第47話 回復、出立
翌日の昼過ぎ。朝食を食べる前に採血をして、その血液検査の結果を持って来たゴドウィン先生は、明らかに苦笑していた。
「...A fost o surpriza.」
ドルテ語で発せられたその言葉を聞いて、パーシー君も目を丸くしている。困ったような表情をして、小さく身を乗り出している。
「S-a intamplat ceva, doctore?」
心配そうなパーシー君に対し、ゴドウィン先生はドルテ語がびっしり書かれた検査結果のようなものを彼に見せた。その上で、笑みを深くして言う。
「Imi revin complet. Puteti parasi spitalul in aceasta seara.」
「Intr-adevar!?」
出されたものを見て、素っ頓狂な声を上げるパーシー君。言っていることの意味が分かってない私だけが置いてけぼりだ。当事者なのに。
「あの……何か、あったの?」
右往左往しながらパーシー君のシャツの袖を小さく引くと、彼はこれまた視線をあちこちに巡らせて、ゆっくりと口を開いた。
「……エェト。今日の、夕方には、もう退院できる、とのことデス……健康体だと……」
「へっ!?」
そして告げられる事実に、私も素っ頓狂な声を上げるしかなかった。
退院だなんて。それも今日の夜に。入院したの昨日だぞ。
持って来た検査結果の紙をめくりながら、ゴドウィン先生が淡々と告げる。
「In mod surprinzator, nu exista anomalii in rezultatele testelor. S-ar putea sa fii slab, dar daca nu te exersezi din greu, vei fi bine.」
「『驚いたことに、検査結果には何の異常も見当たりません。体力は衰えているかもしれないですが、激しい動きをしなければ大丈夫でしょう』……とのことデス」
通訳してくれたパーシー君に、目を真ん丸に見開いて視線を投げる私だ。
「早くない?」
「早いデス。普通ならもう一日はかかりマス」
私の問いかけに、パーシー君がこくりと頷く。曰く、急性異血症は意識を取り戻したら回復は早いけれど、それでも動けるようになるまで二日はかかるものだそうだ。
それが、私はほぼ一日で回復しきった。なんてことだ。
「……って、ことは?」
「ハイ。退院して、お荷物をまとめたらすぐに、オールドカースルに向けて出発となりマス」
確認するように問いかければ、またこくりと頷くパーシー君だ。
そう、つまりはそういうことだ。退院したら、フーグラーを離れないといけないのだ。なるべく早く。すぐにでも。
ベッドの上で、がっくりと項垂れる。
「急だ~~~」
「本当に、ソノ、申し訳ない限りです……サワさん」
パーシー君も申し訳なさそうに、私の肩に手を置いてくる。彼にどうにか出来る問題ではないし、早くオールドカースルに行かなければならないことは昨日にさんざん説明してもらったから、分かっているけれど。
ともあれ、そういう話なら安穏とベッドに横たわっているわけにもいかない。早く準備を進めなくては。
「お着替えしまショウ。奥様とデューク様にお知らせしてきますノデ」
「Multumesc. Pe aici, va rog.」
「えっあっ」
さっさと動き出すパーシー君と、病室を出ていくゴドウィン先生。戸惑いながらも引き留めることは出来ず、一人病室に取り残された私だが。こうしてはいられないと、ベッドから出て立ち上がり、着替え始めた。
退院の手続きをして、グロリアさんが手配した馬車でレストン家まで向かって、アサミさんやロジャーさんに挨拶をして、キャリーバッグに荷物や服を放り込んで。
そうして再び馬車に飛び乗った私は、国営鉄道フーグラー線、フーグラー市中央駅にやってきていた。
トゥーラウ地区の端の方にある市中央駅は、フーグラー線の終着駅に当たる。今はここから北方向の町に路線を延伸中なので、一区画は慌ただしく工事しているが、それでも広いロビーと綺麗な内装を持つ、立派な駅だ。
その駅の中で、構内放送が響いている。特急券の切符と乗車券を三人分買ったところで、放送がようやく耳に入ってきた。
「Ajuns in orasul Fugler Central gara. Trenul catre Oldcastle Central gara va pleca la cinci minute dupa platforma trei.」
「オールドカースル行きの電車? どこのホームだって?」
「3番ホーム、五分後に発車するワ。急ぎまショ」
グロリアさんに急かされるようにして、私は3番ホームに駆けていく。見送りのグロリアさんも、パトリックさんも、わざわざ駆けつけてくれたブレンドン閣下にダフニーさん、ベンさんも入場券を買ってホームに入った。
指定された号車の扉が閉まるには、まだ間がある。まぁ、日本の厳密な運行がおかしいだけで、海外でも電車の遅れなんてしょっちゅうなのだから、ここで発車が遅れることも、普通にあるのかもしれないけれど。
鮮やかに彩られた特急車両の前で、私は見送ってくれる皆に、深く頭を下げた。
「すみません、最後までバタバタして……」
「何から何まで、ありがとうございまシタ、奥様方、旦那様、パトリックにアガター先生モ」
「パーパ、マーマ、パトリック、アガター先生……行って参りマス」
パーシー君も、デュークさんも、各々の荷物を持ちながら見送る面々に頭を下げた。私達三人へと、皆がにこやかに手を振ってくれる。
「うん、楽しんでおいで、三人とも」
「ええ、いってらっシャイ。くれぐれも気をつけてネ、ミノリサン」
「道中、何卒お気をつけクダサイ」
「Ma rog pentru siguranta calatoriei tale.」
「Va rugam sa aveti grija de corpul vostru.」
各々の、見送りの言葉。私を気遣う言葉。
それを受け取って、胸がぐっと詰まる思いがして。
涙が零れ落ちそうになるのをなんとかこらえながら、私も手を振る。
「ありがとうございます……行ってきます!」
「サア、乗りましょう。足元にお気をつけテ」
にこやかに笑って、挨拶をして。パーシー君に付き添われながら特急車両に乗り込む。
と。ホームの後方、改札口からこちらに駆けてくる足音がする。
「フラーテ! ミノリ!」
「あ……!」
聞き覚えのある声、呼びかけ方だ。
そちらを見れば、犬っぽい頭をした
間違いない、レストン家の面々だ。おうちで挨拶をしたからここには来ないと思っていたのに。
「パメラ!」
「パメラちゃん! ロジャーさん、アサミさんも!」
私とパーシー君が声を張るが、その時に鳴り始める発車のベル。
音を立ててドアが閉まりゆく中、パメラちゃんとロジャーさんが声の限りに私へと呼びかける。
「Toata lumea, bine ati venit!」
「Bine ati venit!」
その、ドルテ語での挨拶を車内に放り込むようにして、特急車両のドアが閉まる。電車が動き始め、見送りの皆の姿が見えなくなり始める。
アサミさんの挨拶、間に合わなかったな。そう思いながら私は自分の座るべき席へと向かった。一等車の指定席ということもあり、他の乗客の姿はまばらだ。
だんだんと速度を上げて流れていく、フーグラーの夜の街並み。
これからは電車の旅だ。数回の停車を経て、明日の朝にはオールドカースル中央駅に着けるらしい。
ボックス席の、少し硬さのある座面に座りながら、私はぽつりと、隣に座るパーシー君に声をかける。
「……パーシー君」
「なんでショウ」
声をかけてきながら、私の手にパーシー君の手が重なった。そのぬくもりに目を細めながら、私は先程の言葉を脳内で反芻する。
「ビーネ アティ ヴェニット」。確か、みるぶにも載っていたフレーズだ。
「さっきのって、『いってらっしゃい』?」
私が問いかけた言葉に、パーシー君もデュークさんも、少しだけ目を細める。
いってらっしゃい。
その言葉の意味を、重たさを、知らない二人であるはずがない。
だが、間違いではない。私はいずれ、またフーグラーに戻ってくるのだ。戻って、湯島堂書店から地球に帰るのだ。
私の目を見つめ返しながら、二人がこくりと頷く。
「……ハイ、そうデス」
「……そっか。ところでブレンドンさんとダフニーさんは、なんて?」
「『あなたの旅の安全を祈ります』、そして『体調にはお気をつけて』、ですヨ」
「ハハ、やっぱり、賓客ですモノネ。パーパもマーマも、ミノリ様を気にかけテくださっているノデス」
同じくドルテ語で話してきたアータートン伯爵夫婦の言葉についても聞くと、明瞭な答えが返ってきて。それにデュークさんも笑いながら言葉をかけてきて。
これから私は、未知の町へと……全く知り合いのいない土地へと、この二人と共に旅立っていく。
楽しみなようで、怖くもあって。
私は、カバンから取り出した古本の「みるぶ」を取り出し、もう一度ページをめくり始めるのだった。
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