第29話 誘拐事変4

「え」

「ラグスー、終わったー?」

「ああ」

「じゃ、あとよろしくー」

「……おう」


 私の頭から手を離したマノンが、少し離れた場所に立っていたラグスへと声をかけ、ラグスが、マノンの声に答える。


 交わした言葉は少ない。

 けれど、マノンは「ちゃんと休みなよ」と再度、私の頭を撫でてから、三番隊の皆がいる場所へと歩いていき、その代わりにラグスがこっちへと歩いてくる。


「歩けるか?」

「う、うん?」

「どうした?」

「いや、どうしたって……?」


 ラグスもお仕事がまだ残っているのでは。

 言葉にならず、首を傾げた私に、ラグスが「少しくらい平気だ」と私の手を取りながら言う。


「でも」

「お前一人で帰すわけないだろ。ああ、でもあれか。一人になるのが嫌だったら、隊舎来るか? 散らかってるけど、俺はソファでも寝れるし」

「……たぶん、大丈夫。やっぱり怖いってなったら、ユティアのところにでも行ってくる」

「そうか。それなら良いけど」

「ねえ、私は大丈夫だから、お仕事戻ったほうが……」

「そこは気にしなくていい。マノンもいる。それに俺がしたくてしてることだ。あと、これで俺が帰ったら、ユティアに何言われるか分かったもんじゃねぇし」


「お前は知らないだろうけど、切れたユティアは賊よりもよっぽど怖えんだぞ」と眉を潜めながら言うラグスに、思わず小さく笑いを吹き出す。


「……やっと笑ったな」

「え、あ」

「よし、じゃ帰るか」

「うん?」


 ぐい、と少し強引に手を引かれ、歩きだす。


「ラグス、あのっ」

「あ?」


 いつもよりも歩く速度も少し遅めで、それに、人が少ない川岸の道を歩いていってくれるらしい。

 そんな気遣いに、ラグスの手を少し強く握りながら名前を呼べば、ラグスがチラ、とこっちを向く。


「さっき、助けてくれてありがとう」


 相手が振りかざしているものが、剣だと分かった時。

 もうだめかと思ったけど。

 それと同じくらい、ラグスなら、と思った。


「ラグスなら来てくれるって、思ったの。どうしてだか分からないけど、絶対、絶対に大丈夫だって思ったの」

「アリス、お前」

「でも、怖かったのも、もちろんあるんだけ、ど」

「知ってる。怖がりなのは変わってないからな、お前」

「……っ」

「あー、もう、ほら」


 ボロボロと泣き出した私を見て、ラグスは目尻をさげながら、両手を広げる。

 その様子に、私は涙を流したまま、ラグスの腕の中に倒れ込む。


「ったく、怖がりのくせして無茶すんなよ」

「っだ、だっ、って」

「だからいつも言ってんだろ、俺を呼べよって」

「っ、う」

「呼べよ、どこに居たって、駆けつける」


 ぐっ、と抱きしめられた腕に、少し強めの力が入る。


「お前が考えてる以上に、俺、強くなったぞ?」

「そう、なの?」

「じゃなきゃ、隊長になれねぇっての」

「……確かに」

「な? だから、もう泣きやめ」


 トン、トン、と背中に回ったラグスの手が、私の頭を軽く叩く。


「ん」


 いつだって、いくつになっても変わらないその行動に、やけに安心して、じわ、と視界がまた歪み始めた時。


「泣き止まないならキスするぞ」


 耳に唇を当てながら言ったラグスの言葉に、「っ?!」と慌ててラグスを見れば、目があったラグスの口元がにやりと歪む。


「ま、泣き止んでてもするけどな」

「え、ちょ」

「待たない」

「んんっ?!」


 離れかけた身体を、幼馴染の腕がグッ、と引き寄せる。

 角度を変えて、ラグスが幾重にもキスを重ねてくる。

 この前みたいな、触れるだけなのかと、思ったのに。

 このまま、食べられてしまうのかと思うようなキスに、頭の奥のほうがぼんやりとしてくる。

 甘い。けど、痺れる。溶ける。

 そんな感覚が、身体にはしる。

 首の後ろに回された手はやけに優しいのに、触れている唇は離してくれる気配が、無い。


「ラグ、まっ」

「ん?」

「ふっ、息、がっ」


 かろうじて出来た隙間から、どうにか言葉を吐けば、やっとのことでラグスの唇が離れていく。


「っはぁ……っも、無理……っ」

「…………お前、それ、煽ってる?」

「?」


 酸素不足になり、目の前のラグスに寄りかかれば、ラグスがよく分からないことを言ったあと、私の肩に顎を乗せてくる。


「何でもない」


 そう言って黙り込んだラグスを見ようと、身体を動かそうとすれば、「今は見るな」と今まで以上に、ガッチリと身体が固定される。


「…………ラグス?」

「何」

「……耳、赤い」

「……俺だって緊張してんの」

「……そ、か」


 ちら、と見えたラグスの耳の赤さを言えば、少しだけぶっきらぼうな言い方をしたラグスが、「あー、もう本当に」とつぶやく。


「本当に、何?」


 少し緩んだ腕の中から、顔を見やれば、私を見たラグスが、目尻をさげて小さく笑う。

 その直後。


「……何でもねぇよ」

「わっ?!」


 身体から離れた手が、私の頭を少し乱暴に撫でた。



「一応、夜の巡回で回ってくるから」

「大丈夫だってば」

「心配くらいさせろ」

「あだっ」


 ぺしんっ、と軽く叩かれたおでこを抑えながら言えば、ラグスが笑う。


「少しでも不安になったら言えよ。俺が無理なら、ユティアでもクートでも、誰でもいい」

「分かったってば」

「……本当に分かってるのか? お前」

「分かってます」


 もう何度目になるか分からないやりとりに、心配性だなぁ、と呟けば、「アリス限定でな」とラグスが私の頭をまた軽く小突く。


「……本当なら連れて帰りたいところだけどな」

「連れて帰るって、隊舎で一緒に住めるのは団員の家族だけだ、ってラグスが言ってたんじゃない」


 ドアノブに手をかけながら言うラグスに、前に彼から聞いた台詞を言えば、ラグスがこちらに振り返って、口を開く。


「まあ、いつかはそうするさ」

「へ?」

「帰る先に、アリスが居るなら、より頑張れるってこと」


 ふっ、と笑ったラグスの青い瞳が、ランプの灯りでキラ、と光る。


「え、と。あの」

「ま、仮の話で終わらせるつもりなんてないから、そのつもりで」

「ラ、ラグス?!」

「じゃ、俺は戻るから、きちんと戸締まりしろよ?」

「する、するけど、そうじゃなくて、さっきの」

「いずれ、な」


 掠めるようなキスをしたラグスが、「行ってくる」とひらり、と手を振って、外へ出ていく。


 そんな彼の行動に、私はというと。


「な、何、なに何なに何……?!」


 色々なことがありすぎて、頬を抑え、玄関先にしゃがみこんでいた。






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