌメスク ミノリ サワ。ブナ ズィワ。」
「Va multumim anticipat. Vorbeam cu oameni care s-au pierdut dintr-o tara straina, dar dorthenul este bun.」
「えー……ごめんパーシー君、訳して」
手を握り返して頭を下げる私だが、次いで告げられたドルテ語の意味はさっぱりだった。
明示的にパーシー君に助けを求めると、彼は小さく微笑みながら再びその長いマズルを私の耳に近づけてくる。
「『異世界から迷い込んだと伺っていますが、ドルテ語がお上手ですね』だそうですヨ。褒められてます」
「今の褒められてたんだ……あー、ムルツメスク」
伝えられた訳文に、目を見開く私だ。昨日の閣下の印象が最悪だったこともあり、褒められているとは露ほども思わなかったのである。
改めて頭を下げる私に、ブレンドン閣下は元々細く鋭い目をさらに細めて、私とパーシー君に声をかけてきた。
「Cand am auzit ca Percy a venit la un interpret, ma intrebam cand as fi nemultumit si venez la castel, dar se pare ca ma intalnesc in mod neasteptat. Daca traiti intr-o tara fara discriminare, este ceva diferit?」
「Cuvintele tale, dar cabinetul tau, sunt mandru de munca mea de interpretare. Este treaba mea sa-i sprijin pe doamna Sawa pentru a evita inconvenientele.」
「Da, papa. Percy lucreaza excelent atat ca interpret cat si ca ghid. Nu este la fel de inferior ca si papal sau.」
ブレンドン閣下の言葉に、すっと背筋を伸ばして淡々と言葉を返すパーシー君に、デュークさんも加勢して父親に何やら告げた。
ぽかんとする私に、すすっと傍に寄ってきたグロリアさんがそっと耳打ちした。
「パーシーが『お言葉ですが閣下、私は通訳の仕事に誇りを持ってあたっています。サワさんが不自由なく行動できるよう、サポートするのが私の役目です』。
デュークが『そうです、父上。パーシーは通訳としてもガイドとしても優秀です。父上が思うほど、劣った人間ではありません』……だそうヨ。
あの人の言葉モ訳そうと思えば訳せるけれど……聞きタイ?」
「なんかバカにされてた気はしましたけど……ちなみに、なんて?」
「『パーシーが通訳に付いたと聞いた時には、いつ不満を抱えて私の城にやってくるかと思いましたが、予想外に上手くやっているようです。差別のない国から来られた方は、やはり何か違うようですね』ですッテ」
グロリアさんに通訳してもらった内容を聞いて、私はため息をつくしかなかった。
確かに元々、
パーシー君とデュークさんに反論されて、しばしブレンドン閣下は無言になると。くるりとこちらに背を向けつつ、デュークさんに視線を向けた。
「Chiar daca eo rasa diferita, un om din Arterton te va insoti imediat. Ei bine, nu provoaca nici un necaz.」
「Da, papal meu. Cu siguranta voi finaliza rolul.」
ブレンドン閣下から声をかけられ、堂々と宣言してみせるデュークさん。その答えに満足したのかしないのか、閣下は太く長い尻尾を揺らしながら、城の入り口の方へと靴音高く歩いて行った。
その堂々とした背中をぽかんと見つめる私に、三度パーシー君が訳文を投げかけてくる。
「『種違いとはいえ、アータートン家の男が直接護衛をするのだから、トラブルに巻き込まれることの無いようにしなさい』だそうデス。
……余計な一言はつきましたが、その通りデス。デューク様が護衛しているトいうのにサワさんに何かあったラ、それこそアータートン家の沽券に関わりマス。
ボクとデューク様が全力でお守りしますカラ、安心してくだサイ、サワさん」
「……うん、頼りにしてるね、二人とも」
私の目を見て、真面目な表情をしているパーシー君と、その後ろで大きく頷いたデュークさんに、私はこくりと頷きを返した。
これほどまでに立場のある、教養もある人たちが私に危害が加わらないよう、動いてくれるのだ。
軽率な行動はきっと、私自身の身だけでなく、守ってくれる二人の立場も危うくする。
そう理解しながら、私はしばらくの間、エイブラムさんの石像の前で当人の思い出話を始めた三人の話に聞き入るのだった。
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