第21話 お嬢様と紅茶とクッキー

「その程度で失恋と仰るの? 甘い! 甘いですわ!!」

「…………ええぇ……」


 どうしてこうなったのか。

 この少女と出会ってそう考えたのは二回目な気がする。

 そんな事を考える私をまるっと無視をして、ベレックス卿の娘、シンシア嬢はバァンッ、とテーブルをお嬢様らしからぬ勢いで叩く。


「わたくしなんて、これまでの人生で何度、失恋したことか分かりませんわ! 昨年だけでも最低8回ですわ!」

「8回……」


 なかなかな回数……と心の中だけでツッコミを入れておく。


「というか、あなた、そもそも自分で気持ちを伝えてもいないのでしょう!」

「……まあ……そうですけど……」

「何もしていないくせに諦めるなんて有り得ませんわ! しかもご本人から聞いたわけでもないたかだか噂に!」

「……でも……」

「とりあえず飲みなさい! 話はそれからですわ!」


 そう言って、シンシアお嬢様は、私に用意されたカップに、紅茶を注がせる。


 そもそも何がどうなって私はシンシアお嬢様と同席をしているのか。

 いや、同席だけならまだしも、なぜ、恋の話なんてものをたぶん歳下であろう彼女としているのか。


 ラグスがイハツさんとお付き合いをしている。そんな噂を耳にして、ぼうっとしながら歩いていた私を、シンシアお嬢様が見つけ、有無を言わさずに腕を引かれた先は、彼女がお茶を楽しんでいたらしい場所で。

 そのまま座らされ、お嬢様の妙に感の良い「失恋でもしましたの?」という質問にうっかり頷いてしまい、そこから鬼気迫る勢いで質問攻めにあっている、という状況なのだけれど。

 侯爵家令嬢の彼女と私では年齢も立場も違う。

 けれど、彼女の強引さに少しホッとしている自分もいる。


「そもそも、どうして伝えようと思わないのです? せっかく築き上げてきた気持ちなのに」


 齧りかけのクッキーをビッ、と私に向けながら言うシンシアお嬢様に、「それは……」と呟いたまま、言葉が止まる。


「わたくしには理解できないですわ。当たって砕けることが確定しているわけでもないのに、自分が自分で育ててきた恋心を、へし折るだなんて。そんな行為は、自分自身にも相手にも失礼ですわ」

「……相手にも?」

「当たり前でしょう? あなたが勝手に周りの噂を鵜呑みにして、相手の言葉を聞いてすらいない。それを勝手に相手の答えだと決めつける。そんなものは相手をきちんと見ていないのと同じくらい失礼ですわ!」

「…………そっか……」


 ぷんぷん! と言葉に出しながら頬を膨らませるシンシアお嬢様に、「そうですよね」と小さく言葉を返せば、「そうですわ!」と彼女は大きく頷く。


「恋をしたのなら、相手と自分に真摯に、誠実にあれ! ですわ! あ、これは、お父様がお母様との出会いから結婚に至るまでを聞かせてくださった時に言っていたのですけれど」


 真摯に、誠実にあれ。

 一見、簡単な、易しいように見えて、本当は一番、大切なことなのかもしれない。


 彼女が話しだした両親の馴れ初めを聞きながら、ポソリ、と口を開く。


「……素敵なご両親ですね」

「ええ! わたくし、お父様もお母様も大好きですわ! けれど……最近は……お父様はずっと難しい顔をしていて……あまり笑ってくださらないの」


 小さな声で呟いたであろう私の声に、嬉しそうな笑顔を浮かべ反応した彼女だったが、そのすぐあとに、その笑顔を曇った。

 何かあったのだろうか。

 そう思い、声を出しかけた瞬間。


「…………でも! 次期宰相と言われているくらいですから、きっと忙しいんですわ! 落ち着いたらまた笑ってくださるはずですわ!」


 ばん、とさっきよりも弱い力でテーブルを叩き、シンシアお嬢様は少し寂しそうな笑顔を浮かべる。


「お嬢様」


 その様子に、思わず彼女を呼べば、「シンシアですわ!」と彼女が、私の顔を見ながら言う。


「存じておりますが……」

「そうじゃなくって! わたくしの名前はシンシアです! お嬢様はわたくしの名前ではなくてよ!」

「……あ、はい」

「皆みんな、わたくしをお嬢様とばかり呼ぶわ。わたくしにはお父様とお母様からもらったシンシアという名前があるというのに」


 クッキーを齧りながらそう言った彼女は、不貞腐れているようにも見える。

 いや、不貞腐れているんじゃない。これは、たぶん、違う感情。


「シンシアさん、とお呼びしてもいいですか?」

「……え?」

「お嬢様が迷惑でなければ、なんですけど」


 伺うように言った私を、彼女は目を見開いたあと、「特別に許してさしあげますわ!!」と頬を少し赤くしながら大きく頷く。


「シンシアさんって、可愛いですね」


 そんな彼女を見て、ふふ、と笑えば、シンシアさんは「当たり前ですわ!」と顔を赤くしたまま、胸を張る。


「それで? あなたの名前は?」

「あ、すみません、名乗っていなかったでしたっけ。私、アリスと言います。職業は飴の生成と販売です」

「飴? 薬師ではなくって?」

「はい。薬師の資格も持ってはいるんですけど、普段は飴を……って、あ、えっと……こういうやつなんですけど」


 自己紹介がてらカバンに入れてある飴の結晶を取り出せば、「綺麗……」とシンシアさんが私の手のひらにある飴をみて小さく呟く。


「こんな飴があるのね。わたくしの知っているものとは大違いだわ」

「まあ……侯爵家にはこういうのは不要でしょうし……」

「触っても?」

「どうぞ。そんな簡単には折れないので、安心してください」

「ありがとう」


 本当に初めて見るのだろう。

 キラキラと瞳を輝かせながら棒についた飴の結晶を、シンシアさんは色んな角度にしながら眺めている。


「宝石みたいね」

「どうでしょう……そう見えますか?」

「ええ! とっても綺麗だわ!」

「……ありがとう……ございます」


 真正面から褒められたことなんて数えるくらいの体験で、シンシアさんの言葉に思わず耳のあたりが熱くなる。


「アリス、あなた、こんなに綺麗なものを作れるんだから、自信を持つべきよ! わたくしが保証するわ! あなたが失恋なんてするわけがないわ!」


 ばっ、と私に振り返りながら言うシンシアさんの言葉と勢いに、思わず「え、あ、うん?」と慌てて首を縦にふる。


「これであなたが失恋なんてするなら、相手の見る目がなかっただけですわ!」


 ぐいっ、とカップの紅茶を勢いよく飲みきったあとにそう言ったシンシアさんに、「ありがとう、シンシアさん」と伝えれば、彼女は「お礼なんて不要ですわ!」と、とびきりの笑顔を浮かべながら言った。













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