第11話 グロリア夫人の回想
グロリアさんとお付きの二人を伴って、「湯島堂書店」に入った私たちは、ベンさんに手持ちの千円札をアルギン銀貨に両替してもらいながら、グロリアさんと雑談をしていた。
貴族の人を相手にした会話なんて私には一切経験が無いわけで、どう話したらいいものか分からなかったけれど、グロリアさんの方からどんどんと話しかけてくるし、「普段通りに話してくれればいいのヨ」と仰ったので、あんまり身構えずに話をしている私だ。
グロリアさんが私を中心に話題を振ってくるので、ベンさんとパーシー君はだいぶ蚊帳の外だ。
「それにしてモ良かったわネェ、パーシーが手すきの時にこちらに転移して来れテ。あの人はああ言っていたけレド、この子ほど日本語を喋れる通訳は、アータートン家にもいないのヨ」
「そ、そうなんですか……と言っても伯爵様が何て仰っていたか、私全然分からなかったんですけど。パーシー君も教えてくれないし」
「ホホホ、そりゃあそうよネ。『短い耳の異邦人、彼奴の獣臭さに我慢できなくなったらいつでも私の城に来なさい。彼奴よりも優れた通訳を用意してあげましょう』だナンテ、わざわざ通訳して伝えル必要無いモノ」
明らかに日本語で、かつ身分に似合わない軽い口調で「ホホホ」と笑いながら、竜の頭部と鱗を持つ目の前の貴婦人は口元を覆い隠した。
グロリアさんの日本語があまりにも熟達しすぎていて、たまにここが異世界だということを忘れてしまいそうになる。
「そんなことを……それにしても夫人、日本語すごくお上手ですね」
「アリガトウ、日本の方にそう言っていただけるのハ嬉しいわ。日本語研究の成果が出ていることヲ、確認できる機会ってあまり無いカラ……
今連れてイル付き人の二人も聞き取りは出来るけれド喋れないシ、アガター先生とは付き合いが長すぎテ上達が分からないモノ」
にっこりと私に微笑みかけるグロリアさんの言葉に、私は目を見開いた。
思わず両膝に手をつき、座ったまま身を乗り出して口を開く。
「日本語を研究していらっしゃるんですか?」
「そうヨ。私が主ニ研究しているのは
このお店の力も借りテ、東京にsondaje de teren……えぇと何て言ったカシラ。フィールドワーク?に出たことモ何度かあるのヨ。
勿論、毎回出かける先の街の人には、随分ト驚かれてしまっているワネ」
困ったようにまなじりを下げるグロリアさんに、私は大きく頷いた。
そりゃもう、こんな頭の先から爪先まで鱗に覆われ、翼に尻尾まで生やしているファンタジックなドラゴンそのままの特徴を持った人が、日本の街中を闊歩して、流暢な日本語で喋るなどしたら、十人中十人が例外なく驚くだろう。
というか、メディアやSNS利用者に捕まったりはしなかったのだろうか。
私はカウンターの内側でお金を数えるベンさんの方に顔を向ける。
「ベンさん、日本の人にドルテのことって、普通に伝わってるんですか?」
「いやぁ、存在すら知らないって人が殆どだろうねぇ。二つの世界が繋がっているってことも、国家と警察以外にはほぼ知られていないと思うよ。
夫人は二十年くらい前からお供を連れてそれなりの回数日本に行ってるけれど、あまりにも神出鬼没だから都市伝説化してるし」
ベンさんは苦笑しながら私の質問に答えてくれた。
曰く、日本語のサンプルを集めるためにフィールドワークに行った際、街の居酒屋で飲んだくれたり、お土産を物色したりしているんだそうで、その度に警察に連絡が行き、最近ではもう警察の中に専門に対処する人がいるくらいなんだそうだ。
写真撮影にも喜んで応じるし、SNSへの投稿も大歓迎というスタンスを一貫して続けているから、行く度にグロリアさんの写真が大量に流れるんだとか。
ぽかんと口を開く私の前で、ベンさんが小さく肩をすくめる。
「逆に大公国内では、大体の人は日本や地球の存在だけは知っているってくらいかなぁ。
日本円のコレクターがいることはもう話したし、日本語とドルテ語の通訳や円とアルギンの両替も職業として成り立っているからね。地球とドルテを繋ぐ入り口も、なにもこの店だけじゃあないわけだから。
ただ、夫人のように日本に実際に行ったことがあるという人は一握りだ。僕が把握している限り、この店を通じてドルテから日本に行ったことがあるのは、夫人の他には先々代のアータートン伯、昨日店に来た常連のチャーリー、パーシー君とパメラちゃんのお父さんくらいなものだね」
なるほど、やっぱり日本の人にはドルテの存在は殆ど知られていないのか。
無理もないと言えば無理もない、実際に地球と繋がる異世界がある、と考える人がいたら、漏れなく狂人扱いだろう。こうして実際にあるわけなんだけど。
しかしそうなるとますます、グロリアさんが地球に行った時に変な騒ぎにならなかったのかが心配だ。騒がれること自体は、しょうがないとしても。
そして逆に、ドルテの側では地球の存在が結構認知されている、という事実に驚きを隠せない。
驚きを顔に貼り付けたままでグロリアさんの方に向き直ると、頬に手を当てたグロリアさんが首を小さく傾けた。
「ドルテに住む人々は、異国や異世界の存在を知ってはいるケレド、あまり異国に旅立つという経験をすることが無いノ。
勿論、ドルテと日本では貨幣価値が大きく違うのモあるでしょうけレド……基本的に物流が国内で完結しているカラ、国境を超える必要性があまり無いのヨネ」
「そうなんですか?」
グロリアさんの零した言葉に、私はますますその目を大きく見開いた。
国内で物流が完結しているということは、ものの自給率が非常に高いということになる。地球ではちょっと考えにくい事態だ。
私に向かって、グロリアさんがそっと頷きを返す。
「勿論、その国だけの特産品というものはあるシ、それらのやり取りは国を超えて行われるのヨ?
マー大公国だと
「どれも高級品……そういうことですか」
「ソウ、市民の生活に直結する品ではナイ。市民の生活に直結しない
だから、国内を行き来する商人が多くてモ、国外に出て商売する商人の数ハ、とても少ないのネ。高級品を欲しがるのハ貴族か大商人ダカラ、信頼できる相手とノ取引を重要視するのもあるワ」
グロリアさんの話を聞いて、私は深く考え込んだ。
国外から国内へ、または国内から国外へという人の流れがほぼほぼ無いということを考えると、行動はマー大公国内で完結させた方がよさそうだ。
国外に出ようとしたら、私やパーシー君では確実に怪しまれる。渡来商人という風体でもないわけだし。
そもそも私はドルテから日本に帰る為の出入り口を、ここ「湯島堂書店」しか知らない。フーグラー市から大きく離れるのも考え物だろう。
ひとまず、しばらくの間はフーグラー市の中やその周辺で行動するとして、その為には市内で立場のあるグロリアさんと知り合えたのはきっと大きいことだ。
私が思い切って顔を上げると、ちょうどグロリアさんが私の顔を覗き込むように身を屈めたところだった。
「はぅっ!?」
「アラ……ごめんなさいね、考え事をされていたように見えたカラ。
ねぇ、ミノリサン。貴女、フーグラー市に来たのハ何日前?」
「えぇと……昨日の昼間、です」
私の目をじっと見ながら問いを投げるグロリアさんを、直視できないままに私が答えると、彼女はゆっくりとその身を起こした。
「ソウ……とても最近なのネ。早いうちにお会いできて幸運だったワ。
あんまりドルテに居過ぎると
「忘れてしまう……ですか?」
首を傾げた私の両肩にそっと手を置いて、グロリアさんがゆっくりと頷いた。
「そうヨ……アサミもそうだったワ。こちらの世界ニ迷い込んできて、アガター先生の手デ私のところまで連れて来られテ、一月もする頃ニハ「
そうしてそのまま、私のところデ本格的に働き始めテ、私ノ付き人だったロジャーと結ばれテ、パーシーとパメラを産ンデ……」
言葉に詰まった様子で、俯くグロリアさんの目尻に涙が珠となって浮かんだ。
忘れてしまう、というのもあるが、諦めてしまうのかもしれない、日本に、地球に帰るということを。
人間、どうしても元居る場所に帰る見込みが立たなくなると、その場所や国で生きていこうという決意を固めがちだ。その場所が異世界とあれば、猶の事諦めも早くなるだろう。
そのまま静かに涙を流すグロリアさんが、黙ったままの私の両肩を掴んだままだと思い出したのか、ハッと手を放して目尻の涙を拭う。
「……やだワ、私ったら。すっかり年を取ってしまったわネ、こんなしみじみと思い出話を語ってしまッテ」
「いえ……ありがとうございます」
「ボクからも、お礼を言わせてくだサイ、奥様。
サワさんは旅行者、いつかハ日本に帰らないといけない人、その認識を改めテ感じマシタ」
それまで静かに話を聞いていたパーシー君も、グロリアさんに静かに頭を下げた。
そう、私はドルテに
心の中でしっかと決意する私とパーシー君に、小さく何度も頷いてグロリアさんは口を開いた。
「いいのよ、パーシー、ミノリサンも。早く、日本に帰れる日ガ来るといいわネ……
さ、湿っぽい話はここまでにしまショ! アガター先生も書店ノお仕事があるのだし、ここからは私に任せなサイ!
パーシー、この後のスケジュールは決まっているノ?」
「へっ!? えー、ソウデスネ……こちらで日本円の両替をした後、サワさんの服を買いに行く予定になっていマス……
その後は未定ですガ、お昼ご飯でもどうかな、とハ」
突然に話を振られたパーシー君が困惑しながら答えると、グロリアさんは座っていたスツールを蹴って立ち上がった。
そのまま握りこぶしを作ってドンと胸を叩いて見せる。
「分かったワ、服屋なら私が懇意にしてイル店がたくさんあるわヨ!昼食もおすすめノお店があるワ!
安心してちょうだい、ミノリサン!」
「は、はいっ!? よろしくお願いします……」
「そうと決まれバ善は急ゲ、思い立ったガ吉日! セオドア、ヒューゴー、
「「Da doamna!」」
いつ覚えたのか、慣用句まで披露してグロリアさんは大股で店の外へと歩みだした。お付きの
残されたのは、完全に置いてけぼりを食らった私とパーシー君、そして元より店番の必要があるベンさんだ。
「そうでシタ……奥様は、非常ニ活動的でいらっしゃッテ、よくお屋敷を飛び出されてハ何日もお帰りにならなイようなお方でシタ……」
「日本に行っていた時も、私の傍を何度も離れてはあちこち彷徨っていたねぇ……大衆居酒屋で飲んでる酔っ払いの集団に加わってビールを浴びるように飲んだりとか……」
「パーシー君もベンさんも、苦労してきたんですね……」
額を押さえつつかぶりを振るパーシー君と、呆然として店の外を見つめるベンさんに同情を禁じ得ずに、思わずパーシー君の肩を叩く私なのだった。
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