第8話 柔らかいベッドの上で

 夕食を済ませた後に私はベンさんと別れ、「ホテルル・サルカム」で自分が借りた部屋のベッドにその身を預けていた。

 シングルルームだし、ベンさんによれば長耳族ルング短耳族スクルト用のフロアに通されたし、部屋のランクもそれなりかなーと期待しないでいたのだが、ベッドは大きくてマットレスがフカフカだし、部屋自体も結構広々としていて狭苦しさが全然ない。

 お風呂はトイレが併設されている形式で、トイレも日本の洋式便器とは形が異なっていたが、バスタブは大きくてピカピカだ。私の住んでいる1Kアパートのユニットバスより大きいのは間違いない。

 快適だ。びっくりするほど快適だ。これで一泊が日本円換算で4,000円というのはなんとも凄い。

 だが。


「スイートルームは竜人族バーラウ専用、獣人族フィーウルに貸せる部屋は地下階だけ……やっぱりこのホテルもそう・・なんだなぁ……」


 そう、つまるところ、種族ごとに部屋のグレードがきっちり分けられているのだ。

 そもそも、ここのように「長耳族ルング短耳族スクルト用」と一緒くたにされているホテルの方が、本来は少数派。大半のホテルは未だに、長耳族ルング用と短耳族スクルト用で、フロアが分かれているのだそうだ。

 部屋も短耳族スクルト用の方は、ベッドのサイズがちょっと寸詰まりだったり、マットレスがちょっと薄くて硬かったり、という具合に一段グレードを落とされるらしい。

 これが獣人族フィーウル用となるともっと悲惨で、シングルサイズの簡素なベッドに板みたいな薄いマットレス、なんてことも珍しくないそうだ。


「なんかなー……非情な現実突き付けられた感じだなー……」


 そうして誰に聞かせるでもなく、返事を期待するでもなく、私は頭を乗せる枕に向かって言葉を吐き出していく。

 確かにこんな感じの差別は、中学校や高校の授業で習ったことがある。私は今年で26になるから、もう10年ほど前のことになるだろうか。

 ベンさんはインドのカースト制度を例にとっていたけれど、こうして肌に触れてみると20世紀初頭のアメリカでの黒人差別を思わせるものがある。

 職業的な差別もそう、使える施設のグレードによる差別もそう。もしかしたら今日は目にしなかっただけで、入れるお店の差別なんかもあるかもしれない。

 今日昼に入った喫茶店と、このホテルのレストランはどうだっただろうか。ふっと思案を巡らせる。巡らせるのだが。


「……あぁ、もう!」


 どうにも思考が堂々巡りしてしまって、思い返すに至らない。

 そもそも、ドルテに転移してきたのは今日の昼。まだ半日も経っていないのだ。一度に色々なことが起こりすぎて、ゆっくり思い返せという方に無理がある。

 突然放り出された異世界。通じない言葉とスマホの電波。目の当たりにしたガチガチの種族差別。出逢った日本語話者であるパメラちゃんの存在。

 あんまりにも濃密な午後の時間に、目の前がくらくらしてきた。


「ん、先にシャワー浴びてお風呂はい……あ」


 ゆっくりと体を起こした私は、慌ててベッドから跳ね起きてテーブル上の鞄を漁った。中から取り出したスマホのロックを解除する。

 相も変わらず時間は昼間のまま、電波は圏外。だが重要なのはそこではない。画面右上の電池マークに目を向けると。


「やっば……もう20パーしかないじゃん……」


 私の身体からスーッと血の気が引いて行った。

 この世界でどれだけ役に立つかは分からないけれど、スマホが電池切れのままというのは不便に過ぎるし、とても不安になる。現代人の悲しい性だ。

 それに、電波が通じなくてもカメラは使える。旅行というならせめてカメラでその風景を収めてから帰りたい。

 その為にはスマホの電池が無いといけないのだ。


 焦りを覚えながら、私は部屋の中を見回した。

 ベンさん曰く電気は一般家庭にも通っているとのこと。ホテルの部屋に通っていない道理はない。実際テーブルの上には卓上のシェードランプが置かれているのだし。

 一応、鞄の中にモバイルバッテリーとACアダプターは入っている。規格が合うかどうかは分からないが、コンセントがあれば何とかなる、かもしれない。

 しばしきょろきょろした私は、テーブル脇の壁に四角いパネルを見つけた。スライド式の蓋が付いていて、開くことが出来そうだ。


「ひょっとして……」


 蓋に手を当てて、ゆっくりと上方向にずらしてみる。スルスルと蓋は外れていき、中から姿を見せたのは壁に備え付けのコンセントだ。

 それを見て、思わず私はその場に崩れ落ちた。


「挿さんないじゃーん……」


 そう、日本で使われているAタイプとは、プラグの形状が違うのだ。多分、電圧も100Vじゃない気がする。

 だがもしかしたら、変換プラグをフロントで貸し出しているかもしれない。「みるぶ」にも変換プラグの存在は書いてあったし。

 私はお風呂に入る前に、スマホのACアダプターと「みるぶ」を手に、フロントへと赴くことにするのであった。




「スクザッツィ マ、ヴァ ローグ……あー……エレクトリス、コネクタ?」

「Conector de conversie a iesirii electrice? Da, va rugam sa utilizati aici.」


 ホテルのフロントに向かうと、短耳族スクルトの女性が一人でカウンター奥に座っていた。部屋にあったものより幾分か華美なランプが明るく点っている。

 私はスマホのACアダプタをフロントの女性に見せながら、なんとか使えるドルテ語と「みるぶ」で確認した「電源プラグ」の単語を駆使して問いかけてみた。

 すると私の意図したことはどうやらちゃんと伝わったらしい。フロントのカウンターの下にかがんだ女性が身を起こした時には、その手に日本のコンセントに対応すると思しき変換コネクタがあるではないか。


「Va rugam sa reveniti la receptie la check-out.」

「ダー、ムルツメスク」


 フロントの女性に笑顔でお礼を述べて、受け取った変換コネクタを手に私は部屋へと戻った。

 彼女がコネクタを渡しながら言っていたことはあんまり分からなかったが、「チェックアウト」と言っていたあたり、チェックアウトの時に返せばいいのだろう。

 部屋に戻って鍵を閉め、先程見つけたコンセントに変換コネクタを挿し、そのコネクタにスマホのACアダプタを挿し、ACアダプタのmicroUSB端子をスマホに挿す、と。

 元気のなかったスマホの画面がパッと明るくなった。同時に充電され始めるバッテリー。よし、大丈夫そうだ。


「やー、今気づけて良かったわー。お風呂、お風呂」


 ホッと一息ついた私は、改めてお風呂に入ろうとタオルを手に取って浴室の扉を開けた。




 お湯が出なくて冷たかったらどうしよう、と一瞬心配したが、赤い印の付いた真鍮製の蛇口をひねると、勢いよく熱々のお湯がバスタブへと流れ込んだ。

 みるみるうちに湯で満たされていくバスタブを見て安心した私は、身に着けていた服を脱いで隅の籠の中に放り込む。下着も靴下も脱いだ頃にはバスタブの半分くらいはお湯が入っていて。

 手を突っ込むと、ちょっと熱い。青い印の付いた蛇口をひねると案の定、水が出てきた。

 水でうめて程よい温度まで調整すると、私はバスタブにそっと足から入っていった。すっかり身を沈めて、ホーロー製のバスタブに寄りかかって、長い息を吐く。


「はー……」


 ようやく人心地付いた私は、ぼんやりと目を開けながら異世界でも風呂に入れる喜びを噛み締めた。

 やはり、身体を綺麗に保てるのはいいことだ。フーグラーの街が全体的に綺麗で洗練されていることにも安堵した。水と電気の問題もそうだ。

 しかし、明日以降も今日のようにスムーズに動けるとは限らない。明日からはベンさんでなく、ガイドのパーシー君が付くことになるであろうがゆえに、猶更予測が立てづらかった。


「パーシー・ユウナガ=レストン……どんな人だろう、怖い人じゃなければいいんだけどな」


 ベンさんの知人の息子だし、育ちもちゃんとしているそうだし、不安要素はあんまり無いけれど、だから安心できるかと言われたら、ノーだ。

 どうせならパメラちゃんに、「お兄ちゃんはどんな人?」とか質問しておければよかったのだが、後の祭り、後悔先に立たず。

 まぁ、パメラちゃんが「お兄ちゃんをよろしくお願いします」とかわざわざ言ってくるくらいだから、変な人ではないんだろうけれど。ないだろうと思いたい。

 そして私の方も、パーシー君に変な人だと思われたりしないか、ちょっと不安だ。

 ベンさんのことだから、私が日本人ジャポーニアであることはちゃんと伝えてくれていると思うけれど……だが、それ以上に一つ不安なことがある。


「下着も服も……替えを持ってきてないからなー……買わなきゃ……」


 積み重なる由々しき問題を頭の中に積み重ねながら、私は温かな湯船の中でもう一度、深く深く息を吐く。

 湯気と共に私の声は浴室に溶けていって、私のドルテ一日目の夜はこうして更けていくのだった。

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