第42話 大貴族の亡命、そして切り替わり
※『』内の会話は、ドルテ語で行われています。
富子が「
「あら?」
「夕永さん、どうしました?」
勉が声をかけると、顔だけ店内に向けながら富子が笑みを向ける。彼女の視線が向いていた方向を見るに、飯田橋方面に何かあったらしい。
だが。
「あのね、あちらの方から
「えっ……」
富子の発した言葉を聞いて、勉は目を見開いた。
竜の頭をした人々。
切り替わり直後に、接続点周辺でドルテ人の姿を見かけることそのものは、別に珍しくもない。しかし余程のことが無い限り、自分が転移するのに使った接続点
地球で同じエリアにあるからと言って、ドルテの同じ国内に接続するとは限らないからだ。全く間を置かずに、超長距離を移動してしまうことになる。混乱を生むのだ。
今回の切り替わりで、「湯島堂書店」から転移した
混乱する勉を放っておいて、富子はさっさと店から離れていく。
「お邪魔になってはいけないわ、それではまた」
「は、はい、また」
言葉に詰まりながら富子を見送った勉が、椅子から弾かれるように立ち上がる。
カウンターから出て靖国通りの飯田橋方面を見れば、確かに、いた。
漆黒の鱗をした壮年の
しかして、呆気に取られる勉の前までやってきた五名は、書店の看板を見上げつつ店の前で立ち止まった。桜色の
『ここがその場所なの?』
『その通りです。確認いたしますので、少々お待ちください』
女性に返事を返したのは、
「ゴ老人、失礼シマス。コチラ『
「は、はい」
たどたどしいところも多分にあるが、日本語で青年が問いかけてくる。目を見開いた勉は、自身でもドルテ語を流ちょうに話せるというのに、思わず日本語で応答していた。
勉の同意の言葉を受け取った青年が、「湯島堂書店」の開け放たれたガラス戸に手をかけつつ、再び言う。
「中ニ入ッテイイデスカ?」
「はい、どうぞごゆっくり……」
またも、日本語で返しながら勉が頷くと、青年が
彼らが店内に入るまで、その動作をつぶさに確認していた勉が、自分も店内に入りながら深く息を吐き出す。つい日本語で話してしまったが、こうした相手にわざわざそうする理由もない。
『無理に日本語で話されなくてもよろしいですよ、ドルテ語で、話しやすいように話してください』
『有り難い、助かります』
ドルテ語で声をかければ、
再びカウンターの中に戻った勉へと、
『店主、確認させてちょうだい。このお店はマー大公国アータートン領、フーグラーに繋がっている。そうね?』
貴婦人が真っすぐに勉を見つめながら言うと、勉も神妙な面持ちでそれに頷く。
『仰る通りです、シュティーリケ公爵第一夫人、アロイジア様』
そして、確信を持ちながら彼は女性に呼びかけた。
この貴婦人は、ザイフリード大公国でも五本の指に入る大貴族、シュティーリケ公爵家の第一夫人、アロイジア・ヴェンツ=シュティーリケに間違いない。
勉の言葉を聞いて、安堵の息を吐くのはアロイジア夫人だけではない。その後ろに立って勉を見やる漆黒の鱗の
この男性こそが、アロイジアの夫であり第十三代シュティーリケ公爵その人、エドゥアルト・クレーメンス・シュティーリケである。
ザイフリード大公国でも指折りの権力を持つ両名が、僅かな供の者を連れてこの店にやってきた。その意図を察することが出来ないほど、勉は愚鈍ではない。
『よかった……これで、何事もなく
『ええ、あなた』
その発想を裏付けるように、エドゥアルトとアロイジアがほっと息を吐きながらその言葉を零して喜び合った。同時に、付き人と思しき
間違いない。この二人は、ザイフリード大公国を捨てて他国に亡命しようとしているのだ。ただ旅行するためだとか、外交のためだとかで国外に出るなら、こんな回りくどい手段をとる必要はない。
冷や汗が背中を走るのを感じながら、勉は恐る恐るエドゥアルトに話しかけた。
『失礼いたします、閣下。お二方は、新宿の『鳥牧』からお越しになりましたか?』
『はい、そうです』
『かしこまりました。少々お時間をいただきます』
エドゥアルトが頷いてくるのを確認して、すぐさま勉はスマートフォンを取った。もうアラームアプリの残り時間は十分もない。インスタントメッセージで反応を待っていては間に合わない。
「鳥牧」店主の雄二の電話番号をタップすれば、はたして、すぐに通話が繋がる。
「もしもし、ユウジさん?」
「安形さん? どうしたんですか」
勉の慌てた様子は、声にも出ていたのだろう。雄二が訝しむ声で返答を返してくる。
そんな彼へと、勉は声を潜めながら、しかし視線はシュティーリケ公爵夫妻に向けながら、困惑を露わにして口を開いた。
「緊急事態……いや多分ユウジさんは把握していると思うけれど。シュティーリケ公爵と公爵夫人が、うちの店にいらした」
「えぇーっ!? いや、確かに店の中で公爵と公爵夫人が落ち合って、再会を喜んでいましたけれども!!」
勉の報告に、電話の向こうで雄二も大声を上げた。
曰く、ドルテから地球に切り替わりが発生し、新宿に「鳥牧」の出口が繋がってから程なくして、エドゥアルトが従者を連れて「鳥牧」に来店。そこでティーレマンから転移してきたアロイジアとその従者二人と再会し、喜びを分かち合って、一緒に昼食を取って店を出て行ったのだそうだ。
勉はスマートフォンを耳元に当てながら頭を掻いた。どうも、あの国の状況は思った以上にまずいらしい。
「まいったなぁ……ザイフリード、そんなに今ヤバいの?」
「あんまり表では言えないですけれど、だいぶ……こないだも大公様のご子息同士がなんか一触即発で、剣を抜きそうなことになってたらしいですし」
電話の向こうで雄二も声を潜めながら、それを告げてきた。きっと電話の向こうでは、彼も頭を抱えていることだろう。当事者だろうから気持ちも分かる。
それにしても、家族同士で剣を抜いて争うことになるとは相当だ。雄二によると、抜いたのはどうやら稽古用の剣ではなく真剣らしい。
一体、ザイフリード大公国で何が起こっているのか、何を思って貴族の面々は国外脱出を図っているのか。疑問は尽きないが、今はこうして話している時間もない。
「分かった、ありがとう。公爵夫妻とお付きの方は、こっちで何とかする」
「お願いします。お手数おかけします……」
か細い声で雄二がそう言ったのを最後に、通話が切れる。スマートフォンを顔から離してため息をつく勉に、エドゥアルトが声をかけてきた。
『『鳥牧』の店主の方にご連絡いただいたのですか?』
『はい。こちらで皆様の身柄を預からせていただきます。もうそろそろ切り替わると思いますので、そのままお待ちいただけますか?』
『ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます』
丁寧な口調で言葉を発し、頭を下げてくるエドゥアルト。彼に礼を返しながら、勉は手元のノートを開いた。
「えーと、ザイフリードと繋がるところは……あー、やっぱりそうなんだ」
改めて今回の切り替わりで発生した転移のうち、ザイフリード大公国と接続する接続点の内容を確認すると、ただ事でないことは容易に想像がついた。
新宿の「鳥牧」でアロイジアが転移したことを筆頭に、京都の「
前回の転移を確認しても、「鳥牧」でエドゥアルトが転移し、「丸藤屋」ではカンナビッヒ伯爵の第一夫人と子供二人が、「ラーメン陽海堂」ではヴェンツ侯爵第二夫人と子供、デッサウ侯爵の第一夫人と子供が転移し、いずれも復帰していないことが分かっている。使用人も含めればもっとたくさんだ。
エドゥアルトに関してはここにいるから、どこに行こうとしているかなど明白だ。他の貴族たちも、もしかしたらそのまま地球に居座るか、時間をかけて他の国に脱出するか、するのかもしれない。
これほどの大規模な貴族の国外脱出。何かとんでもないことが起こっているのは明白だ。
『シュティーリケ公爵閣下、失礼いたします』
『はい、何か?』
勉が再び顔を上げてエドゥアルトに声をかけると、妻と話していた彼はすぐにこちらを向いた。目を瞬かせるエドゥアルトへと、勉はおずおずと問いかける。
『なにぶんドルテでは国外の情報が入ってこないもので、不勉強で申し訳ないのですが……ザイフリードの大公家には、そこまで腐敗が広がっているのでしょうか』
その質問に、エドゥアルトもアロイジアも、悲し気な色を瞳に浮かべた。小さく頭を振った彼が、落胆を露わにしながら吐き出す。
『……その通りです。あの国の体制は、もう長くはもたないでしょう。大公家はかつての権威ももはや無く、ただの国庫としか機能しておりません。その金庫の鍵も一部の新興貴族に握られており、彼らが自分の好きなように、国民からの税金を使っている状況です』
曰く、大公国の君主であるザイフリード大公家現当主、ルプレヒト・ウッツ・ザイフリードは病に倒れて長くないと言われており、大公を補佐する貴族たちによって、政権が牛耳られているのだそうだ。
ザイフリード大公国はドルテの中でも歴史が長く、古くからの有力な貴族も多い。シュティーリケ公爵家もその一つだが、ルプレヒトの代になってから取り立てられるようになった貴族たちが、今は彼の周りを固めていて手が出せないという。
元々人種差別が横行していた大公国は、それが元で差別が活発化。「
そんな状況だから、古くから大公家を支えてきた重鎮が国を見限り、世界の切り替わりを利用して国外に脱出を図っているらしい。
『大公のご家族様も先がないことは重々承知しているようで、なんとかして自分の一族を国外に脱出させようと、躍起になっています。先日も第一夫人の息子であるカール様と、第二夫人の息子であるグスタフ様が、国外に脱出する権利を争って決闘を始めようとされました』
『そんな……そんなことで争う暇があるなら、接続点に向かえばいいのに』
アロイジアの言葉に、勉は思わず絶句した。
接続点は何も、一度に何人までしか転移できない、などという制限はない。その瞬間、その店の中にいればいいだけの話だ。争う理由などどこにあるだろう。
もしかしたら大公家の人々には、「異世界に繋がる場所がある」話を市中の噂程度で知っていて、その転移の仕組みなどは伝わっていないのかもしれない。実際に転移してきたのは大公家から距離を置かざるを得なかった貴族だから、余計に伝わらないだろう。
呆れを含んだ勉の言葉に、エドゥアルトもため息をついて肩をすくめた。
『全く、その通りです。どこの国に逃げるにしろ、地球に逃げるにしろ、早急に行動しなければ何にもならないというのに』
彼の言葉に、勉も頷いた。
「沈みかけた船からどうやって逃げるかは重要ではない、まず逃げることが大事だ」ということわざがドルテにはある。その逃げる機を失ったら、永遠に逃げられなくなるわけだ。ザイフリード大公国の状況は、正しくそんなところである。
ため息をつきつつ、勉はスマートフォンに視線を落とした。ザイフリードと繋がる接続点の店主からひっきりなしにメッセージが届く中で、アラームアプリの時計の針が、もう十秒ほどまで進んでいた。
もうすぐ、変わるだろう。
『全くです……さて、そろそろですね』
そう、全てを理解したように勉がつぶやいた途端。
「湯島堂書店」の入り口の外、ガラス戸のすぐ向こうで、漆黒の幕が瞬時に下りた。かと思えば幕が上から落ちて、フーグラー市アーレント通りの、石畳の広がるのどかな光景が広がっていた。空も、薄水色だったのが鮮やかな翡翠色だ。
『うわっ』
『なるほど……外が見えると、このように変わるのですか』
突然がらっと風景が変わったことに、扉の外を見ていたシュティーリケ公爵家の五名が驚きの声を上げる。年若い従者の二人は、驚きに目を見開きながら恐る恐る外の通りを覗き込んでいた。
これで、再び切り替わり。ドルテで時間が流れ始めたわけだ。勉が優しく微笑みながら、さっと店の外を指し示す。
『ようこそ、フーグラー市へ。歓迎いたします、シュティーリケ公爵家の皆様』
無事に、ザイフリードからマーへと移動できたことに、安堵の吐息を漏らすエドゥアルトとアロイジア。
安心した表情で店の外、フーグラーの街中に踏み出していく彼らを、そっと後からついていくようにしながら、にこにこと笑った勉は目尻を下げつつ呟いた。
「……さて、どうしたものかなぁ」
その声色は、困っていることがありありと分かって。
実里のこと以外にも、考えなければならないことは多そうだ。
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