第5話 心配と一目惚れ

「じゃあ、僕は帰るね。二人とも、鍵はきちんとかけて寝るんだよ」


 そう言ってクートは慣れた手つきでユティアの頭を軽く撫でて、自分の家へと歩いていく。

 ユティアは本当はその背を見ていたいのだろうけれど、いつまでも外にいるとクートに怒られるから、とほんの少しの間だけクートの背を見送って玄関の扉を閉めた。


 ユティアを見ていると、飴の結晶たちのようにキラキラしている。

 時々脆くて、ときどき眩しい。


「やっぱり心配だわ!」


 急に何かを思い出したかのように、突然すこし大きな声をだして振り返ったユティアに、羨ましさと微笑ましさの両方が混じって零れそうだった小さな笑い声がひゅん、と喉の奥へと引っ込む。


「うん?」


 突然のことに驚きつつもどうにかユティアに答える。


 心配?

 心配とは、何がだろうか。


「さっきクートから聞いたら、やっぱり、だったの」

「何が?」

「やっぱりかあ。そうよねぇ。そりゃあそうよねぇ。ううんん……」

「ユティア?」

「だって、自分のために、なんて普通の女の子じゃあ、そりゃあねぇ?」

「おーい」


 ううん、ううん、と一人で呟いて時々顔をあげて、またううん、ううん、とユティアは唸る。


「ユティアさーん? ユティー? ティアー?」


 小さい頃に呼ばれていた愛称などで呼んでも、ユティアが反応しない。

 こうなった時のユティアってなかなか自分の自問自答から戻ってこないんだよなぁ。

 とりあえずお茶でも淹れようか。

 そう思い立ち上がりかけた瞬間。


「ね、やっぱり一番隊かもしれない。いや、でもラグスとマノンも顔はいいし……ねぇ、アリスはどう思う?」

「……やっぱり、が何にやっぱりなのかが分からないし、そもそも急になんの話……?」

「あれ?」


 私の返した問いかけに、首を傾げたユティアのワウぜの花と同じ色の髪が揺れる。


「わたし、言わなかったっけ?」

「ううん。考えごとに夢中になってたでしょう? なんの話?」

「昼間に話したベレックス卿のお嬢様の話よ。すっごい一目惚れしやすいらしくって。今までにも沢山の人と恋の噂があるんだけどね」

「へぇ……」


 一目惚れ。

 そう言えば、物語で読んだ限りでは、一目惚れをすると息が止まるような、とか雷に打たれたり、とか書いてあった。

 そんな身体に負担になりそうなことが、たくさんあるなんて。


「そうか!分かったよユティア。心配って、お嬢様の身体のことでしょ」

「……はい?」

「だって、一目惚れすると息が止まっちゃうような感覚だって、物語で読んだよ。一目惚れしやすいということは、毎回、身体に負担がかかるってことでしょう?」


 きっと、貴族のお嬢様だから、重たいものを運んだりもしないだろうし、全力で走ったりもしないだろう。それなのに、一目惚れが度々あるということは、その都度、身体への負担が半端ないだろうに。


「……身体、辛くないのかな。お嬢様」

「……アリス?」

「え? 」

「……うん?」


 息苦しいのは辛いだろうに。大丈夫かなぁ。

 でもきっと、お抱えの薬師さんも先生もいるはずだ。

 そう呟いた私に、ユティアはきょとんとした表情をしたあと、思い切り目尻をさげて柔らかく微笑む。


「アリスは……本当に。もう」


 ふふふ、と小さく笑ったユティアに、首を傾げれば、ユティアは「なんでもないわ」とまた小さく笑う。


「わたしが心配、って言ったのは、お嬢様のことじゃなくて、ラグスとマノンのことよ。それに一目惚れで実際に息が止まったなんて話は聞かないから、きっとお嬢様の身体は大丈夫よ」

「……そ、っか。心配しちゃったよ……」


 へたり、と思わず力の抜けた私に、ユティアが「アリスらしい」と笑いながら、テーブルの上のお菓子へと手をのばす。


 その様子を、テーブルへ片頬をつけながら眺めていれば、「あーん」とユティアが持っていたお菓子の一部を私によこす。


「きっとクートだって身体の心配するはずだよ」


 もぐ、と口に入れられたお菓子を飲み込んで言えば、「んー、クートはしないんじゃない?」とユティアがふふ、と笑う。


「そうなの?」

「多分、ね」


 くす、と笑いながらそう呟いたユティアの表情は、さっきクートと話していた時と同じ、柔らかな笑顔で、ユティアのその表情に、私はお腹のあたりが暖かくなる。


「一目惚れかぁ。どんな感じなのかなぁ」

「そうねぇ……わたしも一目惚れしたことないからなぁ……」

「クートは違うの?」

「んー……もう覚えてない、かな」


 歯切れの悪い言葉に、ちらり、と顔をあげてユティアを見れば、ユティアの頬が赤く染まっている。


 その様子に、本当は覚えているのだろうな、と、ふふ、小さくと笑えばユティアが「もう!」と頬を軽く膨らませて言う。


「わたしのことは別にいいの!そうじゃなくって、ラグスとマノンのことよ!」

「ああ、えっと心配って話?」

「そう、それ!」

「んー……、ラグスとマノンの顔がイイとしても、それが何で二人の心配に繋がるの?」

「カフェに来てたお客さん達から聞いたんだけどね。どうやらお嬢様ってば、こうと決めたら暴走しがちな傾向があるらしくて。少し前は、邸宅にきた他国の行商人に一目惚れして、彼を家に置くんだ!って。それが駄目なら自分がついていく!って大騒ぎだったみたいでね」

「え……お父さんが許さなかったんじゃ……」


 貴族のお嬢様が、そんな簡単に家を出ていけるわけがない気がする。

 地位が上にいけばいくほど、縛られるものがたくさんあるのだと、薬学府の学長が以前にボヤいていた。


「だろうねぇ。それに、その行商人、自分の国に奥さんも子どももいるから無理です、って断ったらしいの。でも自分がいるからここにいればいい、って言ったとか言わなかったとか。他にも、好きになった人のところに毎日、昼夜関係なく現れるとか」

「……それはまた……」


 随分と大胆なお嬢様で……、とほんの少し関心すらしてしまいそうになる。


「そんなお嬢様だから、自分のために身体を張ってくれる、しかも顔がいい、なんてなったら絶対にまた一目惚れするに決まってるわ」


 ああ、うん。

 確かに。


 一目惚れどころか、恋愛の経験すらない私が言うのもおかしな話だけれど。

 そんな気がする。


 そう頷いた私に、「でしょう?!」と激しく同意したユティアの予想が当たるのは、それからほんの二、三日後だった。









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