第19話 ドルテのタブー
私とパーシー君はホテルに戻り、買った服とパンを部屋に置くと、昨夜と同様「ホテルル・サルカム」併設のレストランで食事をしていた。
「まさか両替窓口がもうしまってるだなんて……」
「ドルテの貨幣が無いと鞄を買いに行けないですシ、安い買い物でもありませんからネ。明日の朝に両替シテ、それから買いに行きまショウ」
ボイルされた腸詰めをナイフで切って、口に運びながら肩を落とす私に、ザワークラウトのような付け合わせのキャベツをフォークで掬いながらパーシー君が鼻を鳴らした。
本当はホテル横の銀行で両替をして、そこからヘルトリング通りに戻って鞄屋に行く予定だったのだが、見通しが甘かった。
聞けば、銀行の両替窓口は午後4時でしまってしまうのだそうだ。やはり遅くまで開けておく需要は無いのだろう。
「グロリアさんのところに行ってたりしないかなぁ、盗まれたお金」
「奥様がお預かりしてイル可能性はありかもしれませんネ、明日屋敷に伺った時、聞いてみましょうカ」
ザワークラウトを丁寧に口に運んで食むパーシー君が、そう言いつつ小さく頷いた。
今日の昼にも一緒に食事をしたから見ているが、この国の人々は野菜をよく食べる。
とはいえ、私が食事を共にしたことのある
狼の長い口吻で美味しそうにザワークラウトを食べるパーシー君に微笑ましいものを感じ、腸詰めにフォークを突き刺しながら、私は口を開いた。
「そういえばずっと気になっていたんだけどさ」
「ハイ?」
「この世界って、
私がそう口にした瞬間、パーシー君の表情からスッと色が抜け落ちた。
そのまま、彼の視線があちこちに泳ぐ。困惑しているというより、発する言葉に悩んでいる様子だ。
やがて、僅かに眉をひそめながら、パーシー君の口が開かれる。
「サワさん、その……ハッキリ申し上げますト、そういう話題ハ、こういう時にはチョット」
「駄目だった?」
予想していなかった反応と言葉に、目を見開く私だ。
鼻先をそっとこすりながら、パーシー君の目元が伏せられる。
「ハイ、駄目デス。
サワさんはニホンの方ですカラ、マー大公国の……ひいてはドルテ全体ノ、風習や慣習にはお詳しくナイ。それは仕方のないことデス。
ただ、普段の食事の時ニ……故人の事、葬儀の事を話すことハ、ドルテでは
「そう……だったんだ」
真面目な口調と表情で話すパーシー君に、私は数瞬言葉に詰まった。
食事時と、葬儀。あんまり結びつかないこれらが、どうしてこの世界ではタブーになるのだろう。そりゃあ、日本でも食事時にする話ではないけれども、葬儀の話なんて。
私の言葉を忘れる様に、振り払うように、パーシー君のナイフが皿の上の厚切りベーコンに入れられた。大きくカットして、フォークで刺す。
「なのでこの話は、後でやりまショウ。まずは食事をするのが先デス」
「……」
ベーコンを口に含むパーシー君の表情が、今までに見たことないくらいに悲しみを帯びていて、私はフォークを動かすことも忘れてその顔から眼を離せずにいたのだった。
「はー美味しかったー、フーグラーって野菜もパンも美味しいけれど、お肉もすごく美味しい」
「マー大公国は草原が広がる土地柄ですノデ、畜産も盛んなのですヨ。特に豚肉が格別デス」
食事を終えて、「ホテルル・サルカム」のロビーにて。私とパーシー君はソファーにゆったりと腰を落ち着けていた。
あの腸詰めはジューシーで味が濃厚で、本当に美味しかった。今のところフーグラーに来てから、食べて「これマズイ!」って思うものに当たったことがない。凄いと思う。
さて、場所が変わり食事時でもなくなったので。私はパーシー君に上目遣いになりながら言葉をかける。
「で、さっき話そうとした、お葬式のこと……なんだけど」
「ハイ。今なら大丈夫デス。ただ……サワさん、話を聞いていて気分が悪くなったラ、すぐに言ってくだサイ」
目尻を下げて再び悲しそうな表情になったパーシー君の言葉に、私は首を傾げた。お葬式の話が、気分が悪くなる話なのだろうか。
「そんなにえぐいの?」
「人によってハ、気分を悪くする場合もあると思いマス。ドルテの外から来テ、その慣習が無い方には特ニ。
ボクのマーマは先代の伯爵様……エイブラム様がお隠れになっテ、葬儀を執り行ったその日から、三日間、
「えっ……」
頷きながら答えるパーシー君。その答えに私は息を呑んだ。
あれだけ美味しかったお肉を、三日間も口に出来ないとなると相当だ。ショックの大きさが窺える。
パーシー君の手が、彼の胸元に当てられた。自分の胸に手を置きながら、パーシー君はゆっくりと、噛み含めるようにして話し始める。
「まずそもそもの話、ドルテにおいて『人間の血肉を取り込む』ということにハ、特別な意味合いがありマス。
生涯続く契約ヤ、重大な約束を行う際、ドルテ人は自らの血を証として用いマス。『人は裏切れても、飲み込んだ血は裏切れない』ということわざもあるくらいデス。
そしてそれは、生きている人だけではナイ。死んだ人との間にも交わされマス」
その説明に私の目が大きく見開かれた。
結婚の証に血を使う風習が、
しかし、それを生きている人だけでなく、死んだ人との間でも行うということは――予想できる行動は一つしかない。
「えっちょっと待って、それってつまり……」
「そうデス。ボク達にとって葬儀とはすなわチ、
パーシー君の胸の上の手が、ぐっと握られて腹の上に降りた。
目だけでなく口も大きく開く私に、パーシー君は説明を続ける。
「死んだ人の血肉を取り込ミ、自らと一つとすることデ、その人を心から悼む、哀悼の意を示すことになる、というのが理由デス。
死者の側モ、自らの肉体を多数の人の内に取り込ませることデ、その存在を広く遺すという意味合いもありマス。
皮や鱗を剥ギ、岩塩と白ビール、香草で清めてカラ、イリスの薪で熾した炎で炙った肉を分けて食べル。これが葬儀の中核を担いマス」
「えぇ……ちょ、皮や鱗ってことはなに、
彼の言葉を飲み込んで落とし込んだ私の目が、更に大きく開かれた。
結婚の話がそうだったから、てっきり
パーシー君の首がゆっくりと、大きく前に倒されて起き上がる。
「その通りデス。
エイブラム様がお隠れになった際ハ、フーグラー市の市民全員ガ葬儀に参列しましたカラ、そこそこ大柄だったエイブラム様の首から下の肉ガ、
「うっ……」
その言葉に思わず私は口元を覆った。
若干、喉の奥からこみ上げてくるものを感じる。何だろう、吐き気を催したわけではないのだけれど、せり上がってくるこの感覚は。
パーシー君が言葉を区切り、私の背中に手を添えた。
「大丈夫ですカ、サワさん……やはり、この話は
「ううん大丈夫、具合を悪くしたわけじゃないんだけど……予想以上に、生々しいなって……」
口元の手を外して深呼吸をしながら、私はパーシー君に小さく笑顔を見せる。
そうして気を取り直して、さらに解説を求める私だ。
「内臓は食べないで、肉だけ食べてってことは、骨は残るの?」
「ハイ。残った身体の骨と内臓ハ、高温の炎で焼かれマス。灰になった骨と内臓は大地に還されますが、角や牙、大きな骨は形が残りマス。
そういった形を残した骨ヲ、家庭で持っているお墓や、国営の墓地、大きな屋敷だとその人物を象った石像の台座の中に納めマス」
パーシー君の説明に、私は首を再び傾げる。
家でお墓を持つのは日本でもやるから分かる。国営墓地があってそこに納まるのも分かる。しかし、その人物を象った石像というのは。
ある意味、個人単位のお墓に近くなるのだろうが、いまいちイメージが掴めない。
「石像? 死んだ人の?」
「歴代の市長トカ、貴族の当主トカは、屋敷の庭に石像を作っテその姿を残すことが多いのですヨ。
フーグラーのお城の庭園にモ、市長を務めた歴代のアータートン伯爵の石像が飾られていマス。エイブラム様の石像も勿論ありマス」
「お城の庭園……」
説明を受けて、私は手元に置いていた鞄から「みるぶ」を取り出した。
最初の方のページ、「古都・フーグラーには観光スポットがいっぱい!」と書かれた見出しの載った見開きページを開いてパーシー君に見せる。
「これだよね、この21、22ページに見開きで大きく載ってるやつ。中に入って見れるんでしょ?」
「そうそう、それデス。庭園は市民に一般開放されていますカラ、明日奥様とお会いした後に行ってみまショウ」
頷くパーシー君に、私は少し明日が楽しみになった。
ブレンドン伯爵は感じの悪い人間だったが、アータートン伯爵家の庭園は写真が綺麗で、「みるぶ」を読んだ時から気になっていたのだ。
私の手から「みるぶ」を取ったパーシー君が、興味深げに彩り鮮やかな庭園の載せられたページを見ている。
「それにしても、ガイドブック……マー大公国のガイドブックですカ?
「んー、私もベンさんの古本屋で見かけて買っただけだからなぁ、これは……」
そうしてフーグラーの観光スポットについて軽く話し、明日の段取りを相談した後。
パーシー君は「おやすみなサイ」と私に言い残し、微笑みながらホテルのロビーを後にしたのだった。
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