第19話 あの人は意外と純情
「さて。落ち着いたみたいだし、僕も会話に入ってもいいかな?」
「クート」
「……ごめんね、せっかくお店閉めたあとだったのに……」
「別に気にしなくていいさ。ラグスとマノンなんてそんなことしょっちゅうだから」
「そっか」
コンコン、と聞こえるようにお店の壁をノックしてから姿を見せたクートに、ユティアは彼の名前を呼び、私は、クートにごめんなさい、と謝れば、クートはにこやかな笑顔を浮かべている。
「ところで、ユティア」
「え、わたし?」
「そう。君」
「なあに?」
クートに名前を呼ばれ、首を傾げるユティアの髪がさらりと揺れる。
「僕は十分に伝えきれていなかったようだから、今ここでもう一度云うけど、さっきも言ったように、僕は君が好きだよ」
「ク、クート?!」
「……おお……」
ユティアの髪を、一房手にして唇に引き寄せながら、彼女にそう告げたクートに、ユティアの頬が一瞬にして真っ赤に染まる。
「何でいま言ったの?!」
「いや、だって、さっき不安だって言ってたからぁ〜」
ガタッ、と立ち上がってクートの服の襟元を掴み、クートの身体を前後に揺らしながらユティアが「聞いてたの?! もう! もう!」と真っ赤な顔をしながらクートに言い募る。
「だから僕はちゃんと好きだって言ったじゃないかぁ〜」
「だからって、いま言ったらアリスだって聞いてて恥ずかしいじゃない!!」
ぐらんぐらんと揺らされながらも、「あはははは」とクートは笑顔でユティアの照れ隠しを受け流している。
ユティアはさっき不安だ、と言っていたけど、二人の様子を見る限りでは、全くそんな気配なんて無い。むしろ、二人の間に、誰かが入り込む隙間なんて、これっぽちも無い。
そんな二人に、嬉しくなって「ふふ」と小さく笑えば、ユティアが「もう! アリスも笑わないで!」と顔を赤くしながら私を見て叫ぶ。
「良かったね。ユティア。クートも!」
ふふ、と嬉しくて溢れてくる笑い声を隠さずに、二人にそう告げれば、ユティアとクートは顔を見合わせたあと、幸せそうに笑った。
送っていくと言って聞かなかったユティアを、クートに押し付けるようにしてクートの店を出て、一人家路を歩く。
まだ少し明るいけれど、早めに夕ご飯を食べる人、お酒を飲んで陽気になっている人。
市場には様々な人が溢れている。
そんな中に、時折ちらちら、と視界の端に映る騎士団の制服。
自分の知っている二人の人物のどちらでも無い、と遠目で見てもすぐに分かる。
「二人ともあの髪色じゃないし……そもそもラグスは普段はバンダナ巻いてるし」
マノンの髪色はミルクティーのような柔らかい色だし、ラグスの髪色は砂糖を焦がした時の色に似ている。
それに、その他に見かけた騎士団員の髪にはバンダナも巻かれていない。
「バンダナはなんだかんだで色々と使えるんだ、って言ってたけど、絶対、あの時に見た団長さんの影響だよね」
あの時のラグスのキラキラと輝いていた瞳は今も覚えている。
口数は少なかったけれど、頬も少し赤かったから興奮してたんだろうなぁ、なんて思い返し、一人小さく笑う。
多忙な騎士団団長さんが巡回中に市場を通ることなんて滅多になく、その日は森への巡回の帰り道に、団長さんの隊が市場を通る、と大人たちから聞いて、皆で騎士団の様子を見に行った。
大人たちの間をかき分けて、やっと見られた団長さんは、任務帰りだったのか、服と簡易鎧には、ところどころに土汚れなどがついていた上に、頭にはバンダナを巻いて髪をまとめていた。
「あれからだったなぁ。ラグスがバンダナをつけて、騎士団に入るって言い始めたの」
少し懐かしい記憶に、お腹のあたりがじんわりと温かくなったような気がする。
「……ん……? あの頃、ラグスに何か言われてたような気がするんだけど……」
何だったっけ。
んん? と思い出しそうで思い出せない記憶に、首を傾げる。
「何だっけなぁ……」
ー 「俺、騎士団に入る。んで、将来」
「将来……」
「将来?」
「将ら、ってうわぁっ?!」
「おわっ、って危ねっ」
「わふっ?!」
突然、目の前に現れた人物に驚いて思わず一歩下がった瞬間、目の前の人物が慌てた声をあげた。
その声と同時に、思い切り腕を引かれ、ボフッ、という音とともに顔に軽い衝撃が走る。
「焦ったぁぁ」
頭上から、はああ、という大きなため息が聞こえるのと同時に、背中に回された手が、誰かの腕の中にいると一瞬で理解はしたものの、誰だか分からない。
「大丈夫か? 嬢ちゃん!!」
「こっちは大丈夫ですよ」
「すまん!!」
「急がないと置いていかれますよ」
「あ、マズイ!! すまんな!!」
「いーえー」
誰?! と慌てて顔をあげ上を見やれば、私の背後に向け、にこにこと笑顔を浮かべ応えるタウェンさんの顔が見える。
「タ、タウェンさんっ?!」
「え、ああ。ごめんね、アリスちゃん、怪我は?」
ひらひら、と笑顔のまま手を振っていたタウェンさんに慌てて声をかければ、タウェンさんは変わらずに笑顔のままでこちらを見やる。
「あ、無い、です」
「そっか。良かった」
へら、と笑ったタウェンさんに、「タウェンさんは、怪我は」と問いかければ、目が合った、と思った瞬間、今度は私の両肩を掴んだタウェンさんが、バッ、と一歩後ろへと下がる。
「……タウェンさん?」
急にどうしたのだろう。
名前を呼び、問いかければ、タウェンさんが何故か片手で顔、というよりは目とおでこのあたりを抑えていて、思わず顔を見る。
見る、というよりは、タウェンさんとの身長差のせいで下から覗き込む、という感じではあるのだけれども。
「だい、じょうぶデス」
「だい、じょうぶデス?」
急に途切れとぎれになった言い方に、思わず首を傾げれば、ちら、と私を見たタウェンさんが、小さく深呼吸を繰り返したあと、「大丈夫」と笑う。
「本当に怪我とか」
「してないよ、大丈夫」
「本当ですか?」
「本当です」
じい、とタウェンさんの顔を見やれば、少し顔が赤い気がする。
本当に大丈夫なのだろうか、と言い募ろうとした時、とん、と頭に軽い重みが振ってきて言葉が止まる。
「ボクは本当に大丈夫だから。それより、アリスちゃん一人なのかい?」
そう言って笑ったあと、問いかけてきたタウェンさんに、「はい」と答え首を縦にふる。
「珍しいね」
「そうですか?」
「あれ? そうでもない?」
「んー、薬草採りに行く時とかも基本は一人ですし」
「そうなんだ?」
「はい」
タウェンさんの問いかけに、頷きながら答えれば、タウェンさんは何だか楽しそうな顔をして「へえぇ」と小さく呟く。
「じゃあ今は、たまたま一人だった、って事で合ってるかい?」
「そうですね。たまたま一人でしたね」
「そか。じゃあ、少し一緒に歩いてもいいかな?」
「え、あ、はい?」
思いがけない問いかけに、頷きつつも首を傾げる。
「あ、それとも待ち合わせ中だった?」
「いや、特には……」
「じゃあ、散歩がてらに、なんてどうかな?」
「どう……と言われても」
急にどうしたのだろう。
タウェンさんの突然の申し出に困惑しながらも、「急にどうしたんですか?」とかろうじて問いかけを返せば、タウェンさんが「取って食べたりはしないよ」とクツクツと笑いながら私へと告げる。
「あ、いや、そう思ったわけではないんですけど……急にどうしたのかなと」
「ん? ああ、アリスちゃんと、もう少し、話がしたいなぁって」
「話、ですか」
思いがけない言葉に、言われた言葉をそのまま繰り返し呟けば、何かに気がついたらしいタウェンさんが「あ」と短く言葉を発して、自身の手を軽く叩く。
「タウェンさん?」
コホン、と軽い咳払いをし、やけに芝居がかった動作で、手を胸に当て腰を折り、タウェンさんが私を見やる。
「可愛らしいお嬢様、ボクにご自宅までの護衛をさせていただけませんか?」
視線が合わさり、器用に片目を瞑って笑うタウェンさんの姿に、瞬きを繰り返したあと、小さく笑い声が溢れる。
「私、お嬢様じゃないですよ?」
「女の子はみんなお嬢様だよ」
ふふ、と笑いながら答えた私に、タウェンさんはやけに艶のある声で、にっこりと笑って告げる。
「アリスちゃんさえ嫌じゃなければ、送らせてよ」
「タウェンさん、多分言う相手を間違えているかと」
「と、いうと?」
差し出された片方の手と、街の女の子が喜びそうな言葉に、戸惑いつつもカバンの中から一つの瓶を取り出しながら口を開く。
「私、自分の身は自分で守れますし」
「?」
「こう見えても、薬師ですので」
ふふ、と笑いながら小瓶をタウェンさんに見せながら答えれば、タウェンさんは何度かの瞬きのあと、「っふ、はははっ!」と楽しそうな笑い声をあげた。
「これは一本とられたな」
「一本勝負なら引き分けくらいですかね?」
「もしくはボクの負けだね」
クックッ、と沸きあがる笑いを抑えながら言うタウェンさんの声と表情は、さきほどのものとは大幅に違い、彼をそのまま現したような快活そうなものへと代わる。
「そっちのほうがいいです」
「うん?」
「私は、今のタウェンさんのほうがいいと思います。さっきの艶っぽいのは、私じゃなくてお姉さんがたに向けたほうが喜ばれますよ」
そう言って、ふふ、と静かに笑ったあと小瓶をカバンへとしまい、視線をあげれば、タウェンさんが、固まっている。
「タウェンさん? どうかしました?」
何だかついさっきも同じ状況だったような。
そんな事を思いながら、再度、タウェンさんの様子を確認しようと、彼を見上げた時、「アリスちゃん?」と聞き慣れた声に、名前を呼ばれた。
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