第14話 すぐそばにある危険

 私とグロリアさんが店の外に出ると、すぐさまパーシー君たちがこちらに顔を向けた。

 そして、ただならぬ様子の私の表情を見て、何かあったのだと察したらしい。混乱する私がどうにかこうにか事情を説明すると、パーシー君の表情が曇った。


「財布をスられたですッテ?」

「はい……確かに鞄に入れていて、レストランを出る時まではあったはずなのに。

 服のお金はグロリアさんが立て替えてくれましたけど、お財布の中に運転免許証や保険証も入れていたから、どうしよう……」


 鞄をひしっと抱えたままでオロオロする私を落ち着かせようとして、パーシー君はそっと私の肩を抱いた。

 そのまま両肩に手を置いて、優しく声をかけてくる。


「落ち着いてくだサイ、サワさん。きっとすぐに見つかりますヨ。

 ……しかしレストランからこの店までの間ハ、通行人が我々に近寄ることは無かったデスシ、お店の中では猶の事、奥様が傍にいたわけデスシ……」

「Nu-mi vine sa cred. Ma intreb ca sotia lui a fost blocata de Minori pentru totdeauna? Unde este incredibilul care fura in acel stat?」


 セオドアが額を押さえながら、呻くように呟くと、ヒューゴーもそれに同調するように大きく両手を広げた。


「Asa e. Cu atat mai bine este cea de-a doua familie Lady of the Arterton un cuplu.

 Nu ma pot ajuta sa fiu ranit rau cand mi-am scos mainile.」


 セオドアとヒューゴーの視線が、私と私の隣のパーシー君へと向かう。

 それを受けて頷いたパーシー君が、私の肩に両手を置いたままで見下ろしながら、そっと目尻を下げた。


「『分かりません、ミノリの傍にはずっと奥様が付いていたのでしょう? そんな状態でスリを働く命知らずがどこにいますか?』

 『その通り、ましてやアータートン家の第二夫人の連れ添いです。そんな人に手を出したら、絶対にタダで済むとは思えません』……だそうデス。

 私もそう思いマス。竜人族バーラウの奥様がいらっしゃる中デ、サワさんに不用意に手を出す輩がいたら、確実に目立ちマス」

「ですよね……お店に行くまでの間に、誰も私達に近寄ろうとしてきませんでしたし……」


 確かに、街の人々は私たちがレストランから服屋に行くまでの間、私たちに近づこうとせずに遠巻きに眺めているだけだった。

 通行人は誰一人として、私の傍に近寄っていない。そもそも、私の両脇はセオドアとヒューゴーが固めていたのだ。近寄れるはずもない。

 俯く私に、パーシー君が私の前へと移動してしゃがみ込み、私の顔を覗き見るようにして口を開いた。


竜人族バーラウの庇護下にある、という事実ハ、防犯に大変な威力を発揮するものですからネ。

 そんな人に手を出したラ、確実に酷いことになりマス。最悪、街に居られなくなることにもなりかねまセン。

 マー大公国でハ、旅行者以外で街や村の中に住む権利を持たない人ハ、種族が何であれ国から一切の庇護を受けられなくなりマス。

 ダカラ皆、街や都市を管理・統治する領主に逆らっタリ、それの持ち物に手を出そうとしたりしないのデス」

「なるほど……それなら余計に、なんでグロリアさんと一緒にいる私の財布を……いくら私が日本人だと分かる外見だからって」


 パーシー君の説明を受けて、ようやく落ち着いて状況を整理できるようになった私は、顔を上げつつ首を捻った。

 いくらなんでも、グロリアさんと一緒にいる時の私を狙うのは、リスキーにも程がある。今の私は旅行者であると同時に「グロリアさんの連れ添い」だからだ。

 竜人族バーラウのグロリアさんと行動を共にしているとあれば、いかに旅行者であってもそこらの人とは意味合いがまるで違う。

 何となしにグロリアさんの方に視線を投げると、グロリアさんは心配と疑念を顔いっぱいに貼り付けながら、大きく頷いた。


「そうネ。ミノリサンが日本人ジャポネーザ……この国に住む人間でないことが明白であるトハ言え、私と一緒にいる時にその財布をスリ取ろうなんて行動は自殺行為ヨ。

 特にフーグラー市内で暮らす一般市民ナラ猶の事、私が傍にいる間は手出しをしようとしてこないはずダワ」

「そこが分かりまセン。犯人は何故、奥様と片時も離れなかったサワさんのお財布を狙ったのでショウ?」

「片時も離れなかった……いや、でも服屋さんで服を試着している間は、試着室に一人でしたし……鞄は中に置いていましたけれど」


 状況を整理しつつ、私を狙う動機を思案するグロリアさんとパーシー君。

 その隣に立った私も、私が狙われた理由を考える……が、思い当たる節も狙われるタイミングも全然思いつかない。

 試着室で着替えている間はカーテンで区切られてグロリアさんの視線から外れたが、グロリアさんはずっとカーテンの向こう側にいたはずだ。


「ナルホド? でも基本的に、試着室の前には私がいたわヨ。服を一通り選んデ、籠に入れた状態で試着室に行ったワ」

「In timp ce Minori inchidea cortina, sotia lui statea in fata lui si nu plecase niciodata. Asa este?」


 私の言葉に補足するグロリアさんに、セオドアが確認するように言葉をかけた。そちらに視線を向けつつ、グロリアさんは頷く。


「Da……そうヨ。店内には私とミノリサンの他ニハ、客の姿はなかったシ、私は試着中も、ミノリサンの傍から離れることは無かったワ……

 パーシー、貴方たちは店の前で待っていたのでショウ? 私たちの後に店に入っテ、出ていく人はいなかったカシラ?」

「イイエ奥様、奥様方の後に入店した客モ、奥様方の前に退店した客モ、一人としておりませんでしタ」


 念のためにと、店の外の動きについて確認するグロリアさんだが、パーシー君の回答は思わしいものではない。ゆっくりと首を振ったパーシー君だが。

 ふと、その首の動きを止めた。そのまま後ろの方、道の向こう側に立つ雑貨屋の入り口を指さす。


「……アァ、でもそうですネ。ヒューゴーがトイレに行くと言っテ、10分ほど席を外しましタ。

 と言ってもこの店には入らズ、道を挟んで向かいの雑貨屋に入っていきましたガ……」

「雑貨屋?」


 指の示す方に視線を投げながら、パーシー君はゆっくりと頷いた。

 そのまま身体を反転させて、ずっと黙りこくったままのヒューゴーへと向き直る。既にセオドアがヒューゴーの肩を軽く叩いていた。


「Apropo Hugo, ati petrecut destul timp, in ciuda faptului ca veti adauga o cantitate mica de alimente.」

「Desigur, m-am dus mult timp la baie. 小便を済ませるにしては不自然に長くトイレに居ましたネ」

「Ce a fost asta, pentru ca starea mea era rea, tocmai am terminat.」


 セオドアとパーシー君の二人に詰め寄られたヒューゴーが、肩に置かれたセオドアの手を乱暴に振り払う。

 一連のやり取りの内容こそ私には分からなかったが、彼の挙動がなんとも不自然だ。

 不自然な行動、そういえば前にもあった。


「……そういえば、お店に行くまでの間、ヒューゴーが私に急に近寄ってきました」

「いきなり髪の毛を触ったりもしていましたネ、マナー違反であることは分かっているというのニ……ヒューゴー?」


 私とパーシー君の鋭い視線が、ヒューゴーへと突き刺さる。

 レストランを出てから財布がなくなったことに気が付くまで、私の傍に寄ったのはグロリアさん、パーシー君、セオドア、ヒューゴーの四名だけ。

 その中でもヒューゴーは、突然私の髪の毛に手を伸ばすなど、不自然な接近が確かにあった。

 怪しい。

 セオドアとパーシー君が、強い口調でたじろぐヒューゴーへと詰め寄った。


「Hei, raspunde-mi Hugo. Ai vrut sa spui ca ai adus cu adevarat toaleta ta?」

「Hugo, raspunde sincer. Tu esti cel care a furat portofelul doamna Sawa?」


 二人に詰問され、慌てた表情のヒューゴーは、悔し気にぎりっと歯噛みした。

 次の瞬間。


「...Dracu!!」


 すぐ近くまで接近していたセオドアの顔面に、拳が叩きこまれた。


「Ugh!!」

「Theodore!」


 鼻から血を飛び散らせながら、後方にぐらりと傾ぐセオドアの巨体。

 それを支えようとパーシー君の手が伸びる中、ヒューゴーは真っすぐ駆けた。その先に居るのは――私だ。

 そして次の瞬間、私の腹部に衝撃が走る。


「おぐ……っ!?」


 遠慮なしに振るわれたヒューゴーの拳が私の腹部にめり込み、鈍い痛みに私の膝が折れた。

 私の口からなんとも女性らしからぬ声が漏れ、胃から先程食べた昼食がせり上がろうとしてくる。

 そして彼の臙脂色の腕が、くの字に折れた私の身体を肩へと担ぎ上げた。


「サワさん!」

「ミノリサン!? アッ、ヒューゴー!! 待ちなサイ!!」


 パーシー君とグロリアさんがヒューゴーを止めようとするが、手が届く前に彼は全速力で走りだす。私を担いだままだというのに、凄まじいスピードである。

 そのまま私は抵抗する暇もなく、ヒューゴーによって裏路地へと連れ込まれていった。パーシー君とグロリアさんの声が、どんどん遠ざかっていく。

 腹部に残る痛みに顔を顰めながら、私は恐怖に身体を震わせるのだった。

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