第2章 ケモノ男子と古都観光

第9話 初めまして、パーシー君

 翌朝。私は部屋のドアをノックする音で目が覚めた。


「Buna dimineata, doamna Sawa.」

「んぅ……?」


 ベッドの上で身じろぎした私は、私の名前が呼ばれた気がしてむくりと身体を起こした。

 頭を掻きながらベッドから降りると、乱れたバスローブを整えつつ靴を履いて、部屋のドアを開ける。

 果たして扉の向こうには、昨夜フロントで応対をしてくれた短耳族スクルトの女性スタッフが立っていた。


「おはようございます……えっと、ブナ ディミニャーツァ?」

「Buna dimineata, doamna Sawa. Suntem pregatiti pentru micul dejun.」

「……ミクル デジュン?」


 寝起きのぼんやりとした頭で、私を起こしに来たスタッフの言葉を反芻する。

 ミクル デジュン。昨日どこかで聞いたような。ホテルにチェックインする時だったっけ?そう思考していると、私のお腹がくぅーと音を立てた。

 そして何のことを言っているのか、理解した私はポンと手を打つ。


「あっそうか、朝ご飯」

「Da, da. Ca si cina, o puteti lua la restaurantul hotelului. Deoarece exista locuri limitate, va rugam sa veniti cat mai curand posibil.」

「ウンツェレグ、ムルツメスク」


 何やら説明をしてくれたスタッフの女性に、笑顔でお礼を述べる私。言っていたことの意味は類推するしかないけれど、少なくとも朝食の場所がホテルに併設されたレストランであることは理解できた。

 そうして私は部屋のドアを閉めて踵を返した。レストランに行く前に、着替えなくては。




 昨日着ていたニットにスカート、パンプスといういでたちで、朝のレストランにやって来た私だ。

 既に他の宿泊客が朝食を食べているようで埋まっている席もあるが、まだ半分ほど空席は見受けられる。

 そして、席についている客の半分ほどは長耳族ルング、もう半分ほどが短耳族スクルト獣人族フィーウルも僅かながら見られるが、そのいずれもが長耳族ルング短耳族スクルトの集団の一員、というより付き人として、だ。

 奥まったところの席では竜人族バーラウの二人組が、たくさんのスタッフに囲まれて給仕を受けているのも見える。


 何処の席に座ろうか、とレストランの中を見渡していると、私の目の前を狼の獣人族フィーウルのウェイトレスが、その両手にスライスしたバケットとオムレツ、カットしたトマトを乗せた皿を持って歩いていく。パメラちゃんだ。

 彼女はちらとこちらを見やると、パッと表情を明るくして立ち止まった。


「Buna dimineata, ミノリ」

「ブナ ディミニャーツァ、パメラちゃん」


 喜色満面のあいさつに、私も笑顔で挨拶を返す。パメラちゃんは手に持った皿をそのままに、後方の席をぐるりと指し示した。


「空イテル席、ドコ使ッテモイイ。ワタシ達、朝ゴハン持ッテイク」

「分かったわ、ありがとう」

「Cu placere.」


 私が投げかけたお礼の言葉ににっこり笑って返すと、パメラちゃんは足早に立ち去って朝食を待つ人のところに手に持った皿を運んでいった。

 そして私はレストランの真ん中あたり、二人掛けの小テーブルに腰掛けた。私の着席を目にしたウェイトレスが、すぐさまナプキンとスプーン、マグに入ったスープを持ってくる。


「Este o supa de pui.」

「ムルツメスク」


 コトリ、と小さな音を立ててテーブルにスープのマグを置いていくウェイトレス。所作も丁寧だ。

 様子を見るに、先に温かいスープを運び、先程パメラちゃんが運んでいたような朝食のプレートは後から運ばれてくるらしい。

 私はナプキンを広げて、鶏肉の入った澄んだ色をしたスープを一掬い、口に含んだ。




 朝食をお腹いっぱい食べて満足した私は、部屋に戻って顔を洗い、髪の毛を整えてからスマホを放り込んだ鞄を掴んでホテルのフロントに向かった。

 本当は軽く化粧をしたかったが、化粧道具を一切持っていない故、今の私はすっぴんだ。すっぴんでいても街の人達は全然気にも留めないし、かえって気が楽である。

 フロントに向かうと、昨日とは違うシャツを着たベンさんがソファに座って待っている。私を見つけると軽く手を上げた。


「おはようミノリちゃん、よく眠れたかい?」

「おはようございます、ベンさん。自分でもびっくりするくらいによく眠れました」

「よかった。朝ご飯は食べた後だよね? それじゃ、ギルドへ行こう」


 そう言いながらさっと立ち上がってホテルを出ようとするベンさんに、私は慌てて声をかける。私の手の中には借りている部屋の鍵があるままだ。

 日本だと大概、外出の際はホテルのフロントに鍵を預けていく形になる。そこがちょっとだけ不安になった私だ。


「あの、ホテルの鍵は持って行っていいんですか?」

「大丈夫、持ち歩いていていいよ。」


 あっけらかんと答えるベンさんに、私は何も言えないまま、バタバタとホテルを出るベンさんの後を追った。




「そういえば、ホテルの朝食はどう? 口に合った?」

「美味しかったです! 特にバケットが、何もつけていないのに味が濃くて」

「ははは、ドルテは小麦の栽培が盛んで、美味しい小麦が作れるからねぇ。こっちのパン屋で買ったパンをお土産に持っていくと、娘たちが喜ぶんだよ」


 大通りを歩いてギルドに向かいながら、私とベンさんは雑談に興じていた。パンの話をしながらベンさんがカラカラ笑う。

 パンをお土産に、か。それはいい案かもしれない、保存が利くかが気がかりだが。


「ベンさん、娘さんいたんですか?」

「うん、大阪に一人、神奈川に一人。二人とも結婚してるよ」

「はー、なんか、すごく意外です……」

「どういう意味かなぁ? あ、ここだよ」


 私が漏らした言葉に片眉を持ち上げながら、ベンさんは大通りに面した立派な建物の前で立ち止まった。

 石レンガで組まれた、重厚な造りの建物だ。高さも周りの建物より、頭二つ分くらいは抜けている。

 そんな建物に、まるで自分の家に入るかのような気楽さでベンさんは入っていく。私が入り口で立ち止まっていると、ベンさんがこちらを振り返った。


「ミノリちゃん、どうしたの。こっちこっち」

「あっ、はい!」


 立ち止まってこちらを振り返るベンさんの傍まで駆け寄ると、ちょうど左手側のカウンターに座る長耳族ルングの女性がベンさんに声をかけていた。


「Buna dimineata, domnul Agutter. Este vorba de cazul in care vorbeam ieri?」

「Da. Il poti suna pe domnul Olmsted?」


 ベンさんが女性に声をかけると、カウンターの女性は後ろの扉から奥の方へと消えていった。

 暫くそこで待っていると、私達の右手側、建物の奥の方から、顎髭を生やした体格のいい長耳族ルングの中年男性がこちらに歩いて来る。

 男性は私とベンさんに視線を向けると、大きく笑いながら小走りで駆け寄ってきた。


「Hahaha! Buna, Agutter! Ai venit deja?」

「Buna dimineata, domnul Olmsted. ミノリちゃん、彼がこのギルドの支配人をしているオルムステッドさんだ」


 ベンさんの紹介を受けて、私はオルムステッドさんにぺこりと頭を下げた。

 その私を手で示しながら、笑顔のベンさんがオルムステッドさんに言葉を投げていく。


「Acesta este doamna Sawa, care va deveni un contractant de data aceasta.」

「Sau prietena... esti japoneza?」


 ベンさんの言葉を受けたオルムステッドさんが、私に値踏みするような視線を向けてきた。

 じろじろとした、遠慮のない視線に私が身を竦めていると、何かを納得したような表情でオルムステッドさんが大きく頷く。


「Desigur, el va fi potrivit pentru aceasta slujba.

 Percy! Clientul va vedea, sa veniti in curand!!」


 オルムステッドさんが後ろを振り返って大きな声を張り上げると、程なくして一人の獣人族フィーウルの男性がこちらに近づいてきた。

 スラリとした長身の、狼の頭を持つ男性だ。優しげな瞳をしたその顔つきは、ぱっと見で結構ハンサムである。

 灰色の毛皮に覆われた身体に、シンプルなシャツとベスト、スラックスを身に着けている。履いている靴は獣人族フィーウルの足の形に合うような、ちょっと変わった形状だ。

 背後では毛皮と同じ色の、大きな尻尾が揺れている。そんな彼の肩をポンと叩いて、オルムステッドさんがにやりと笑って私に声をかけた。


「Doamna, el este tipul care se ocupa de ghidul si interpretul de astazi. Sunt un om de miros de animale, multumesc.」

「Imi pare rau, acest miros se naste.

 貴女が、ミノリ・サワさんですネ。パーシー・ユウナガ=レストンと言いマス。何卒、よろしくお願いいたしまス」


 存外に流暢で淀みのない日本語を、牙の生え揃った狼の口で話しながら、ガイド兼通訳となる獣人族フィーウル――パーシー君は私に向かって手袋をはめた右手をすっと差し出してきた。

 その手を数瞬見つめた私は、微笑みを返しながら握り返す。自己紹介のフレーズだけは、昨晩しっかり練習してきた。


「ウミ パレ ビネ デ クノシティンツァ。マ ヌメスク ミノリ。よろしくお願いします、パーシーさん」

「パーシー、で結構ですヨ。お好きなようにお呼びくだサイ。ボクも生の日本語ヲ勉強したいですシ、日本語のみで話してくださっテ構いません」

「じゃあ、パーシー君……でいいか」


 呼び捨てにするのもなんだか悪いような気がしたし、年下の彼を「さん」付けというのもあれなので、ベンさんに倣い「君」付けで呼ぶことにした私だ。

 しかし日本語話者でも苦労するポイントである敬語もしっかり使えていて、勉強することが他にあるのか、と言いたくなるのをぐっとこらえて、私はパーシー君と固い握手を交わすのだった。

 隣に立つベンさんも、パーシー君の隣に立つオルムステッドさんも、その表情は満足そうである。


「ところで先程、オルムステッドさんは何を……?」

「アー、『レディ、彼が貴女のガイドと通訳を担当します。獣臭い男ですが、よろしくお願いします』……だそうですヨ」

「ちゃんと毎日お風呂に入っているはずなのにねぇ、パーシー君?」


 ベンさんの言葉に、二人の間にどっと笑いが巻きおこった。

 そのまま、輪に入りきれなかったオルムステッドさんを置き去りにして、さっさとギルドを後にするベンさんとパーシー君を、走って追いかける私なのだった。

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