第3部 過去と現在編
第32話 出窓の思い出
「ここが開いているなんて珍しいねぇ」
「あれ、マノンだ」
「やっほー」
久々に、通り側にある出窓を開けながら作業をしていれば、その出窓を覗き込んできたのは、お仕事中であろうマノンだ。
声に気が付いて振り向けば、ひらひら、と出窓の向こう側から手を振っている。
「空気の入れ替え?」
「それもあるけど、時々、動かさないと私一人じゃ開けられなくなっちゃうから」
「なるほど。動かしにくいなら今度、直しにこようか? ラグスが」
「っふふ」
自分が、と言いそうな顔をしながら、ラグスの名前を言うマノンに思わず笑い声が溢れる。
「あ、そういえば……この出窓って、昔は使ってたよね? オレ、何回か見かけたことある気がする」
「おばあちゃんが此処でお店を開いてた時だから、私達の小さい頃の話じゃない?」
「そうそう。別邸を抜け出してた頃だからその頃かも」
「ふふ、マノンって結構やんちゃだったんだね」
「だってさぁ、せっかく王都に来たってのに、引き篭もらされるなんて有り得ないじゃん? しかも遊びたい盛りの子どもだよ?」
「……遊びに出たくなる気持ちはわかる」
「でしょー?」
出窓の通り側、出っ張っているカウンターに頬杖をつきながら言うマノンに、ふふ、ともう一度笑っていれば、とてもよく知っている姿がマノンの背後に見える。
「でしょー、じゃねえんだよ、でしょー、じゃ」
「いったあ?」
バシッ、といい音を立ててマノンの背中を叩いた彼に、マノンは振り返って「痛いよ?!!」と抗議の声をあげる。
「痛くしたからな」
呆れたような表情を浮かべてマノンに答えた彼に、「もお……またそうやって……」と小さく呟けば、「お前も近すぎ」と何故か私まで怒られた。
「近い?」
なにが? と首を傾げた私に、彼は大きく溜息を吐く。
「……とにかく、俺以外とあんまり近づきすぎるな」
そう言って、出窓越しに私のおでこをラグスが軽く叩く。
ただ、それだけだったけれど。
微かな痛みが、胸に刺さる。
「え、ちょ、アリスちゃん?! どうしたの?! 痛かった?!」
「っ!」
「……へ?」
突然、私を見てオロオロと慌て始めるマノンと、急に動き出したラグスに驚くものの、ふと、何かが起きていることに気がつく。
「アリス」
開けておいたドアから駆け込んできたラグスが、私の頬に触れる。
「ラグス、あの」
ラグスの手に触れた水分が、じわりと頬に広がっていく。
それと同時に、自覚したのは、視界が歪んでいること。
目頭が熱くて、鼻の奥が、ツンとしたこと。
「……あ、れ……何で、泣いて……?」
「悪い、忘れてた」
そう言って、ラグスの腕が私を包み込む。
「…………あ、そっか……。そろそろだっけ」
出窓越しに、なにかを思い出したように呟いたマノンの声が、やけに静かに聞こえた。
◇◇◇◇◇◇◇
「……おやおや、アリスはそこが好きねぇ」
「おみせばんしてるの! おばあちゃんのあめ、アリスがみはってるからね!」
「おやおや、頼もしい店員さんだこと」
「えへへ」
アリスにとって、まだ少し高い位置にあった出窓近くに座れるように、と彼女の祖母がアリスのために用意をした踏み台を使って椅子に座り、幼いアリスは外を眺める。
出窓に並べられた飴は、アリスの祖母が作ったもので、アリスいわく「キラキラと、シャリシャリ、ちょっとにがくて、ちょっとからい、どろどろしているもの」。
そんな様々な味の飴が置いてあるこの場所は、アリスの祖母が営むの小さな店だ。
通りを通る人たちは、にこにこと笑いながら、出窓の前に座るアリスに声をかけ、時々、祖母の作った飴を買いに、客も来る。
アリスは、そんな街の人たちを見るのも楽しくて、そんな人たちと話す楽しそうな祖母を見るのも嬉しかった。
だからだろう。
彼女はいつも、祖母の隣に座っていた。
「よう、アリス。ちゃんとこの前のプーミーとナミナは食べたかあ?」
「のこさずたべたよ! おいしかった!」
「おお、そうかそうか! この前まで美味しくないって言って泣いてたのに、ちょっとはお姉ちゃんになったか!」
「なったよ! だってやくがくふにべんきょうしにいくには、おねえちゃんにならなきゃいけないんだ、っておばあちゃんがいってたから!」
「お? 何だ、アリスは薬学府に行くのか! じゃあクートと一緒だな!」
「うんっ!」
出窓越しに、アリスの頭をぐりぐりと撫でながら言う近所に住む男性の言葉に、アリスが大きく頷いていれば、「あらあら」と彼女の祖母の優しい声が聞こえる。
「体調はもう平気なのかい?」
「ああ、薬師んとこでも世話になったしな! ああ、でも、喉がまだ少しイガイガするんだ。前に買ったあれ、まだあるか?」
「ええ、ありますよ。アリス、そのチウメとミワエの飴を取ってちょうだい」
「このきいろいやつだよね! はい、おばあちゃん」
「ありがとう。助かるわ」
そう言って、祖母は彼女の頭を撫でて、優しく笑う。
「にしても学者先生は大変だよなぁ……本当なら親のほうが一緒にいたくて堪らない時期だろうに」
「そうは言っても、原因の分からない流行り病だからねぇ……幼い子を連れては行けないでしょう?」
「確かにな」
優しく頭を撫でてくれる祖母と、男性の言っていることが幼いアリスには理解できず、彼女は首をかしげる。
「?」
「ま、でも、ばあちゃんが甘やかしてるから寂しくねぇよな。な、アリス!」
「? うん!」
祖母がいるから寂しくないだろう。
そう聞かれ、大きく頷いたアリスを見て、「よしっ、いい子だ」と男性がまたアリスの頭を撫でる。
「じゃあまたな」
「はいはい。次はおやつとして買いに来なさいね」
「はいよ」
ひら、と手を振って歩いていく男性に、アリスは「またねー」と手を振りながら叫ぶ。
そんな彼女を見て、彼女の祖母は笑い、そんな祖母を見て、アリスも笑った。
『 当たり前は、当たり前だからこそ、幸せなものなのだ 』
それが、誰の言葉だったかなんて、覚えてもいないけれど。
それが、本当にそうだなと思うまでには、随分と時間がかかったけれど。
おばあちゃんに教わったことは、たくさんあって。
そのどれもが、私にとっては宝物で、失くせないもの。
寂しく、辛いお別れがあったとしても、私にとっては、色褪せないもの。
だって、その思いも全部、私を作る一部分なのだ。
◇◇◇◇◇◇◇
「大丈夫か」
「うん、大丈夫」
「…………」
「本当に、大丈夫だよ」
静かに問いかけてきた幼馴染に、しっかりと彼の瞳を見ながら答えれば、しかめっ面が返ってくる。
「眉間にしわ。癖になっちゃうよ?」
「……別にいい」
「またそういう事いって……」
ぴと、とラグスの眉間に触れながら言った私の手を、ラグスがぎゅ、と掴む。
「アリス」
「……本当に、大丈夫。ただ、ちょっと」
「ちょっと?」
「ちょっとだけ、懐かしくなっちゃったというか…………会いたくなっちゃったのかも」
「ばあちゃんにか?」
「うん」
そう言って頷いた私を、ラグスが腕の中にしまいこみ、頭の後ろをぽん、ぽん、と軽く叩く。
「いっつもここに居たもんなぁ、お前」
「ラグスはいっつも何かを置いてってくれてたよね。お花とか、木の実とか」
「…………覚えてないな」
「えー、嘘だあ」
「…………そんな古い記憶なんて忘れた」
「私は覚えてるよー? ラグスが初めてお花を持ってきてくれた時のことも」
「………………」
あやすように私の後頭部を叩いていたラグスの手が止まる。
何だろう。
そう思い彼の様子を見ようと頭を動かすも、「見なくていい」と強めの言葉とともに、ぐい、とラグスの肩口へと顔がおされる。
「…………もしかして、照れてる?」
見えないけれど。もしかして。
そう思って、呟けば、彼から返ってきたのは、たった一言。
「…………うっせ」
その言葉に、抱きしめられたまま、ふふ、と小さく笑えば、私の頭上からは、小さな溜息が聞こえた。
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