第36話 過去ー薬学府編4

「アリス。お祭り用の飴、進捗はどうだい?」

「うん。今のところは問題ないよ」

「そう。良かった」


 笑顔を浮かべて頷いたクートに、大丈夫、と返しながら、話に出た分とは別の、納品に持ってきた幾つかの飴を籠から取り出していく。


「ああ、そういえば」


 ふと、何かを思い出したクートの言葉が聞こえ、作業の手を止める。


「なにかあった?」

「や、今年の調査なんだけどさ」

「うん?」

「今年は早めにラグスとマノンにお願いしておいたほうがいいかもしれないね。お互い、どちらかに会った時に伝えるようにしようか。今年は去年よりも忙しいみたいだから」

「あ、そっか」


 シンシアさんの誘拐未遂事件のあと、新人団員も増え、さらには、前から案に出ていた国境付近への警備派遣が決まったらしい。

 それに備えて、いまラグスとマノンがいる騎士団は通常任務の他にもアレコレとやることが山積みらしく、とても忙しいと聞いた。


「でもそれだけ忙しいなら、なおさら私達だけで行ったほうが……もう大丈夫かもしれないしさ?」

「まあねぇ。けど相手は植物だからね。念には念をいれておいたほうがいいとは思うんだよ」

「……まぁ……うん……でもなぁ……」


 忙しそうなのを目の当たりにしている分、少し頼みにくい。

 はっきりと頷けない自分に、クートが「気持ちは分かる」と苦笑いを浮かべる。


「でもね、アリス、僕たち薬師は夜間採取に慣れているけど。もしも冬眠前の気が立っている獣に出くわしたら、僕はアリスの身まで守れる気がしない」


 両手のひらを空に向けるように、降参と言わんばかりの格好をしてクートは首をすくめる。


「それは私も同じ。でもほら、去年みたいに私も対処はして行くし、アレならクートの分も作れるし」

「うん、去年の刺激的なアレは、だいぶ役にたったけどね。でも、もしかしたら怖いのは獣じゃなくて人のほうかもしれないよ?」

「……クート?」

「あの花は、人を変えるだろう?」


 ほんの少しだけずれかけていたモノクルを直しながら、クートは言う。


「まだ痛む?」

「痛みはないよ。ただ、時々ちょっと霞むくらいかな。まあでも困るほどじゃないよ」

「そっか……」


 にこり、と笑ったクートのモノクルの下の左眼は、ほんの少しだけ色が薄い。


 「失明しなかっただけでも幸運だった」


 そう言ったのは、クートの瞳の色が変わってしまう原因の事件が起きた当時、私とクートが通っていた薬学府の先生だ。

 いつもは厳しい先生が、悲しい顔をしながら、そう言っていたけれど。


「僕たちは対策をしていくから平気だ。でも、やっぱりあの花が咲く夜の、あのあたりは、万が一の可能性を考えて危険な地域だとみなしておくべきだ。立入禁止になってはいるけど、皆がみんな、規律を守るわけでもないからね。最近は薬草の違法採取も増えているみたいだし。危ない奴の手に危ないものを掴ませるわけにはいかない」


 カウンターに置いてあった薬草を一枚、手にとりながら、クートは言う。


「そのために、私たち薬師がいて、そのための騎士団がいる、だよね?」


 クートを見ながらそう言えば、彼は「そうだね」と笑ったあと、薬草を半分に折る。


 パキン、と小さな音が鳴る。


「ま、僕も、本当はもう無害になってるんじゃないかと期待してるんだけどね。だいぶね」

「ふふ、やっぱり」

「そりゃあねぇ。だって僕たちアイツに何年振り回されるんだ、って話でしょ?」


 パリパリ、と折った薬草を指先で砕きながら言うクートの言葉に、指折り数える。


「……結構な年数は経ってるね」

「だろう? それに、先生たちも言ってたしね。三回 冬を越して、三回 春を迎えて、それでも問題がなければ、僕たちの無毒化は成功だって」

「言ってた。それが今回の開花」

「前回は失敗したけど、今回は大丈夫。そんな気がするんだ」


 そう言ったクートの瞳はキラキラと輝いている。


「楽しそうだね? クート」

「まあね。僕たちの、悔しいけど、アイツの理論もだけど。それが証明されるかもしれないからね。楽しむなって言われるほうが無理だよね」

「ふふ、確かに」

「それに、アリスだってワクワクしてるだろう?」


 くく、と私を見てクートは笑う。


「ワクワクがないと成績も効果もあがらない、だっけ?」

「そうそう。負けて悔しくて勉強してもいいけど、その先にある楽しさに気づけないとね。だからある意味で、アイツには感謝もしてるし、アイツも僕に感謝すべきだよね」


 クツクツと彼を思い出しながら笑うクートに、つられて笑い声をこぼす。


「確かに。ふたりとも凄かったもんねぇ」

「だろう? あの出来事のおかげで僕もアイツも成績も評価もあがったわけだしね」

「先生たちも驚いてたもんね。薬学府創立以来の、素晴らしい成績だ! しかも二人もだなんて!って」

「卒業試験はほら、あの事件があった後だからね。コイツにだけは絶対に負けてやらない、ってお互いに思ってたから」


 ニヤリと笑ったクートに、「本当に、二人とも例外だらけだったもんねぇ」と当時を思い出して、私も思わず笑いが溢れる。


「まあ、でも。ユティアを泣かせたことだけは、無かったことにはならないけどね」

「それは……エルンストも分かってるんじゃない?」

「そりゃあもう、かなり体感したし? それからユティアに手を出したら僕が黙ってないことも学んでるよ」

「……いつの間に」

「そりゃあね? エリーが相手だし、なんせ対象がユティアだからね。手は抜かないよ」


 クツクツ、と本当に楽しそうに笑うクートに、その表情をさせたエルンストが受けたであろうアレコレを想像して、思わず苦笑いが浮かぶ。



 幼い頃は、両方とも、太陽の光をいっぱいに浴びて育った鮮やかな新緑の葉っぱのような色をしていたクートの眼は、いまは左眼だけ色が薄い。

 両眼ではなく、片方だけ。


 彼の左眼の色が変わってしまった原因は、あの花の夜間観測での事故。


 あまりの強い幻覚症状に、混乱したエルンストを止めようとしたクート。

 あの時、エルンストを地面に寝転がらせたあと、布に中和剤の原液を染み込ませていたクートを、エルンストが思いきり引っ張った。

 その時、クートの左眼に、中和剤の原液がはねたらしい。


 あの事件の翌日、赤く充血していたクートの左眼は、色が薄くなり、視力も、弱くなっていた。

 そんなクートに、エルンストは何度も何度も謝ったけれど、クートは、そのたびに、「エリーのせいじゃない」と伝えていて。

 それから数日後、二人は何故か、服と髪はボロボロ、顔には痣、という状態で現れて、私はものすごく驚いたことを今でも覚えている。


「謝って欲しかったわけじゃない。君のことをライバルだと思っているからこそ、腐って欲しくなかったんだよ」


 そう言って、クートはエルンストの肩に寄りかかる。

 そんなクートを、エルンストは頭を軽く叩きながら、「うるせぇ」と呟いていた。














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