第18話 それは、じわりじわりと形をつくるもの

 恋ってどんなもの?

 誰かを好きになるって、どんな気持ち?


 昔、読んだ本には、胸が痛くなったり、眠れなくなったり、苦しくなったり。

 そんな事が書いてあったけれど。

 結局、私はそれからもずっと、そんなことが起こらなくて、分からないままだった。


 周りの皆は、恋をして、時々、悲しい顔もしていたりもするけど、やっぱりキラキラしていた。

 よく晴れた日の、木漏れ日みたいな、陽の光があたった川面みたいな。

 そんなキラキラが、自分の中に、見つからない。


 そう思ってたけど。



「…………熱、かなぁ」


 結局、あのあと、べレックス卿のお嬢様の警護中だということを聞かされ、仕事に戻るべきだと言う私と、送っていくというラグスの主張はホークの背に乗っている間、ひたすらに平行線を辿っていて。途中、ラグスを迎えに来たマノンの提案で、マノンに街の入り口まで送ってもらうことでお互いにやっと妥協。街の入り口で私をおろしてくれたマノンは、ラグス達と合流するために、颯爽と走っていったのだけれど。


「今は、平気……」


 じゃあ気をつけてね、と私の頭を撫でて戻っていったマノンの姿は気がつけばもうだいぶ小さく見える。

 マノンが、私の頭を撫でたのは、ついさっき、マノンが相棒と呼ぶ馬、ヒロの背に乗る直前のこと。

 ラグスに頭を撫でられた時は、どうしてだか耳まで熱かったのに、今は、全く熱くない。


「何なんだろう……」


 ラグスが嫌いなわけでも、マノンが嫌いなわけでもない。

 マノンに撫でられるときは、私はお兄ちゃんはいないけど、お兄ちゃんがいたらこんな感じかなぁ、って思う。

 それにラグスに頭を撫でられるのなんて、もう随分と昔からのことで、いまさら嫌な気持ちになんてなるわけもない。

 けれど、思い出してお腹がきゅう、ってなるのは、ラグスだけだし、耳のあたりまで熱くなるのも、ラグスだけだ。


 「アリス」


 さっき、私を呼んだラグスの声が、耳から離れない。

 なんでラグスの声ばかり思い出すんだろう。

 なんでラグスに撫でられたとき、あんなに熱くなったんだろう。

 なんでラグスのことばっかり、思い出すんだろう。


 なに、これ。

 何、これ


「分からない」


 分からない、知らない。本にだって、書いてなかった。

 こんなこと、誰も言ってなかった。


 意味も分からず泣きそうになって、石畳みの道を走り出す。


「アリス?」

「どうした?」

「ユ、ティアっ、クートっ!」


 あと少しで家に着く。

 そんな矢先、呼ばれた声と二つの人影に、私は二人の名前を叫んだ。



「アリスを泣かせた犯人は、わたしが成敗するからね」

「うん。ひとまず事件を起こすのは止めようか、ユティア」

「だって!」

「ほら、ユティア、落ち着いて。君が落ち着かないと駄目だろう?」

「……分かった……」


 何も聞かずに私を抱きとめたユティアとクートは、今にも泣き出しそうな私を、もう閉店作業も済んでいるクートのお店に連れてきてくれた。


 二人の顔を見て、泣き出しそうにはなったけれど、どうにか堪えた私を見て、クートは、温かいモルテシの紅茶を用意してくれたあと、「やることを思い出したから」と、お店の奥へと戻っていく。

 そんなクートの背を、ユティアは優しい笑顔で見送ったあと、私の手をずっと握ったままでいてくれる。

 そんな二人のやりとりのあと「ユティア、あのね」と話し始めた私に、ユティアが静かに息をのみ「そっか」と小さな声で答えた。


「なんでだと思う?」

「分かんない……」

「マノンにも、クートにも、そんな気持ちにならなかったのに、ラグスの時だけ、お腹がきゅうう、ってなったんでしょう?」

「うん……」

「じゃあ、例えば、ラグスがわたしの頭を撫でたとしたら、どう思う?」

「……撫でるの……?」

「例えばの話よ。わたしじゃなくても良いの。そうだなぁ、例えば、べレックス卿のお嬢様を、ラグスが撫でてたら?」

「……お嬢様を……」

「丘でアリスを呼んだみたいに、ラグスがお嬢様の名前を呼んだら、どう思う? ラグスが、自分じゃない誰かを、大切におもっていたら、どう感じる?」


 一度だけ会ったことのある、私と違って、豪華でひらひらの服を着た、可愛い女の子。

 守りたくなるような、そんな女の子。

 少し勝ち気だったけれど、秋に太陽の光を浴びて光る小麦の穂みたいに綺麗な髪色と、瞳が印象的だった。


 ラグスと並んだら、綺麗な色。

 あの子の名前を、あの時の表情を、あの子に向ける。

 その声に、あの子はきっと弾けるような笑顔で、答えるんだろう。

 ラグスの声も、指先も、胸が痛くなるような表情も、全部、あの子に、あの子じゃなくても、違う誰かに向けられるなんて。


「……いや、だなぁ……」


 ぽろ、と零れ出た言葉に、「そっか」とユティアは静かに頷く。


「わたしもね、クートとアリスがそういう事になったら、いやだなぁ、って思うよ」

「私とクートが? あり得ないよ!」

「例えば、の話よ。でもね、そう思う時もあるの」

「……ユティアも、クートも、二人とも想い合ってるのに?」

「そうだといいんだけどね。わたしは臆病だから、聞けないの」

「……そう、なんだ」


 そうなの、と困ったように笑うユティアの表情に、心の中で、透明な何かが、じわり、じわりと形を作っていく。

 知らないけど、知っている、それの名前。

 自分の中で、何かがコツン、と音をたてて、それを教える。


「そういうことかあ……」

「アリス?」


 心の中に落ちてきたそれの名前に、一人納得しながら呟けば、ユティアが不思議そうな表情で私を見つめる。


「ユティア。私、分かったよ。頭を撫でられて熱くなるのも、お腹がきゅうう、ってなるのも、心臓が大きな音を立てるのも、声が耳に残るのも。全部、全部、恋のせいだ。私が、ラグスを好きなせいだ」


 ラグスのことばかり考えるのも。

 ラグスに、大切な人が出来て、その人のことを想うことが嫌だと想うことも。


 全部ぜんぶ、私が幼馴染みを、ラグスが好きだから。


 ユティアの手を握りながら、そう告げた私に、ユティアは「そっか」と、クートに向けたような優しい笑顔で、私の手を握り返した。












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