第12話 差別する者される者
「サァ、どんどん食べなサイ、ミノリサン! フーグラーの野菜は美味しいんダカラ、いっぱい食べないと損ヨ!」
「は、はぁ……パーシー君これ何? ラディッシュ?」
「んっ? あぁこれですカ、sfecla――アカカブですヨ、甘みが強くて美味しいんデス」
フーグラー市の大通りに面した、レストラン「グラディーナ」にて。
私はグロリアさんに山のようにサラダを取り分けられた皿を渡されて、目を白黒させていた。
「湯島堂書店」からさっさと出ていったグロリアさんを追いかけた私とパーシー君は、追いつくや否やグロリアさんに引っ張られるようにしてこのレストランに連れ込まれたのである。
五名分の席をさっと確保して、てきぱきと注文をこなすグロリアさんに呆気に取られっぱなしの私に、私の隣に座ったパーシー君が「ここは奥様に任せまショウ」と耳打ちしたのが10分ほど前。
まずやって来た山盛りのサラダを嬉々として自ら取り分けるグロリアさんは、全く以て貴族らしくない手際の良さだった。
「グロリアさん、そんな、立場のある方なんですから、自分でサラダを取り分けたりしなくても……」
「Este obisnuit pentru sotie, nu este nimic de ingrijorat.」
「Doamna, va rog sa-mi transmiteti sarea.」
私と同じようにサラダを山盛りにされた皿を受け取りながら、付き人の一人、虎の
その隣に座るもう一人の付き人、熊の
二人が言っている意味はもちろん分からない。というか、パーシー君にグロリアさんと通訳を出来る人が二人もいるので、分からなくても困らない現状がある。
しかしてパーシー君に視線を投げかけると、咀嚼していたレタスを飲み込んだパーシー君が表情を崩した。
「『いつものことなので、気にしないでください』『奥様、塩を取ってくださいますか』だそうデス……実際、日常風景ですヨ、奥様が自ら料理を取り分けるノハ、昔から」
「だってそうでショ、人に任せているヨリ自分で好きなように取った方ガ、何倍も早いじゃナイ。お野菜だって早いうちニ食べた方が美味しいのヨ」
はい、その通りだと思います。思いますけどそれでいいんでしょうかグロリアさん、貴族として。
そんな言葉をぐっと、甘みのあるアカカブと一緒に飲み込んだ私である。
私の代わりに口を開いたのはパーシー君だった。
「それにしたッテ、奥様、巡回が終わった後カラ
確かにボク達、ギルドの前でサワさんと写真を撮ったりしてカラお店に向かいましたケド」
「そうカシラ? これでもちゃんとあの人のお城までハ着いて行ったのヨ。
お城に着いてすぐに私のお屋敷に戻ッテ、セオドアとヒューゴーを連れてアガター先生のお店ニ向かったら、まだ先生方が来ていなかったノヨネ」
サラダを取り分け終えて、自分の席に座ったグロリアさんが、フォークを手に取りながら首を傾げつつ告げた。
その言葉を聞いて、私は大きく目を見開いた。前々から気になっていたこともあるわけで、食事の手を止めて口を開く。
「私のお屋敷……えっ、グロリアさん、伯爵と一緒に住んでいるんじゃ……?
それに確か、今の伯爵が伯爵になった時に、
「勿論普段はあの人と一緒にお城にいるわヨ? それとは別に、私が個人で所有しているお屋敷ガ、バックハウス通りに一軒あるノ。
私の前の夫……エイブラムがアータートン伯だった頃に、お城で働いてイタ
「ということは……」
「そうデス。ブレンドン閣下が城から追い出しタ下働きのうち、新しい働き口を見つけられなかった者ハ、奥様が自らの私財で面倒を見ておられマス」
フォークを持ったままの手がテーブルの上に落ちていることも忘れ、私は口をぽかんと開けていた。
パーシー君がグロリアさんの後に継いで説明してくれたが、その話の内容も呆気に取られるのに拍車をかけた。
ウェイトレスさんが運んできたスパゲッティのような麺類の大皿を受け取りながら、グロリアさんが私を見て目を細める。
「信じられナーイ、っていう目をしているワネ。分かるわヨ、その気持ち。
私も第二夫人だから、アータートン家での立場がそこまで強いわけではないワ。日本語研究で本も何冊か出版しているし、大学で教鞭も取っているけレド、そこまで安定した収入には結びついてイナイ。
でも、一度は私の家デ面倒を見ることを約束した子たちだモノ。責任を放棄するのは忍びないッテわけ」
そう言いつつ、フォークでスパゲッティを絡めとりながら自身の皿へと取り分けるグロリアさん。
私の隣のパーシー君が、そっと苦笑しながらパスタ皿に手を伸ばす。私の皿の上にパスタを取り分けながら口を開いた。
「本当ハ、ボク達の一家も屋敷で養ってくださるつもりだったんデス、奥様は。でも、パーパがそれを断っタ。
ギルドに自分だけでなく息子にまで働き口ヲ作ってくれただけでナク、パメラの就職まで面倒を見てもらったノニ、これ以上夫人ニ迷惑をかけるわけにはいかないッテ」
「ホント、昔から頑固な子なのよネ、ロジャーったラ。まぁその代わりニ、住む家の面倒はちょっとダケ見させてもらったケレド!
「ホテルル・サルカム」にも恩を売れたのだカラ、気にすることは無いって言ったのにネ」
自身の皿に取ったスパゲッティを口へと運びながら、グロリア夫人は頬を膨らませつつそう言った。
二人の話に、私は今が食事中であることも忘れて俯いた。視界に入った皿の上で、トマトソースの絡められたスパゲッティがほかほかと湯気を立てている。
その湯気に目をくすぐられるようで目をキュッと細めた私は、何故だか自分がひどく世間知らずでみじめな存在に思えて仕方がなかった。
「なんで……グロリアさんはそんなに、
「気にナル?」
スパゲッティを咀嚼して飲み込みながら、グロリアさんは私をまっすぐ見つめた。
その視線を受け止めきれず、目を逸らす私の口から、ぽつりぽつりと言葉が溢れ出す。
「だって、どれだけ力を尽くしたって、人種を変えられることは、ないじゃないですか。
面倒を見たって、世話をしたって、周りの社会が同じように差別せずに扱ってくれるわけじゃ、ないのに……」
「まぁネ。
私一人が力を尽くしたって、簡単に社会は変わらないワ。それは痛いホド分かっているノ。
私や、エイブラムが、どれだけ差別撤廃のために動いテモ、当代の大公様の力をお借りしても、フーグラー市から完全に人種差別ヲ無くすことは出来なかっタ。
それデモ、私は強く信じているのヨ。
「グロリアさん……」
みじめで卑屈な私を見ても怒らず、たしなめず、優しい笑顔のままで、グロリアさんは言葉を並べた。
同じ人間。そこに一際力を籠めて彼女は言った。
なんて、尊くて気高い考え方だろうか、と私は思う。それまで私の中にあった貴族というイメージが、
「ミノリサンは、日本にお住まいダシ、日本人だかラ、人種差別に晒されることなく生きてこられテ、本当に幸運だと思うのヨ。羨ましいとも思うワ。
私も許されるなら日本ニ住みたいくらい。エイブラムと私の間にハ息子が二人いて……エイブラムが死んだときハまだ成人していなかったカラ、爵位を継ぐことハ出来なかったのだけれド、日本の学校ニ留学させることも、一時は本気で考えたワ。
でも、そうしなかっタ。日本に行ったラ、今度は私たちが
自分の愛する子供ガ他者から虐げられることのないようにしたイ。だから私は、
優しい眼差しを私に向けて、グロリアさんはふっと表情を綻ばせた。
そして私はようやく理解する。日本人の外国人、異邦人に向ける好奇と恐怖の眼差しも、また
ましてやグロリアさんは実際に日本に赴いてそれを身をもって体験している。自分が「差別される側」に回ったことのある人なのだ。
私には思いもつかないほどの辛い経験を、何度もしてきたことだろう。それを慮れない自分自身が、途端に恥ずかしくなって、私は再度俯いた。
「教えてくれて……ありがとうございます、グロリアさん。私、差別について、今まで考えたこともありませんでした」
「そうよネ、分かるわヨ。私も学生の頃までハ自分の立場を疑ったことなんてなかったモノ。貴女みたいに幸せナ世界で生きてきたのナラ猶更。
若いうちはそれでいいのヨ……ah, multumesc!」
年長者らしい、立場のある人物らしい度量の広さを見せつつ、ウェイトレスさんが運んできたフライドチキンの皿を受け取るグロリアさん。
その優しく懐の広いところに、確かな救いを見出した私なのだった。
「食事が終わったら、服を買いに行きまショ。大丈夫、買い物中、男どもは外で待たせるからネ!」
「グロリアさん……いやまぁ、下着も買わないとなんで、それは本当にありがたいんですけれど……」
「いやいいんですよサワさん、気にしなくテ。ボク達が女性ものの下着屋に入るわけにいかないじゃないデスカ」
フライドチキンをナイフとフォークで切り分けながら、グロリアさんは朗らかに笑った。
そうだ、私はこれから服を買いに行かねばならない。更に言うならば下着もだ。確かに男性陣が周囲にいると買い物しづらい。
パーシー君のフォローも受けながら、私は大皿から取ったフライドチキンにナイフを入れるのだった。
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