第6話 日本語話者はケモ女子でした

「Sunteti gata sa comandati?」

「As vrea o supa de cartofi ai o rata sarata. ミノリちゃんは決まった?」


 「ホテルル・サルカム」に併設されたレストランにて。私はベンさんと共に夕食の席についていた。

 メニューは例のごとくドルテ語で書かれていて私にはチンプンカンプンだが、どの料理がおすすめメニューなのかくらいは、私にも何とか判別できた。

 メニュー内の目立つところに枠で括られているメニューの一つを指さし、ベンさんに見せる。


「あ、はい。私はこのオススメって書かれているこれと、これにします」

「オッケー。Annie, va rog da-mi legume aburite si pui prajit pentru ea.」

「Da, domnule... Asteapta o clipa.」


 ベンさんが私の選んだメニューを通訳し、テーブル傍に控えていた獣人族フィーウルのウェイトレスに伝える。

 私とベンさんの注文を伝票に書き留めた、アニーと呼ばれたネコを思わせる耳を生やしたウェイトレスは一礼すると、くるりと丸まった細い尻尾を振り振り、厨房へと戻っていった。

 その愛らしい仕草に、思わず私の視線が彼女の背中にくぎ付けになる。すると私の前に座ったベンさんが、肩を揺らしてくつくつと笑った。


「ミノリちゃん、今あのウェイトレスの彼女のこと、可愛いって思って見てたでしょ」

「へっ!? あ……やっぱり、分かりました?」

「そりゃあ、あれだけまじまじと頬を紅潮させたまま見てたらねぇ」


 テーブルに片肘をつき、目を細めて笑うベンさんに見つめられて、私は赤くなっていたらしい顔をさらに赤くして俯いた。

 そんな私を見つめるベンさんの眼鏡の奥の目が、細められたままできらりと光を帯びる。


「気持ちは分かるよ、すごく分かる。

 獣人族フィーウルで、女の子で、ウェイトレスの制服を着ている。可愛くないわけがないさ。

 でも、彼ら獣人族フィーウルにとっては、あの外見こそがコンプレックスの元だったりする」

「えっ……あ」


 苦笑しながら話すベンさんの言葉に、私はハッとした。

 この世界ドルテでは、獣人族フィーウルは被差別種族なのだ。

 そして彼らが被差別種族であることは、外見を見れば一目で分かってしまう。その身を覆う毛皮に、耳、尻尾。一目瞭然だ。


獣人族フィーウルの人達もその辺は何とかしたいと思っているようでね、盛んに短耳族スクルトとの混血を進めようとしているんだ。

 自分たちは無理でも、せめて自分の子供たちには短耳族スクルトと同程度の暮らしをさせてあげたい、ってね。

 でも、駄目なんだ。混血してああして短耳族スクルトに近づいた姿を得ても、短耳族スクルトそのものにはなれない。結局は獣人族フィーウルから抜け出せていないのが現状だ。

 そんな短耳族スクルト獣人族フィーウルのどちらにもなりきれない彼らを指して、半獣ジュマターテなんて蔑称も使われ始めている」


 ベンさんはもう片方の肘をテーブルについて、その手の上に顎を乗せるようにした。

 俯くような形になったベンさんの眼鏡が、天井の灯りを反射してその目を覆い隠す。


「銀行の前で、観光客を見つけると『砂糖を見つけた蟻のように寄ってくる』って言った理由の一つがここにあるんだ。

 日本人は、獣人族フィーウルに差別的な視線を向けたり、無為に暴力を振るったりしてこない。場合によっては好意的な目を向けたりする。おまけにドルテのしがらみに縛られていない。

 獣人族フィーウルはなんとか自分の子供に、みじめな暮らしをさせないようにしたい。あわよくば自分もそこから抜け出したい。

 さて、彼らはどうすると思う・・・・・・・・・・?」

「……まさか、あれ・・ですか」


 俯き気味のベンさんが発する言葉を聞いて、その先に続くであろう言葉を想像して、私は背筋に冷たいものが走る気がした。

 考えたくはない。女性として考えたくはないケースだ。しかし地球での海外旅行でも、常々付きまとう危険でもある。

 敢えてそれ・・を明言しない私に、ベンさんはゆっくり頷いた。


「そういうこと。強盗・・誘拐・・強姦・・……そういう危険と、ミノリちゃんみたいな旅行者は常に隣り合わせだ。

 私の父の代から『湯島堂書店ゆしまどうしょてん』を経営していて、店の手伝いをしていた頃から色々なお客さんが地球からドルテに渡ってくるのを見てきたけれど、行方知れずになったまま戻ってこなくなったお客さんも、そこそこ人数がいるんだ。

 まぁ、獣人族フィーウルの大半は大らかで気のいい、親切な連中だけど、親切にしてくれるからと言って皆が皆、君のためを思って行動してくれるわけじゃない。

 とりあえずは、所属や身元がはっきりしている人以外には、獣人種フィーウルに限らずついていかないこと。私が今日手配をお願いしたギルドの通訳のように、身元がしっかり分かる人間を頼りにするんだ。

 いいね?」

「……っ、は、はい」


 思わず背筋をしゃんと伸ばして、私はベンさんに返事を返した。

 先にベンさんが話をした通り、私は謂わば蟻の群れに放り込まれた角砂糖だ。自分の身を守るためには、自分が気を付けなくてはならない。

 そうして気を引き締めようと口を結んだところで、先程とは別の獣人種フィーウルのウェイトレスが、スープ皿を手にテーブルの傍にやって来た。


「Am adus o supa de cartofi. Uh... オ待タセシマシタ?」

「あ、スープ……へ?」

「えっ?」


 唐突に少女の声色で聞こえてきた日本語・・・に、私もベンさんも一様にきょとんとした。

 先にドルテ語で何やら話した後に少し間を置いて、同じ声色で聞こえてきたから、同一人物が発したのは間違いない。

 そしてその声は間違いなく、ほかほかと湯気を立てるスープ皿を手に持った、イヌっぽい顔をして灰色の毛で全身を覆われた、今テーブルの傍に立っている獣人種フィーウルのウェイトレスのものに他ならない。

 ウェイトレスの少女はスープ皿をベンさんの前にそっと置くと、私とベンさんのまじまじと見る視線を受けて、はにかんだ笑みを浮かべつつ口を開いた。


「オ客サン、japonia……"ニホン"ノカタ、デス? ワタシノマーマ、"ニホン"ノカタ。ワタシ、ニホンゴ、チョト分カル」


 たどたどしいながらもハッキリと聞き取れる日本語で話すと、ウェイトレスの少女はこちらに一礼して厨房へと戻っていった。

 出来立てのスープがテーブルの上で湯気を立てるのに手も付けず、私とベンさんは互いに顔を見合わせる。


「……ベンさん、あ、あの子は……」

「いやぁ、ミノリちゃんは何かと幸運が付いて回るねぇ……」


 呆気に取られる私に向けて言葉を返しながら、同じように驚愕に目を見開くベンさんは丸眼鏡のフレームに手をやったのだった。

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