第31話 誘拐事変 後日談

「アリスっ!!」


 バタンッ! と勢いよく開いたドアの音とともに、私の名前が大きな声で呼ばれる。


「ユティア? どうしたの?」

「大丈夫?! 怪我は?!」


 真っ青な顔をして私をペタペタと触るユティアに、「だ、大丈夫だよ」とかろうじて返事を返す。


「本当に?! 本当に本当?」


 泣き出してしまうのでは、と思うほど目を潤ませたユティアに、「大丈夫」と手を握りながら伝えれば、ユティアが「良かったぁ」と大きく息をはきながら呟く。


「って、ユティア、お仕事中だったんじゃ」


 よく見てみれば、仕事の制服のままの幼馴染に驚いて問いかければ、「うん」と彼女は頷く。


「アリスが輩に襲われたって聞いてそれどころじゃなかったもの!」

「……輩って……」


 ユティアの言葉に思わずツッコミをいれれば、「輩で十分よ!!」とユティアが息を荒くしながら答える。


「あ、そういえば、ラグスは? ここまで送ってきたんでしょう? 帰っちゃった?」


 ふと、唐突に落ち着いたらしいユティアが、きょろ、と室内を見渡しながら、彼の名前を言う。

 たったそれだけのことだったけれど。


 ふいについさっきの出来事を思い出して、ぶわっ、と頬に熱が走る。


「アリス? どうしたの?」


 そんな私に気がついたユティアが、私の顔を覗き込みながら問いかけたあと、「……あいつ…」と小さく呟く。


「……やっぱりラグスのこと、一発殴ろうかしら」

「え、ええええ?!」

「だって、わたしのアリスに!!」


 グッ、と握りこぶしを作りながら言ったユティアに、驚きの声をあげれば、ユティアが私の手を握りしめて言う。


「いや。でもね、殴られたら痛いし、殴るほうだって痛いってラグスも言ってたし!」

「でもでもでもでも! なんかとっても殴りたい気分だし!」

「いや、あのね、ユティア。だから、ユティアが殴ったらユティアの手が痛いし、っていうか殴る必要がどこにって、あ」


 ふるふると握りこぶしを震わせて言うユティアの背後に、白い影が、ゆらり、と動く。


「おやおや。僕の恋人は随分と物騒なことをしようとしてるねぇ」


 そう言って、ユティアを背後から抱きしめたのは、白衣を着たままのクートだった。




「……ごめんなさい……」

「ううん、そこまで思ってくれてる、って分かって嬉しかったから大丈夫だよ?」

「……っもう! もうっ!」

「あうっ」


 しゅんとしながら謝ったユティアに、正直な感想を伝えれば、それを聞いたユティアが、ぱあっ、と表情を明るくしたあと、私に抱きつく。


「それにしてもいつもにまして随分と無茶をしたじゃないか」

「……だって……」

「だって?」


 諌めるような視線のクートに、だって、と小さな声で返せば、クートは静かに言葉を待ってくれる。


「シンシアさんが、本当に困っていたから」


 お父様、と呟いた時、彼女の小さな手は小刻みに揺れていて。

 年下、ということもあるけれど、守らなきゃ、と思ったのだ。

 撒いてきた、と言っていた騎士団の元へ、誰よりも信頼できるラグスの元へ、連れて行かなくては。

 そう思ったから。


 思う言葉が、うまく出てこなくて、止まってしまうけれど。


「そう」


 ただ、それだけ。

 それだけを言ったクートが私の頭を撫で、ユティアが、また抱きしめてくれる。

 ただ、それだけだったけれど。


「心配かけて、ごめんなさい。心配してくれて、ありがとう」


 二人へのごめんなさいとありがとうを精一杯にこめて言えば、ユティアとクートは、同じ顔をして笑った。




 ◇◇◇◇◇◇



「クート、何だか少し寂しそうね?」

「そう見えるかい?」

「うん」


 アリスの家からの帰り道、わたしの横に並ぶクートが、何やら少しだけ寂しそうな表情を浮かべていて、少し気になる。


「なんだろうね。親心、は違うな。兄貴の気分かな」

「お兄ちゃん?」

「大事に大事にしてきた妹を、掻っ攫われていった、ってとこかな」

「ああ、アリスのことね」

「そうだね」

「そうね。それは、わたしも、かも」

「そうみたいだね」


 クートの言葉に、さっきまで一緒にいた幼馴染のことを思い出して、ほんの少しだけ寂しさが募る。

 自分たちの関係性が変わるわけじゃない。

 それに、大好きな友人が、大好きな人と恋をしている。

 とても素敵なことだと、理解はしているけど。


「もしかしたら、少し前のアリスも、こんな気持ちだったのかしら」

「おや、と言うと?」

「時々ね、わたしとクートが話している時に、寂しそうな表情を浮かべる時があったの。一人ぼっちになるはずがないのに、って思っていたけど……違ったのかも知れない」

「……そうだね」


 きゅ、と手を握ったわたしに、クートが「ティア」とわたしを呼ぶ。


「なあに」

「例えばこの先、マノンも含めて、僕たちの関係性が変わったとしても、君は僕の隣にいてくれるかい?」

「もちろんっ」

「……そっか」


 そう言って、クートは静かに微笑む。

 その笑顔が、やけに綺麗に見えて、心臓がドキリと跳ねる。


 ー 恋をしている人って、キラキラして見えるの


 前に、そんな風に言っていたアリスの言葉が、頭をよぎる。


「キラキラ、かあ」

「ん?」

「んーん、何でもない」


 ふるふると首を横に振ったわたしに、クートは「そう」といつものように柔らかく笑う。


「……ところで、ティア?」

「なあに?」

「次は誰かを殴るなんて言う前に、僕に言ってね?」

「え?」

「当たり前だろう? 君に誰かを殴らせるくらいなら、僕がそいつをぶっ飛ばすさ」


 にっこり、と完璧な笑顔を浮かべながら、そう言ったクートに、わたしは密かに言うのは止めよう、と心に誓ったのだった。









  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る