第52話 宿探し

 礼拝に参加して、賛美歌を聞いた私たちは、教会の入り口でもう一度手を清め、プラーム教会を後にした。私たちの手の中には乾パンが数枚入った小さな紙袋。これとブドウ酢が、礼拝の後に信者の人に配られるらしい。酢は教会の中で飲み干したが、爽やかに酸っぱかった。


「はー……すごかったですね」

「すごいだろう。ドルテ語での歌の聞き応えはなかなかのもんなんだぞ」


 私が乾パンを口に放り込みながら言うと、ジャックさんが自慢げに笑って言った。

 ドルテ語で歌われる讃美歌はとても荘厳で、響きが非常にかっこいい。お店でBGMとしてかかっている歌謡曲もかっこいいと思ったが、全体的にかっこよく聞こえる言語なんだろう。

 プラーム通りを歩いてハントストアの方に戻りながら、ジャックさんがふとパーシー君に声をかける。


「ところでお前たちは、ホテルどこを取るのかは決めてあるのか」

「アッ……」

「イエ……決めてない、デスネ」


 ジャックさんの言葉に、パーシー君もデュークさんもハッとした表情を見せた。

 そういえば、そうだ。私たちはこうしてジャックさんと会えて、件のアプリも手に入れたけれど、日帰りというわけにはいかない。しばらくオールドカースルで滞在してからフーグラーに戻らないと、アータートン領の居住者扱いをされて帰るのが面倒になるのだ。

 となれば、ホテル探しは必須。だけどまだどこにも当てが出来ていない。


「そうなんですよね……どこのホテルが空いているかも分からなかったし、それにオールドカースル、ホテルめっちゃたくさんあって」

「まあそうだわな。この町は旅行者も多いからホテルも多い」


 「みるぶ」を開きながら私が言うと、ため息交じりにジャックさんが言った。

 私の「みるぶ」が二十数年前の情報が掲載されているものだとしても、オールドカースルのホテルの情報だけで実に四ページ。なんならオールドカースルという都市全体で、百五十を超えるホテルがひしめき合っている有り様なのだ。悩みもする。

 ジャックさんが立ち止まり、腕を組みながら小さく唸った。


「そうだな……とりあえず二番街で探すのがいいだろうさ。一番街だと高いし獣人族フィーウルが入れないことも多い。三番街だと治安が悪いし逆に竜人族バーラウが目立っちまう」

「あ、やっぱりそうなんですね」


 彼の言葉に私はぽんと手を打った。

 短耳族スクルト獣人族フィーウル竜人族バーラウという、ちぐはぐすぎる組み合わせの私たちだ。いいところに行こうとすると間違いなくパーシー君が中に入れないし、安いところに行こうとすると確実にデュークさんが目立つ。結果的に、どちらにも対応できる中流の区域を利用するしかないのだ。

 別にめっちゃいいお店に行きたいわけではないし、危ないところには近づきたくない。とは言っても、行動できる範囲が狭まってしまうのは、旅行としては少し残念な気分だ。


「ああ。だが二番街だからといって安心するのは早いぞ。イルムシャー地区の辺りなんかは浮浪者も多い。ちゃんと安心できる場所で宿を取るのがいいだろう」


 再び歩き出しながらジャックさんが言う。二の壁に寄り添うように広がっているイルムシャー地区は二番街の中でもグレードの低い地域で、三番街からやってきてクッシュ地区の飲食店からのおこぼれを狙う浮浪者が、よく見られるのだそうだ。

 パーシー君がほんのりと悲しそうな表情になりながら言う。


「浮浪者、ですカ……」

「首都ですからネ。人が多い分、そうシタ人たちもいるんデスヨ」


 デュークさんも少し眉尻を下げながら話した。やはり首都、人が多ければ金も多いし店も多い。ましてや食の都とまで言われるオールドカースルである。地球の東京都心部よろしく、お店から廃棄されるような飲食物も多いんだろう。

 デュークさんから聞いた話によると、そうした浮浪者や低所得者に対して、飲食店が閉店した後に店を開けて無償で食事を振る舞うシステムがあるらしい。お店は廃棄になりそうな飲食物を食べてもらえる、行く人は美味しい食事でお腹を満たせる。いいことづくめだ。

 だから、オールドカースルの飲食店は大概が、夜の10時で閉まるのだそうだ。夜中になっても通常営業を行うのは、バーなどお酒を中心に提供する店か、キャバクラみたいな接待を伴う店くらいだという。

 ジャックさんが顎に手を当てながら、少し考えつつ話す。


「そういうこった。とりあえずは……あれだな、利便性が高いのと安心できるのをバランス取ると、このパッシェン地区か、隣のケスマン地区でホテルを探すのがいいだろう。ケスマン地区なら、飲食店の集まっているクッシュ地区にも近い」

「へー……ありがとうございます」


 私の手の中に広げられた「みるぶ」の38ページと39ページ、見開きになったオールドカースルの全体図を指さしながら、ジャックさんが説明する。広いオールドカースルを見開き二ページに収めたものだから、一つ一つの地区がだいぶ小さくなってしまっているけれど、位置関係はよく分かる。

 パッシェン地区とケスマン地区、オールドカースル中央駅の近くに行ったモットル地区は、教会が多いこともあって治安がいいのだそうだ。それなら私も、だいぶ安心できる。

 お礼を言うとジャックさんは、にこにこ笑いながら私に言った。


「いいってことよ。ベンのやつにも『よろしく取り計らってやってくれ』と言われちまってるからな。なんかあったら俺が困る」

「アア、なるほど……」

「アガター先生、そんなニモ……」


 彼の言葉に、パーシー君もデュークさんも苦笑を禁じ得ない。

 そりゃあ、そんなにもベンさんから言付かっているんだったら気にもかける。ただ私を、ジャックさんと引き合わせてアプリインストールさせておしまい、なんてことをするなど、ベンさんらしくもないわけだ。

 ともあれ、大きな交差点。ここから「ハントストア」までついていくとしたら、ケスマン地区からは遠くなる。頃合いだ。


「じゃあ、とりあえずジャックさんと一緒にどうこうするのはここまで、ですかね?」

「そうだな、俺も店を空けとくわけにはいかん」


 ジャックさんに問いかければ、彼は大きな身体を揺らして頷いた。ズボンのポケットから手帳を取り出すと、そこにさらさらとボールペンで数字を書き記して私に握らせる。


「じゃ、何かあったら俺に連絡をしろよ。これがうちの店の電話番号だから、何かあったら連絡してくれ」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」


 頭を下げる私に、ジャックさんはひらりと手を振ってブレイハム通りに消えていった。私たちはこのままプラーム通りを進むか、逆に引き返していく形だ。

 手の中に収まった9桁の数字の羅列を見ながら、私はほうと息を吐く。


「電話番号……やっぱりあるんだなぁ」

「オールドカースルは街のあちこちニ公衆電話がありますノデ、それを使えバ電話がかけられマスヨ」


 私の漏らした言葉に、デュークさんがにこやかに言う。

 別にオールドカースルに限った話ではないが、ドルテの大きな都市には都市内を結ぶ電話網が整備されていて、市民や旅行者が自由に使える公衆電話が、昔の日本のようにあちこちに設置されているのだ。

 私もドルテにやって来てから数日、公衆電話の収まったブースを何回も見てきた。地味にスマホのカメラロールにも収まっている。

 日本の電話網がそうであるように、都市間を繋ぐケーブルは整っていない。だからあくまで都市内で遠隔に連絡をするもの、という位置づけだ。


「公衆電話かー、あるんだなぁ。懐かしい……あ」

「サワさん?」


 なんだかノスタルジックな気持ちになりながら電話番号を見ていて、私はひらめいた。カバンの中に手を突っ込む私を見て、パーシー君が首を傾げる。

 取り出したのはおなじみ「みるぶ」だ。42ページ、二番街のホテルのページを開きながら私は二人に問いかける。


「パーシー君、デュークさん、ホテルにも電話って通じてるよね?」

「ア……そうですネ、あるはずデス」


 私の言葉に、デュークさんがこくりと頷く。それを踏まえて、私はホテルのページを二人に指し示しながら、確認するように問いかけた。


「じゃあ、さっき教えてもらったパッシェン地区かケスマン地区のホテルに電話をかけて、お部屋が空いているか聞くことって、出来るよね?」


 つまりは電話予約だ。地球ではとっくに、インターネット上やスマホアプリでホテルを予約することも一般的になっているが、昔はホテルに電話をかけて部屋の予約をしたものだ、と会社の上司から聞いている。

 同じことがオールドカースルで出来ないはずはない。そもそも、ホテルに足を運んで「部屋の空きはありますか」と聞いて回るより、何倍も効率的だ。

 私の問いかけに、パーシー君もデュークさんも目からウロコが落ちたような顔をして、納得した様子で頷いている。


「アァ、なるホド。出来ますネ」

「その使い方ハ思いつきませんでしタ。さすが、日本人ジャポネーザの方」


 私に二人して、感心した言葉をかけてくる二人。こういう異文化的なブレイクスルーは、思わぬところに転がっているものだ、と改めて実感する。

 ともあれ、まずは公衆電話を探さないといけない。プラーム通りのような大きな通りなら、どこかにはあるだろう。


「じゃ、とりあえず公衆電話を探そう……でもどうやって電話をかけるかは、レクチャー、お願いします……」

「分かりマシタ」

「ご心配ナク」


 ただ、公衆電話を見つけたとして、ドルテの電話のかけ方を私は知らないわけで。一応手元に「みるぶ」はあるから、数字の対応表は見れるけれど。

 不安げな声を発しながら二人に頭を下げる私に苦笑を返しながら、デュークさんとパーシー君は私を先導するようにプラーム通りを歩きだした。

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