第26話 誘拐事変1

「そこのあなた! って、あなたアリスよね?! アリス! ちょっとわたくしを匿って!」

「え、何なになに?」


 材料の収集を終え、森から自宅へと戻る最中、切羽詰まった声に、名前を呼ばれた、と自覚したと同時にグンッ、と腕を引かれ路地裏へと引きずり込まれる。


 誰?! と振り返りながら犯人を見やればそこには、こんな場所には似つかわしくない少女の姿。


「シンシ」

「しーーっ!」


 ばっ、と勢いのままに口元に当てられた彼女の手に戸惑いながら、よくよく見てみれば、シンシアさんはやけに焦ったような、怯えたような表情をしている。


 出来る限り通りから見えないよう二人で物陰へと隠れ、彼女を見やる。


「どうしたんですか」


 そう問いかけた私に、シンシアさんはほんの一瞬、戸惑った顔をしたあと、口を開く。


「わたくし、追われているの」

「追われてるって、ラグ、えっと、騎士団の人たちは? 護衛をしてもらっているのでは?」

「……はぐれてしまったんですわ」

「はぐ……?」


 はぐれた、と言うシンシアさんが、私から視線をそらす。

 多分、これははぐれたというより、騎士団を撒いてきたのでは……。

 そんな疑問が生まれた瞬間に、「ともかく!」とシンシアさんが私に顔をつきあわせながら口を開く。


「わたくしは追手を撒いたあとに騎士団のかたと合流しなくてはなりませんの!」

「……撒いたあとって……」

「こんなところで話し込んでいる場合では無いのですわ。早く、早くお父様にお伝えしなくては」


 段々と小さくなっていく彼女の声と、下がった眉が彼女の不安を物語っている。

 お父様、と小さく呟いた彼女の指先がカタカタと震えている。

 その様子を見て、私はシンシアさんの手をぎゅっ、と掴み、「よし」と静かに、けれどお腹の底からの声を出す。


「分かった。私に任せて」

「アリス」

「……シンシアさん、こっち」

「アリス、わたくし」

「大丈夫。信じられないかも知れないけど、騎士団なら、絶対にどうにかしてくれる。だからまずは場所を変えよう」


 そう言った私を、シンシアさんは不安げな表情は残しつつも、「……お願いするわ、アリス」と私の手を握り返しながら頷く。


「シンシアさん、行きましょう」


 こくり、と彼女が頷く。その様子を確認し、私は手を繋いだまま、路地裏の壁の途中にある扉を開け、中に入り込む。

 少しだけ降る階段を降りながら、カバンの中を漁る。


「ええ、っと。これと、あと……あった」

「何故アリスはそんなものを持っているのです?」


 カバンから取り出したものを見て、シンシアさんが不思議そうな表情を浮かべる。


「火種が切れてしまった時ように、念のため持ち歩いているんです」

「……行商人以外で持ち歩いている人間は初めて見ますわ」

「そうですかね?」

「ええ!」


 ぼんやりと光りを放つ石を見ながら、シンシアさんは頷く。

 言われてみれば、家に置いてある人は見ても、持ち歩いている人はあまり見かけないかもしれない。

 そう思いつつ、まあ、クートも採集に出る時に持ってたりするしな、と一人納得をして小さく頷く。


「それと、それは何ですの?」

「えっと、まずはシンシアさんの髪、このままだと走りにくいし、汚れてしまうから、纏めませんか?」

「鏡もないのにどうやってまとめるんですの?」

「嫌かも知れませんが、私が」

「!!」


 カバンから取り出した紐を彼女に見せれば、彼女は驚いたあと、「……お願いしますわ」と私に背を向けながら言う。


「くれぐれも、変な風にはしないように!」

「ふふ、分かってます」


 ぴ! とこちらを見ながら人差し指を立てて言うシンシアさんに、笑いながら答えれば、彼女は「それならいいのですわ」と満足げな顔をして、また背を向けてくる。

 その様子に、彼女と少し距離が近づいたような気がして嬉しくなりつつも、ここでのんびりとしている場合では無い。

 早く移動しなくては、と紐を手に、シンシアさんの髪へと触れた。



「……それにしてもこんな場所に通路があるだなんて……」

「この場所は、商店街の人もたまにしか通らない抜け道なんです」

「抜け道……?」

「そう。お店の裏に、ここに降りる扉があるんです。お祭りのときとか、通りに人がたくさんいてお店まで戻るのに時間がかかってしまう時とか、お店にも置けないほどに商品が溢れてしまった時とか、そういう時に使ったりしてます」

「初めて知ったわ」


 シンシアさんに説明をしながら、通路にかかれている番号を確認する。

 私の家からはだいぶ離れているし、頼れる幼馴染のクートのお店は、こっちの通りではないから、この通路越しには行けない。


 それに、シンシアさんの住む街の西側へ行くには、まずはこの通路を出なくては。

 でも、出たあとはどうする。

 きっと、騎士団はシンシアさんを探している。

 それなら、彼は、ラグスなら、どうする。

 どこに行けば、見つけてくれる。


 通路の番号に触れながら、そう考える私に、「アリス?」とシンシアさんの私の名前を呼ぶ声が聞こえる。

 私が不安に思っては駄目だ。

 私以上に、いま不安なのは、彼女なのだから。


 大丈夫。騎士団なら。

 ラグスなら絶対に、見つけてくれる。


 何故だか分からないけれど、強くそう思った私は、不安そうに私を見ていたシンシアさんに、「まあ、でも」と明るく声を向ける。


「普段はあまり使わないんですけどね。暗いですし」

「……そうね。暗いわ」

「あと少しです」


 暗い、という言葉に、シンシアさんの手に力が入る。

 ただでさえ不安を感じているであろうから、早めに戻らなくては。

 何かあった時ようにと、さっき蓄光石と一緒にカバンから取り出しておいた瓶を手のひらに確認しながら、歩を進める。


「アリス、あの光は」

「大丈夫、外に繋がる出口です」

「そう」


 ほっ、と小さく息を吐いたシンシアさんに、「急ぎましょう」と声をかけ、ほんの少しだけ歩く速度をあげて、出口へと向かう。


「大丈夫かどうか、私が先に確認します。少しだけ、待っていてください」

「……分かったわ」


 静かに頷いたシンシアさんに、蓄光石を渡し、扉へと近づく。


 ギィ、と扉の金具が静かな音をたてる。

 暗闇から明るい外へ出たことで、ほんの少しの間、目がチカチカしたものの、すぐに慣れ、周囲を見回す。

 大丈夫。怪しい人はいない。

 出てきた扉を開け、「大丈夫」と中にいた彼女に伝えれば、彼女もまた、明暗の差に少し眩しそうにしながら扉から出てくる。


「目が眩むわ」

「大丈夫ですか?」

「……ええ、問題ないですわ」

「ここからは人通りも増えます。ただ、シンシアさんの服だと目立ってしまうので、これ、羽織っていてください」


 そう言って、自分の上着を彼女の肩へとまわす。


「でも、そうしたらアリスが寒いじゃない」

「これくらいならまだ平気です」


 ぐっ、と手を握りしめながら言った私に、シンシアさんは一瞬息をのんだあと、ありがとう、と言って私の上着へと袖を通す。

 その様子を見て、自身もカバンを肩へとかけ直し、よし、と小さく気合を入れる。


「行きましょう、シンシアさん」

「行くって、どこへ」

「騎士団が、ラグスが見つけてくれる場所へ」

「ラグス……?」

「はい。幼馴染なんです」

「そう、なの」


 はい、と頷いた私に、シンシアさんがほんの一瞬だけ戸惑った表情を浮かべたあと、「あと少しお願いするわ」と握った私の手を、握り返してくる。

 その行動を合図に、「こっちです」と彼女の手を引き、歩きだす。


 人並みをくぐり抜け、前へ前へと歩く。

 騎士団の皆みたいに、訓練なんて受けているわけでもないから、周囲を警戒、察知、なんて凄いことは出来ないけれど。

 それでも、良くない雰囲気くらいなら分かるつもりだ。

 それもまだ、無い。


 人混みを抜け、通りの最後の建物を目指す。

 そこを抜ければ、あとは王宮や騎士団の宿舎のある地区や、シンシアさんの住む西地区が見えてくる。

 きっと、そのあたりに、騎士団が待機しているはずだ。

 そう考えていたのは、私だけじゃないらしく、「アリス、あれ」とシンシアさんの少しだけ上擦ったような声がすぐ後ろから聞こえる。


 とと、と小走りで隣に並んだシンシアさんが、通りの先のほうにいた人影を見つける。


「騎士団ですわ」

「あそこまで行けば大丈夫ですね」

「早く行きましょ!」


 人影の正体は、一番隊の人たちだ。

 一番、身体が大きい人はきっと、隊長のメレルさんだろう。

 その横に立つ人は、多分、タウェンさんだ。


 見知った人影を見つけ、ほっ、と小さく息を吐く。

 と同時に、向こうの人たちも私たちに気がついたらしく、タウェンさんと思われる人が、こちらへ向かって走りだす。


 良かった。

 もう大丈夫だ。


 そう思った次の瞬間。


「見つけた」


 そう聞こえた声と、ゾクリ、とした空気に、背中に寒気が走った。






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