第43話 回復、そして急展開

「んん……」


 私が胸の痛みを訴えて、意識を手放してから、どれ程の時間が経っただろうか。

 意識を取り戻し、薄ぼんやりと目を開いた私の視界に入ってきたのは、瑠璃の館の絢爛な内装ではない。白を基調とした、至極シンプルな部屋の中だ。

 僅かに身じろぎすると、私が目を開いたことに気が付いたらしい。脇に座っていたパーシー君が、僅かに腰を浮かせた。


「Ah... am deschis ochii.」

「Ai observat? Pot suna la doctor!」


 パーシー君が反応したことに、もう一人の女性も表情を明るくさせる。何やら言って、すぐに部屋を出て行った。

 視線を動かすと、真っ白な枕とマットレスが視界に入る。どうやら私は、ベッドに寝かされているらしい。


「パーシー君……? ここは……私は――うっ」

「サワさん、大丈夫です。安静にしてくだサイ」


 ベッド脇に座っていたらしいパーシー君に声をかけながら、ゆっくりベッドから起き上がろうとする私。不意に刺すような痛みが胸に走って、再びベッドに倒れ込んだ。

 椅子から立ち上がって私に手を添えるパーシー君を見上げて、言葉を絞り出す。


「ここ、もしかして、病院……?」

「ハイ、アデナウアー通りの『ゴドウィン医院』デス。サワさんは瑠璃の館で意識を失イ、こちらに運ばれてきまシタ……今は、6月2日の、午後九時半デス」


 そう話すパーシー君の表情は、どことなく不安げだ。

 午後九時半。もうすっかり夜だ。部屋のカーテンの外……は、空がよく見えないが、確かに暗い。

 私は愕然とした。夕飯時にはレストン家に戻り、アサミさんの手作りの夕飯を食べようと思っていたのに、こんな状態では食べようがない。


「もう夜なの……? えー、お夕飯、アサミさんちで食べるつもりだったのに……」

「マーマには既に連絡が行っていマス。心配しなくていいデスヨ」


 私が零した文句に、パーシー君が長い鼻先を掻き、苦笑しながら返してくる。

 その発言に私が目を見張っていると、部屋の入り口から先程の女性が入ってきた。後ろには白衣を着た長耳族ルングの男性を連れている。お医者さんだろうか。


「Percy.」

「Brenda, doctor... este in regula acum?」


 女性に呼びかけられたパーシー君が、ハッとした顔で後ろを振り向いて立ち上がった。「ドクター」、ということは、やっぱり白衣の男性はお医者さんらしい。ドルテ語でもドクターはドクターなんだなぁ。


「Sangele excesiv a fost evacuat. Nu va mai faceti griji.」

「Usurata. O voi suna pe sotia si fiul mea.」


 ドクターと呼ばれたお医者さんが、皺の目立つ目元をにっこりと細めながら言えば、彼の話を聞いていた女性が安堵の息を吐いた。そのまま、女性は再び部屋を出ていく。

 状況を飲み込めないまま、私は視線を隣に立って微笑むパーシー君へと向けた。


「えーと……ごめんパーシー君、なんて? というか、あの二人は誰?」


 私の発言に、ハッとした表情を見せるパーシー君だ。私があの二人と顔を合わせたことが無いことに、ようやく気が付いたらしい。


「初老の長耳族ルングの方がアータートン家ノかかりつけ医のゴドウィン先生、短耳族スクルトの女性が瑠璃の館メイド長のブレンダ、と言いマス。

 ゴドウィン先生が『異物の血を排出しました。もう大丈夫ですよ』、ブレンダが『安心いたしました。奥様とお坊ちゃまを呼んでまいります』ト、いうことデス。

 サワさんの病状・・については、奥様達がいらしてカラ、説明いただくことになっていマス」

「病状……」


 丁寧に説明してくれるパーシー君の言葉に、ようやく私は、「自分が何らかの病気を発症したのだ」という事実に、それが原因で倒れるようなことになったのだという現実に思考が至った。

 病気。

 もしかして、ダフニーさんが説明してくれた通り、獣人族フィーウルの血液が短耳族スクルトにとって毒になる、という現象が起こったのだろうか。

 うっすら寒気を感じていると、部屋の中にグロリアさんとデュークさんが飛び込んできた。


「ミノリサン! よかった……」

「意識を取り戻されたのデスネ。安心いたしマシタ」

「グロリアさん、デュークさん……その、何と言うか……」


 心底から心配していたような表情の二人。

 私の身体の不調で、こんなにもいろんな人に迷惑をかけてしまったことが、なんだか唐突に申し訳なくなる。

 思わず私は、ベッドの上で頭を下げた。


「……すみませんでした」

「いいのヨ、貴女は気にしないで」

「文句でしたラ、ヒューゴーのお墓ニたっぷりぶつけてきまシタ」


 平身低頭の私を安心させるように、グロリアさんが声をかけてくる。一緒に勇ましい調子で言葉を発するデュークさんは、ちらりと顔を見たら随分鼻息が荒かった。

 そうか、この世界も火葬が一般的だから、お墓を小規模に出来るのだ。きっと瑠璃の館の中に、ヒューゴーのお墓も据えられていたのだろう。

 ふっとその場の空気が和んだところで、ゴドウィン先生と言われていたお医者さんの男性が小さく咳払いをした。


「Esti sigur?」

「Doctor, va rog sa explicati. パーシー、対訳をお願いネ」

「かしこまりまシタ」


 先生の言葉にグロリアさんが答えると、視線はパーシー君に。彼が頷いたのを見て、先生は持参した手元の資料に目を落とした。


「Doamna Sawa era cu siguranta "Sindromul diferit de sangle".」

「『サワさんは、間違いなく『異血症いけつしょう』に罹っていました』」

「『異血症』……?」


 先生がドルテ語で話した内容を、パーシー君がすらすらと翻訳していく。その中で登場した耳慣れない名前に、私がこてんと首をかしげた。

 異血症。そんな病気が地球にあった記憶はない。私が知らないだけかもしれないが、とりあえず、聞き覚えはない。

 私が病気の概要を掴みかねている様子を見て、パーシー君が自分の胸元をトン、と叩きながら説明を付け加えた。


短耳族スクルトが稀に発症すると言わレル、体内に取り込んだ他人の血液ガ心臓に達して起こる、数々の心身の不調デス。血液の不適合が理由、と言われていますガ……原因はハッキリと分かっていまセン」


 パーシー君曰く、異血症という病気があることは知られていて、病状も対策も概ね分かっているのだが、発症原因を突き止める研究は、なかなかうまくいっていないらしい。

 分かっているのは、短耳族スクルトに発症する、ということだけだという。

 ぽかんとする私に、グロリアさんが苦笑を見せながら声をかけた。


「最近デハ、発症するのは地球パーマントゥルから来た短耳族スクルトではないカ、とも言われているワ。何か、原因となる要因があるのかもしれないワネ」


 彼女の言葉に、私ははーっとため息をついた。

 確かに、アサミさんも地球から転移した人だし、私だってそうだ。これまで何人の地球人がドルテに転移してきたかは不明だが、地球人は皆、全てが短耳族スクルト扱い。地球人に発症するという事なら、短耳族スクルトだけに発症する、というのも分からなくはない。

 私が理解したところで、グロリアさんが先生に目配せする。それが合図になったようで、先生は再び話し始めた。


「Am auzit ca la Pisica iunie, sangele unei alte persoane a fost baut. Pare a fi cauza.」

「『6月1日に、他人の血を飲まされたと伺っております。それが原因と思われます』」


 パーシー君の対訳を聞いて、ようやく私も状況を理解できた。

 やっぱりというか何というか、ヒューゴーに血を飲まされたあの時に、原因があったらしい。もしかしたらあの熊野郎は指を噛み切って血を出していたから、唾液も一緒に飲まされたことが影響している可能性もありそうだ。

 正規のやり方、つまりナイフで指に傷をつけるやり方なら、また違ったのかな、なんて思うが、今となってはどうしようもない。


「Sangele, care este o substanta straina, a fost evacuat din vasele de sange si tratat. Nu s-au confirmat pana acum sechele, dar veti fi spitalizate astazi, in caz.」

「『異物となる血は、血管から排出して対応しました。後遺症は今のところ確認されていませんが、今日一日は、念のため入院していただきます』……だそうデス」

「入院かー……うわー……」


 次いで話された言葉に、私はがっくりと肩を落とした。

 入院か。一日だけとなればそんなに悲観することもないだろうが、それでも入院は入院である。しかも、言葉の通じない異国の地で、である。

 地味にショックだ。お金もきっと、たくさん出ていくだろう。


「でも良かったわネ、アサミのように後遺症に悩まされることにならなくテ。一日だけ我慢すれバ、また出歩けるようになるワ」

「そうですね……うーん、アサミさんの手料理、食べたかったのに……残念……」


 私を慰めてくれるグロリアさんに同意を返しながらも、私の心はまだ、アサミさんの料理を食べられない悲しみから抜け出せていない。

 久しぶりに、日本食とか食べられるかもしれなかったのに。期待しすぎかもしれないけれど。

 肩を落としっぱなしの私を、パーシー君が苦笑しながら見下ろしてきた。


「マァ、ホラ、退院してボクの家に戻ったら、いつでも食べられますカラ――」

「イイエ、パーシー、残念だけどそうも言ってられないノ」

「えっ?」


 だが、そんな私の淡い期待と、パーシー君の慰めの言葉を遮るように、グロリアさんが言葉を挟んでくる。

 はっと顔を上げた私と、パーシー君が声を発したグロリアさんを見る。が、次いで声を発したのは、彼女の隣にいて全て理解した表情で話を聞いていた、デュークさんだった。


「ミノリ様、非常に急な話デ申し訳ないのデスガ、退院されタラ可及的速やかニ、首都オールドカースル・・・・・・・・・・に向かって・・・・・いただきマス・・・・・・

「エッ!?」

「なんで!?」


 そして告げられた言葉。

 その宣告に、私もパーシー君も大声を上げた。

 昨日の今日で急に、フーグラーを離れて首都に向かえ、とは。私の頭は混乱しっぱなしだった。

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