第20話 恋とは薬草の反応のようなもの?

「マノン?」


 振り返った先に居たのは、幼馴染みの一人、マノン。


「やっぱりアリスちゃんだ」


 笑顔で手を振りながら近づいてきたマノンが、「あれ、タウェンもいる」と不思議そうな表情を浮かべ口を開く。


「珍しい組み合わせだね」

「たまたま? 偶然」

「なるほど。あれ? タウェン、顔赤いね。どうしたの?」


 そう答えた私に、笑って頷いたマノンが、私の隣に並ぶ。

 マノンの言葉に、タウェンさんの顔を見れば、目が合ったタウェンさんが何やら困ったような表情を浮かべてマノンを見やる。


「いや、どうもしてない、というか、どうかしたというか……」

「はい?」


 煮え切らない曖昧な返事をしたタウェンさんに、マノンが首を傾げながら答える。


「っ、ちょっと、走り込みしてくる!」

「え、あ?」

「なに急に」

「マノン、アリスちゃん、送ってってくれ」

「おう?」

「え、タウェンさ」

「すみません!!」


 ぱあん、と自身の両頬を手で叩き、まくしたてるようにして喋ったタウェンさんが、何の前触れもなく、全力で走り出し、市場の人波の中へと消えていく。


 突然の出来事に、思わずぽかんとしながら、タウェンさんの走り去った方向を見ていれば、「何あれ」とマノンが不思議そうな声で呟く。


「アリスちゃん、何か心当たりある?」

「……特には」

「だよねぇ」


 首を傾げながら問いかけてくるマノンに、同じように首を傾げながら答えれば、マノンの首がさらに横へと倒れた。



「大丈夫なの?」

「大丈夫だいじょーぶ。オレもこのあと隊舎に戻るだけだし」

「それならなおさら遠回りじゃない。それにそもそも私、一人で帰れるよ」

「まあまあ、オレの息抜きに付き合ってると思ってよ」

「今そんなに大変なの? 大丈夫? ちゃんと休んでる?」

「んーまあ、ちょっとだけ人員不足で大変といえば大変だけど、どうってことないよ。大丈夫」


 私の問いかけに、マノンがいつもと同じ笑顔を浮かべながら答える。

 その答えに、「そっか……」と呟くように答えれば、「まあでも、本当に心配いらないよ。大丈夫」とマノンの柔らかな声色が聞こえる。


「ただね、実際、いまは少しだけ治安が悪いから送っていくよ」

「そうなの?」

「そ。例のお嬢様の件でちょっとね」

「お嬢様の……」

「あ、ちなみにラグスは、警備交代の時間を少し早めてもらった関係で一足先隊舎に戻ってるよ」

「別行動なの珍しいね」

「いまはちょいちょいあるかな」

「そうなんだ」

「そうなのです」


 んんんん、と大きく伸びをしながらマノンは言う。


「ちょうど新人隊員が増えた時期だからね、班構成の調整も必要でさぁ」

「なるほど」

「ちなみにこのあとオレも隊舎に戻ったら合流する予定」

「じゃあなおさら早く帰ったほうが……」

「いいのいいの、交代はもう終わってるだろうから、根詰めずに、ちょっと位ゆっくりすべきなんだよ。どうせ打ち合わせのあとオレたちでないと出来ない仕事やるんだから」

「なるほど。隊長、副隊長は大変だね」

「オレたちでこれなら、団長と副団長とか、筆頭ってどうなってんだか」


 そう言った、マノンに「もう別次元なのかもしれないね」と言えば、「あり得る」とマノンは笑う。


「でも、ま、アイツは副団長を目指してるし、オレも頑張らないとね」

「マノンはラグスの相棒、だしね」

「おうよ」


 にっ、と笑顔を浮かべるマノンに、ラグスの「俺、副団長になる」と言った時のことを思い出す。


「副団長、かぁ」

「お、着いた。ってアリスちゃん? どうかした?」


 ぼそり、と呟いた私を、マノンが不思議そうな顔をしながら見やる。


「私、ラグスに昔、何か言われたような……」


 気がする。

 何か、大事なことだったような、気がする。


 立ち止まって、そう呟いた私に、マノンは「そっか」と柔らかな笑顔を向けてくれる。


「きっと、大事なことだよ」

「マノン?」

「ごめんね、オレからは言えないんだ」

「……うん?」


 困ったような、でも、少し嬉しい。そんな顔をしながら私を見るマノンに首を傾げれば、マノンは静かに笑う。


「マノン、あの……」

「さて、と。じゃあ、オレたちは巡回に戻るとするかな」

「あ、ごめんなさい。疲れてるのに結局、家まで」

「気にしない気にしない」

「でも……」

「どうしても気にするって言うなら、今度、また紅茶入れてよ。前に飲んだやつすっごい美味しかったから」

「ふふ、分かった」

「よし。じゃあね、戸締まりを忘れないように。あと不審者を見つけても一人で立ち向かわないこと、良いね?」

「はあい」

「よし、良い子」

「マノン、お兄ちゃんみたい」

「こんな可愛い妹ならいつだって大歓迎だよ」

「ふふ」


 そんな風に言い合い、笑い合ったマノンが、隊舎へと戻っていく。



「……やっぱり、違うんだなぁ」


 去り際に、いつもと変わらない笑顔で、私の頭を撫でていったマノンに、懐かしいような温かいようなそんな気持ちにはなるものの、彼の時のような気持ちにはならない。


「不思議なもの、なんだなぁ……」


 特定の人にしか反応が出ないなんて、一種の薬草の反応みたいだ。

 そんな事を思いながら、部屋の灯りをともした。



「ねぇ聞いた?」

「あ、アレでしょ、聞いた聞いた」

「絵になるよねぇ」

「そうそう!」

「え、何なに、何の話ー?」


 翌朝。

 朝ごはんを食べに、市場へと向かえば、街の女の子たちがきゃっきゃっと楽しそうに集まりながら元気に話をしている。

 噂話だろう。

 そう思って、彼女たちの横を通り過ぎようとした時。


「え、あんた知らないの? 騎士団二番隊のラグス隊長と三番隊のイハツ隊長が付き合ってるって話!!」


 思いがけない言葉が耳に入り、私の足は止まった。


「なんか二人で手を繋いで仲良く歩いてたんでしょ?」

「え、あたしはカフェですごいイチャついてたって聞いたよ?」

「うっそ、あたしが聞いたのはもう婚約寸前って聞いたけど?」

「え、それは流石に早くない?」

「ええー? でも有り得そうじゃないー?」

「そうかなあ」


 きゃいきゃいと言いながら歩いていく彼女たちの言葉が耳に残る。


「ラグスが……イハツさんと……?」


 そんな話、初めて聞いた。

 いや、本当は今までもそんな噂が流れていても、自分が気にしていなかっただけかもしれない。

 流れていたって、おかしくはないはずだ。

 だって。


「ラグス……優しいし……」


 ラグスの海の色の瞳は、とても綺麗だし、伝わりにくいけれど、照れ屋で、努力家で、心配性で。

 そんな彼だ。好かれないわけが、ない。


「誰か、の大切な人になる可能性なんて、考えてこなかったな……」


 いつも傍にいてくれてたから、気にしたことも、考えたことも、なかったけれど。

 ラグスが、誰かを好きで、その人の隣を歩く。

 そんなこと、少し考えればすんなり分かるはずなのに。


「バカだなぁ、私」


 ラグスが好きだと、自覚をした次の日に。

 彼に思いを伝える前に、失恋とやらが確定するだなんて。


「薬草みたいに、反応するのにね」


 いつの間にか、市場を通り過ぎて、結構歩いていたらしい。

 目に入る青い空と、育ち盛りの緑の葉が、なんだかぼやけている気がする。


「噂が、本当なら、幸せを願うべき、なんだろうけど」


 飴の結晶みたいに育ち始めた気持ちが、グラグラと揺れている。


 イハツさんは、何度かはお会いしたことがあるけれど、可愛いと綺麗を併せ持つ整った顔つきと、瞳に意思の強さを秘めた女性だった。

 少し無茶をしがちなラグスだから、後方支援に回ることが多いというイハツさんは、相性もぴったりなんだろう。


「でも、やっぱり」


 好きな人に、好きになってもらいたかった。


 叶わない可能性が出てきた初恋に、泣き出しそうになり、グイッ、と袖で目元を拭った時。


「あら、あなた。こんなところで何をしているんですの?」


 聞いたことのある声が、少し離れたところから聞こえる。

 誰だっけ、と振り返った先にいたのは、何日か前に、森で見かけた一人の少女が、こちらを不思議そうな顔をしながら見ている。


「あ、え、ああ、貴女は確か……ベレックス卿の」

「シンシアですわ!」


 ふふんっ、と何故だか妙に胸を張りながら言ったお嬢様に、思わずぽかん、と口が開く。


「それよりもあなた! こんなところで何をしていますの?」

「何を……と言われても……」


 歩いてて気がついたらこんなところに居ました、なんて言えないし。

 なんて答えよう、と言いよどんだ私を見て、「あ!!」とお嬢様は大きな声をあげる。


 その声に、思わずビクウッ、と肩があがる。


「な、なに」

「あなた、ちょっとこっちに来なさい!」

「え、あ。ちょっ?!」


 カツカツカツッ、と靴音を鳴らしものすごい速さで近づいてきたシンシアお嬢様は、その勢いのまま、私の腕を掴み、近くで広げていたであろうお茶の席まで私を引きずるように連れて行った。





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