第41話 過去ー音楽府編3(ユティア目線)

「大丈夫かい?」

「……クート……どうしてここに……」

「何となく、かな」

「……そう……」


 それだけを言ったわたしを見て、クートはほんの少しだけ表情を崩す。


「少し、歩くかい?」

「……うん……」


 人の少ない道を通って、校外へと歩いて行く。

 少しだけ先を歩くクートの、引っ張るでもなく、握りしめるわけでも、立ち止まらせるわけでもない、ゆるく握られた手が、温かさを教えてくれる。



「クート、あの、さ」

「うん」

「わたし、ひどいことを、したのかな……」

「どうしてそう思うんだい?」

「本当は、わたし、ここには宮廷楽士になりたくて入ったわけじゃないの」

「……うん」

「ただ、上手に歌えるようになりたかった。ただ、うまく踊れるようになりたかった」

「……そうだね」

「ハノみたいに、ワトみたいに、ミオンみたいに、大きな目標があったわけじゃないの」


 わたしは、場違いだったのかもしれない。

 もっと、始めから、自分がそれを分かっていたら、誰かを、ミオンを傷つけるようなことは、無かったかもしれない。


「……どうしてユティアは、ミオンを傷つけたって思うんだい?」


 立ち止まることなく、ゆっくりと歩きながら、クートがわたしに問いかける。


「さっきも……この前も……傷ついた表情をしてた。さっきは……見れてないけど……声が」

「そんな感じだった?」

「……うん」


 そっか、と呟いたクートが、足を止める。


「クート?」


 ふいに立ち止まり、こっちを向いた幼馴染を不思議に思い、彼の名前を呼べば、ぐいっ、と手が前へと引かれる。


「わっ」

「よいしょ、っと」


 ポス、と倒れ込んだ先はクートの腕の中で、薬草の匂いが鼻先をくすぐる。


「……クート、どうしたの?」

「んー? いまのティアには、これが要るかなぁ、って思っただけだよ?」


 わたしのおでこに顎をつけながら話すクートの腕が動く。


「クート?」

「これは、僕の独り言だから、聞かなかったことにしていいよ、ティア」

「…………独り言?」

「正直、僕はね、君が宮廷楽士になるなら、なるで、ならないならそれで、どっちでもいいんだ」

「どっちでもって……」

「そう。どっちでもいい。だって、君が選んだ道だ。僕は、それを応援するし、困ったことがあるなら力になるし、それはこれからもこの先も、変わることはない」

「……そう」

「こら。僕の独り言だって、言っただろう?」

「あ、うん」


 顔を動かそうとした瞬間、グイ、と後頭部のおかれたクートの手が、わたしの動きを止める。


「僕は僕のやりたいこと、やるべきことをする。そりゃ、ティアが近くに居てくれたら何百倍もやる気は変わってくるけど、だからと言って、君を僕で縛り付けるつもりはない。ティアは、ティアらしく過ごして欲しいし、歌っていて欲しい。ティアが楽しいと思える場所が、ティアの居る場所なんだ、と僕は思ってる」

「……クート……」

「だからね、一時の友情で、君の将来を狭める必要はないんだよ」

「一時って……」

「ああ、ごめん。言葉が悪かった。これからもずっと続く友情であったとしても、だ」

「それは……」

「君の将来は、君だけのもの。そして、君は、迷いながらも道を選んだ。違うかい?」

「…………違わない」


 ぽん、ぽん、と頭の後ろを、クートが優しく叩く。


「迷って泣いたって、いいんじゃないかな。誰も傷つけないでなんて生きていけないし。それに僕とエリーを見てご覧よ。お互いボッコボコにし合ってるじゃないか」


 クツクツ、と笑うクートの声が、ぴったりとくっついた身体から聞こえてくる。


 また、少しクートの背が伸びた。

 そんなことを考えてしまうくらいには、落ち着いたらしい。


「……ぼこぼこにしすぎて、この前、アリスを泣かせたことは許さないからね」

「あー……それは……何と言いますかー」


 片手で、自分の頬をかきながら言うクートを見上げれば、「ん?」と少し下を向いたクートと視線が重なる。


「ねえ、クート」

「何だい?」

「おまじない、してくれる?」

「おまじない?」


 きょとん、とした顔をして、首を傾げたクートに、言葉を続ける。


「ちっちゃい時にいつもしてくれてたやつ」

「ちっちゃい時に……って、アレ?」

「そう、それ」

「あー…………」


 困った顔をしながら、斜め上を見るクートに、「ねえってば」と声をかければ、クートの耳が、少し赤い。


「本当にするの?」

「して欲しい」

「知らないよ? どうなっても」

「元気でるもん」

「あー……さいで……」


 しばらく、ううん、ううん、と唸ったあと、観念したような表情を浮かべて、クートが少し離れる。


「……目、閉じてて」

「……うん?」

「……本当にするよ? いい?」

「いいよ」


 視界を閉じた代わりに、風に揺れる葉っぱの音や、遠くの人の声が耳に入る。


 トス、と軽い衝撃と、少し高めの体温が、おでこにあたる。


「それはそれは小さな森 もしも小さき人ならば

 その青をまとえただろう 青に愛されしこの丘は

 芽吹きの丘とうたわれよう」


 少し低くなったクートの声が、耳に入る。

 皆がうたう、この国の歌の、冒頭。

 昔から、クートの歌うこの部分が好きなのだ。


「クート、ありが」


 歌い終わった、離れたおでこの体温に、瞼を開ければ、クートの顔がすぐ目の前にある。


「まだダメ」


 そう言って近づいたクートに思わず目を瞑れば、瞼に柔らかいものがあたる。


「なっ、いまっ?!」

「元気、出たでしょ?」


 ぱちん、と片目を瞑って笑うクートに、ドキリ、と心臓が大きく音を立てる。


「そこまでしてなんて言ってないっ!」

「だから本当にいいか聞いたのにぃ〜」


 グッとクートの制服の胸元を掴んで、ぐらぐらと前後に揺らしながら文句を言えば、クートは耳を赤くしながら、「理不尽〜」と笑った。







  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る