第25話 伯爵との面会

 しばらく庭園を散策させてもらい、昼の十二時。

 デュークさんが言うところの「timpul zileiティンプル ズィレイ」、すなわち正午に、私達は議場棟の三階、庭園に面した部屋に通されていた。

 革張りのソファの中央に腰掛ける私の隣にはデュークさん。背もたれの向こう側、私の後ろにはパーシー君。グロリアさんはローテーブルを挟んで向こう側のソファ。

 そしてグロリアさんの隣には、つい一時間ほど前に前庭にて対面した、このフーグラー市の市長であり、第八代アータートン伯爵である、ブレンドン閣下。閣下の隣、グロリアさんの反対側に腰掛ける桜色の鱗を持つ女性の竜人族バーラウの女性は、恐らく閣下のもう一人の奥さん、ダフニーさんなのだろう。

 そう、私が今居るこの部屋は、市庁舎である議場棟の一番奥。伯爵閣下の執務室。つまるところ、市長室だ。

 日本の市長室だの区長室だのも、私は立ち入ったことはないが結構豪勢な造りをしていたような、そんな写真を見た記憶がある。しかしフーグラーの市長室はそんなレベルじゃなかった。

 フーグラーは市とは言うが、古都としての格がある周辺地域の中心となる地。そしてアータートン領という領土の中心地。目の前に座っているのは、領主とその二人の妻であるわけで。

 言ってみれば県庁とかそのクラスなのだ。記憶にある市長室の資料よりも数段ランクが上がるのは当然の話である。

 予想していたよりも何倍も豪華な調度品に囲まれて、まさしく貴族然とした立ち振る舞いの伯爵閣下の真正面に座って、冷や汗をかきっぱなしの私に、デュークさんがそっと耳打ちした。


「大丈夫ですカ、ミノリ様……緊張されているナラ、まずお茶に手を付けた方ガ。美味しいですヨ」

「いい……絶対あのお茶だって高級品だもん……美味しいのなんて判りきってるもん……」


 私の視線はもはや伯爵閣下よりも、私の前に出されたお茶に注がれていた。濃い桜色をしたお茶からは、ほんのりとバラの香りが漂っている。

 私の顔を覗き込んだデュークさんが、少し困ったような表情をしてみせる。


「イヤ、マァ、そうなのですが……そういうわけではナク、面会のマナーとしてデスネ」

「Ne pare rau, doamna Sawa. Nu pot sa incep sa vorbesc atata timp cat nu am o ceasca de ceai.」

「えっ?」


 デュークさんの言葉に被せる様に私に声をかけて来た伯爵閣下。その、これまた困ったような声色に思わず私は顔を上げた。

 顔を上げた拍子に、伯爵閣下の紅玉のような瞳と視線がぶつかった。その瞳にはほんの僅かに、苦慮するような雰囲気が漂っている。

 閣下の隣に座るグロリアさんが、目を細めて苦笑しながら口を開いた。


「マー大公国の作法でハ、招いた側が出したお茶ニ招かれた側が手を付けて初めて、『私は貴方と話をする意思があります』ト言う意思表示になるノ。

 だから、ミノリサンがお茶を飲んでくれないト、この人も話が始められないのヨ。回りくどくてごめんなさいネ」

「閣下は『申し訳ない、サワさん。お茶に手を付けていただかないと、私としても話が始められないのです』と仰いましタ。作法については、只今奥様がご説明なさったとおりデス」

「あっ……すみません、私、全然知らなくて」


 グロリアさんとパーシー君に二人揃って説明されて、私は慌てて紅茶のカップに手を伸ばした。微かに震える手を押さえつつカップの持ち手を掴み、ソーサーに手を添え、静かに口をつける。

 桜色をした紅茶は、ジャムが溶かされているからか、くっきりとした甘みがあった。しかし酸味が負けているわけではなく、鮮烈に舌を突いてくる。非常に美味しい。

 それに加えて薔薇の華やかな香りが鼻腔をくすぐる。なんとなく、気持ちが穏やかになってくる香りだ。

 ほう、と息を吐きながら、ソーサーとカップを置いた私を見て、ダフニーさんが嬉しそうに笑った。

 その隣で伯爵閣下も自慢げに笑ってみせる。


「Ma bucur sa fiu multumit.」

「Frunzele de ceai ale ceaiului sunt speciile endiene Bourbon, iar gemul topit din acesta este casa unei sotii. Ti-a placut?」

「ダフニー様ガ『喜んでもらえて嬉しいです』。

 伯爵閣下ガ『紅茶の茶葉はエンディ産のブルボン種、中に溶けているジャムは私の妻のお手製です。お気に召しましたか?』だそうデス」

「エンディ宗主国は茶葉の産地の中デモ有名どころデ、中でもブルボン種は最高級の茶葉とシテ名高い品種デス。お察しの通リ、高級茶葉ですヨ」

「はー……道理で……」


 パーシー君の翻訳と、デュークさんの解説を受けて、私は呆気に取られるしかなかった。

 私は紅茶の良し悪しなど詳しくはないが、これほどまでに味わいの鮮烈な紅茶は、物流の発達した日本でもついぞ飲んだことはない。

 パーシー君が大きく頷きながら、伯爵閣下へと視線を送った。


「Se pare ca ti-a placut ceaiul tau, cabinetul.」

「Un raport bun se aude din gura cuiva. Am fost ingrijorat ca tarile straine pot accepta cea mai buna ospitalitate a orasului nostru.」

「Mai tarziu, imi voi aduce si fursecuri mei coapte. Te rog sa mananci.」


 パーシー君に私の言葉を伝えられた伯爵閣下が、くいと顎をしゃくりながら笑みを浮かべた。その隣でダフニーさんが柔和な笑みを浮かべてみせる。

 閣下の言葉を受けてか、私の隣でデュークさんは不満げに眉をひそめていた。


「全く、パーパは何かにつけテ一言多いんですから……『良い報告は、誰の口から聞いてもいいものだ』ナンテ皮肉、わざわざ言わなくてもよろしいノニ」

「いいんですヨデューク様、悪い意味ではないのですカラ。

 『異国の方に我が都市の最上級のおもてなしが、受け入れられるか不安でした』と閣下は仰いまシタ。

 ダフニー様は『後で手製のフルセクリーも持って来させます。召し上がってください』だそうデス」

「フルセクリー?」


 皮肉った父親にぷりぷりと怒ってみせるデュークさんを宥めるようにしながら、きっちりと通訳の仕事をこなすパーシー君。

 その言葉の中に耳慣れない単語を聞き取った私は、首を傾げた。

 フルセクリー。何だろう、手製の、召し上がるものということは食べ物なんだろうけれど。

 ふと、私の視線がグロリアさんへと向けられた。私と目が合い、一瞬だけ目を見開いたグロリアさんが、ついと視線を天井に向ける。


「そうネ……小麦粉と卵と砂糖を混ぜテ、小さい円盤状に整形して焼いた焼き菓子ヨ。

 日本ジャポーニアだと、『クッキー』というのだったカシラ?」

「お手製のクッキーですか? 楽しみです!」


 適切な言葉を探しつつ説明をしてくれたグロリアさんの言葉に、私の表情がパッと華やいだ。

 手作りのクッキー。そういうものはいくつになっても心が躍るものだ。


「Ea spune, "Este un fursecuri de casa, astept cu nerabdare sa o fac!"」

「Este un produs al confortului mainii sotiei mele. Confectionarea sotiei mele este delicioasa.」


 パーシー君によって翻訳された私の言葉に、伯爵閣下は自慢げだ。左手でひらりとダフニーさんを指し示すと、その桜色の鱗をほんのり朱に染めながら、ダフニーさんが頭を下げてくる。

 思わず頭を下げ返した私は、ちらと視線を隣のデュークさんに送った。目を見張るデュークさんに小声で言葉を投げかける。


「貴族の人も、自分でお菓子作りしたりするの?」

「普段の料理や茶菓子ハ勿論、使用人に任せておりマス。ただお客様をもてなす時ノ茶菓子は別ですネ。

 大事な客のもてなしの際ハ、主人が茶葉を選ビ、その妻が茶菓子を作ル、というのがこの国では一般的なstil……スタイルなのデス」


 解説してもらった内容に、私は感心の吐息を漏らした。

 お貴族様というものは、得てして使用人に全てを任せっきりなものだと思っていたのだが、自分の手でお客様を心からもてなそうという、その気持ちは素晴らしいことだと思う。

 その気持ちが貴族から一般市民まで、広く伝わっているのなら猶の事だ。

 満足そうにうなずく伯爵閣下だったが、途端に真面目な表情になって私を見た。


「Apropo, am auzit ca ai fost atacat de Hugo si ca aveai de gand sa te casatoresti. Apoi nu exista nici o problema cu starea fizica?」

「えっ、えーと……?」

「『ところで、貴女はヒューゴーに襲われて、結婚を迫られるところだったと聞いています。その後、体調は問題ありませんか?』だそうデス」


 真剣な表情で私に問いかける伯爵閣下。すぐさまパーシー君がその内容を翻訳してくれた。

 確かに、ヒューゴーに路地裏で結婚を迫られたのが昨日のことだ。彼はグロリアさんの庇護下にいる存在だったし、葬式も昨夜に行われたはず。閣下の耳に届いていてもおかしくはない。


「ありがとう。えっと、ダ、ビーネ」

「A fost bine. M-am ingrijorat ca am fost batut, dar eram de asemenea ingrijorat ca mi sa dat sangele fiulei.」

「Am auzit ca sangele si sperma fiarei pot fi otravitoare pentru scurte. Daca va simtiti rau, va rugam sa consultati imediat ce introduceti un medic cu bune abilitati in oras.」

「え……」


 伯爵閣下に続いて、ダフニーさんも私を心配そうな目で見てくる。戸惑いを隠せない私に、パーシー君がそっと耳打ちした。


「伯爵閣下が『よかったです。殴られたことも心配ですが、獣人族フィーウルの血を飲まされたことも心配です』。

 ダフニー様が『獣人族フィーウルの血液や体液は短耳族スクルトには毒になるそうです。市内の腕のいい医者を紹介しますので、具合が悪くなったら言ってください』だそうデス」

「毒になる、って……パーシー君、それほんと?」


 伯爵閣下の言葉とダフニーさんの言葉に、目を見開いた私だ。

 不安げな目つきでパーシー君を見つめる私に、言葉を投げかけたのはグロリアさんだ。


「大丈夫、あくまでも「そうなることもある」っていう程度の話ヨ。

 実際、ロジャーとアサミは結婚の誓いを立てた時モ、パーシーやパメラを生んだ時も、具合を悪くはしなかっタ……彼女が病気になったのも、パメラを生んだ数年後だしネ」

「そう……でしたか。ともあれ、気を付けます」

「ハイ、少しでも調子がおかしいことがございましタラ、すぐに私やパーシー殿にお申し付けくだサイ、ミノリ様」


 グロリアさんの言葉を受けて頷く私の両手を、力強い目つきをして包み込むデュークさん。

 そのまっすぐに私を見つめる視線を受けて、目を大きく見開く私の様子を、伯爵閣下はなんとも言えない瞳で見つめているのだった。

 そんな最中に使用人の長耳族ルングが、ダフニーさんお手製のクッキーを運んでくる。グロリアさんを皮切りに、次々にクッキーに手が伸びた。

 そのまま始まる歓談の時間を、私は聞き慣れない言葉に振り回されながら楽しむのだった。

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