第10話 二人の竜人族
ギルドの建物から飛び出すと、ベンさんとパーシー君は入り口を出たところで私を待っていた。
「それじゃ、必要な買い物を済ませつつ書店まで行こうか」
「そうですネ。サワさん、ドルテで使えル時計を持っていないデショウ?」
「あっ、はい……それに、服や下着も買わないと」
パーシー君の言葉に私は頷いた。確かに、時計が無いのは不便だと思う。
スマートフォンの時計は相変わらず昨日の昼から動いていないし。つまり地球では土曜日から時間が進んでいないということなので、それはそれで安心なのだけれど。
そうして歩き出そうとしたところで、私はふと思い立って足を止めて前を行く二人を呼び止めた。
「あ、そうだ。ベンさん、パーシー君、折角なんでギルドの前で一枚撮りたいんですけど」
「写真撮影ですカ? いいですヨ、ボクが撮りましょうカ」
「んー、出来ればベンさんともパーシー君とも一緒に撮りたいからなー、自撮りで三人入ればいいんですけど」
カメラアプリを起動させたスマホを片手に、腕を伸ばして画角を調整する私。そこにベンさんが手を打ち鳴らしながら声を発した。
「それなら二枚撮ったらどうかな、僕達三人で並んで撮るのと、ギルドの建物を入れて遠くから撮るのとで」
「いいですねー、それじゃそうしましょう。じゃあほら、ベンさんもこっち寄ってください」
ベンさんの提案に同意しつつ、私はスマホのカメラアプリをインカメラに切り替えて、腕を目いっぱい伸ばす。
それに合わせてベンさんとパーシー君が、ぐっと私の顔の傍に顔を寄せた。パーシー君のもふもふした顔が私の顔に触れて、柔らかくてちょっと気持ちがいい。
三人の顔がフレーム内に収まったことを確認して、シャッターをパシャリ。もう一枚パシャリ。
撮った写真を確認、手振れもなくいい感じだ。背景のギルドの建物がほぼ入ってないけれど、これはしょうがない。
「綺麗に撮れていますネ、最近のジャポーニアのデジタルカメラは、ここまで綺麗ニ撮れるのデスカ」
「スマートフォンのカメラは性能向上が著しいからねぇ。コンデジと大差ないくらいの写真が撮れるようになっているし」
私のスマホの画面をのぞき込んだパーシー君とベンさんが、揃って感嘆の声を上げた。
特にパーシー君は画質の良さに驚いているようだ。デジタルカメラには驚いていない様子だが、どこかで見たことがあるのだろうか。
「それじゃ、次はパーシー君と二人並んで、ギルドの建物を入れて撮ろうか。ミノリちゃん、スマートフォン貸してくれる?」
「あっ……アガターさん、今はダメでス。道の端に下がってくだサイ、サワさんモ」
「えっ?」
ベンさんがギルドの方に視線を向けていたところで、パーシー君はその反対側、ギルドの前に伸びる大通りの方を向いていた。
そちらに視線を向けると、なるほど確かに赤い旗をはためかせて、規模の大きな集団がこちらに向けて歩いて来る。
パーシー君の手が私の手首をそっと握った。そのまま私を道の端の方に寄せようとしている。
「あちらの道から
「おっと、いかんいかん。ミノリちゃんもそれしまって、早く」
「えっ、えっ?」
混乱しながらも私は鞄にスマホを放り込んだ。パーシー君とベンさんの間に挟まれるようにして、道の端、ギルドの建物の傍に寄るようにして二人に倣って膝をつく。
そうこうするうちにギルド前の通りをやってくる一団は先頭の
そして先頭の
男性の
「Opriti-va.」
声に応じて、ぱたりと行列が止まった。周囲の群衆が何事かとざわめきだす。
銀色の鱗をした男性の
「Este o fata pe care nu l-am vazut in patrularea lunii trecute. De unde va aflati?」
「!? え、えー……」
突然声をかけられて私がしどろもどろになっていると、スッと隣からパーシー君の手が伸びた。
私をかばうように腕を伸ばしたパーシー君が、顔を上げて自分たちを見下ろす
「Ea este un calator din Japonia, Contesa Arterton.」
「Nu-mi vorbi numele cu o gura murdara, stilul fiului.」
彼がその名を呼んだ途端、あからさまに不機嫌顔になった
顔に向けて吐きかけられた唾が、パーシー君の額にべちゃりとかかる。しかしパーシー君は呻き声も上げず、
目の前の事態に大きく目を見開いた私へと、
「Oricum, ar fi o introducere a domnului Agutter care este acolo. Neamurile de urechi scurte, nu ezita sa vii la conac daca nu poti sa stai rabdator cu mirosul de animale, asa ca voi continua sa caut alternative de multe ori.」
そう言い残して、
彼女は何か言いたそうにしていたが、再び進みだした行列と一緒に、ギルドの前から去っていった。
一団が去っていくのを確認したパーシー君が、ようやく息を吐いてポケットからハンカチを取り出した。額にかけられた唾は、既にだいぶ垂れてしまっている。
「ヤレヤレ、当代の伯は相変わらずですネ。ま、公衆の面前で蹴り飛ばさない分別を身に着けて下さっただけ、よしとしまショウ」
唾を吐きかけられたというのに、パーシー君は涼しい表情だ。事実を受け入れているのか、現実を諦めているのか、その表情からは窺い知ることが出来ない。
私は
「パーシー君……今の偉そうな
「そうデス。当代のアータートン伯爵、先代伯爵様の弟君。ブレンドン・サム・アータートン伯爵閣下デス」
私の顔をまっすぐ見つめ返して頷いたパーシー君が、少しだけ寂しそうな表情をして見せた。
そのままゆっくり立ち上がると、伯爵の一団が去っていった方を見つめつつ口を開く。
「先代の伯爵様――エイブラム・ゾーイ・アータートン様に、ボクたちレストン一家は仕えていましタ。
旦那様は
ちゃんとした日本語の教育ヲ施してくれたのも旦那様でしタ。アガターさんノ古書店から、色々と日本の本を買ってきてくださッテ……」
「エイブラム様とは、彼がアータートン家の当主になる前から、色々と懇意にしていただいていてねぇ。
僕がギルドである程度自由に活動できるのも、伯爵家の後ろ盾があってのものだし……なるべくなら当代の伯とも穏便に行きたいんだが、あちら側がなかなか穏便に済ませてくれないんだよねぇ。
エイブラム様の奥方様もかなり差別撤廃の急進派でいらして、パーシー君やパメラちゃんを可愛がってくださっていたんだが、今では立場を弱めておられるし。
伯の後ろに控えていた女性の
「えっ……でも、
同じく立ち上がったベンさんの話を聞いて、二人に合わせて立ち上がった私はきょとんとしつつ首を傾げた。
あの豪奢な衣服を着た男性がアータートン伯爵で、その後ろにいた女性二人が伯爵の奥様だというのなら、伯爵には奥様が二人いることになるのだろうか。
パーシー君が小さく口角を持ち上げる。
「マー大公国に限った話ではありませんガ、
奥様――グロリア・イングラム=アータートン様も、エイブラム様がお隠れニなった後、すぐさまブレンドン様が側妻としてお迎えになっテ……
ブレンドン様の最初の奥方様トハお迎えされる前から一緒に暮らしておりますカラ、奥方同士の変な確執もありませんしネ」
「はー……」
特定の種族にのみ重婚が認められているという優遇ぶりに、思わず声を漏らす私だった。
「可愛らしい時計が見つかってよかったですネ」
「はい。デザインも気に入りましたし、お手頃価格だったのもありがたいです」
「と言っても5アルギンですからネ、ボクたちくらいのお給金じゃ軽々しく手が出せませン。スリに遭わないよう、注意してくださいネ」
真新しい真鍮製の懐中時計を手の中で愛おしそうに包む私を見て、パーシー君が微笑みながら釘を刺してきた。
おっと、確かにこんなピカピカして可愛らしいデザインの懐中時計、人の目に留まっても不思議ではないか。いそいそと鞄の内ポケットにしまう。
それにしても、この世界も時計の目盛りは12個なんだなぁ、と思ったりしたのだった。やっぱり一日の長さは24時間なのだろうか。
「懐中時計は最初は慣れるまで大変だと思うけれど、使い慣れれば便利だからねぇ。
ともあれ、書店で両替をしたらパーシー君と一緒に服を――おや?」
ベンさんが話していると、何かに気が付いたようで立ち止まって眼鏡を持ち上げた。
見ると、シャッターを下ろしてある「
婦人の服装はシンプルでこそあるものの、一目で
「お客さんでしょうか?」
「あー……ん、待てよ、あの
眼鏡を下ろしたベンさんが、慌ててバタバタとお店の方に走り出した。すぐさま私とパーシー君も後を追って走る。
私達が走ってくる音を聞きつけたか、
「Profesor Agutter, Buna ziua! Ai avut o zi libera astazi?」
「Doamna Gloria, bine ai venit! Fiti rabdatori, deoarece putem deschide magazinul acum.」
突然走って息を切らし、肩を上下させるベンさんが顔を上げてにこりと笑う。
その後から追いついて店の前までやって来た私達に視線を向けた婦人が、パッと笑顔になった。
「Percy! Erai si tu aici. Lucrarile introduse merg bine?」
「Doamna... Sotia mea parea sa fie si in buna stare de sanatate. Am o interpretare pentru aceasta femeie de astazi.」
婦人が笑顔を向け、声をかけた先はパーシー君だ。声をかけられた当人に視線を向けると、目を大きく見開いて口をぽかんと開いていた。
そのパーシー君の視線が私に向けられる。その視線に引かれるように、婦人の銀色の瞳が私に向けられる。
「マア、ということはこのお嬢さんは
アータートン伯爵家第二夫人、グロリアと申しマス。どうぞ、お見知りおきくださいナ」
パーシー君と遜色のない流暢な日本語でそう言って、
突然に訪れたお貴族様との邂逅に、私の脳みそは混乱と驚きで、すっかり停止してしまっていた。
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