第23話 花の青と、君の青

「そりゃあ、まだ咲いてないよね」


 この花畑が、水色の小さな花で満開になるのはまだ少し先のこと。

 寒さは少し収まったけれど、国花にも指定されているメンジェイスの花はまだ咲いていない。


「小さい頃は、この花が国の花だなんてことも、知らなかったなぁ。……それに、この花の色が騎士団の色合いになってるだなんて、知りもしなかったけど……」


 ラグスが騎士団に入団し、所属する隊が正式に決まった頃、確か二人でここに来た時に教えてもらったような気がする。


「あの時は、満開だったんだっけ」


 風に揺れる小さな花が揺れ、風の通り道を描いているようにも見えた。


「あの時も、色んな話をしてて……そういえば、あの時、ラグス、副団長がどうとか……言ってたような……」


 ぼんやりとした記憶に、花の水色が混ざる。

 あの時、なんでラグスは、顔を赤くしていたのだろうか。

 あの時、どうして、彼は、まっすぐに自分を見ていたのだろうか。


「とても大事なことな気がするのに」


 どうして私は覚えていないんだろうか。


「やっと見つけた」


 カサ、と聞こえた音と声に、振り返ってみれば、そこには記憶の中よりも大きくなった幼馴染みが、記憶の中の彼と変わらずに、真っ直ぐに私を見て立っている。


「ラグス……? なんでここに」

「なんとなく。探したは探したけど」

「なんかごめん?」

「謝ることじゃないだろ」

「うん……?」


 ふ、と小さく笑ったラグスに、軽く首を傾げる。

 どうして嬉しそうなのだろうか。

 風に揺れる茶色の髪を見ながら、ぼんやりと考える。


「本当はさ」

「うん?」


 ゆっくりと一歩ずつ近づきながら言うラグスの様子が、なんとなくいつもと違うような気がして、胸の奥のほうに、チリ、とした痛みが走る。


「本当は、ここに来るのもう少し待とうと思ってた」

「もう少しで満開になるし?」

「ああ」


 私の目の前に立って、静かに頷くラグスが、私の目を見たあと、「あー、クソ」と言って、自身の髪をぐしゃぐしゃと崩していく。


「ラグス?」

「あのな」

「うん」

「完全に焦ってて、俺、本気で格好悪いけど」

「うん?」


 なんの話だろう、とラグスの言いたいことが掴めなくて首を傾げる。


「俺が、騎士団副団長になったら、絶対に、お前に、アリスに言うって決めてることがある」

「……ラグス、それ……」

「でも、その前に、まずは伝えなきゃいけないことがある」

「ラグ」


「アリス。好きだ」

「……ラグス?」


 メンジェイスの花が、揺れる。

 風の通る道筋が見える。


 真剣な表情で、私を見るラグスの瞳に、自分とメンジェイスの花が、映る。


「アリスが、好きだ」


 まるで今だけゆっくりと時間が過ぎているかのように、ラグスの言葉が、いつもよりも遅く聞こえる。


 ラグスは、今、なんて。


「えっ、と……?」

「家族とか、友達としてじゃない。恋愛対象として、アリスが好きだ」

「……え…、あ、あの……」

「返事は?」


 海の青色の瞳が、自分を捕らえている。

 風の音も、葉が揺れる音も、しているはずなのに。


 「アリス」


 ラグスの声しか、耳に入ってこない。


 「好きだ」

 

 耳に残った声に、一瞬にして頬に熱が走る。

 その瞬間、私の足は、唐突に踵を返して走り出す。


「な、なに、なんで」

「ちょ、おい! 何で逃げんだよ!」

「や、ちょ、ちょっと、わかんな」

「っクソっ!」


 叫ぶようにして聞こえてきた声に返せば、ラグスの焦った声が響く。

 クソッ、という苛立った声とともに「ガシャン」という音が聞こえた、と自覚した瞬間。


「逃がすかよ」


 グンッ、と腕を引かれると同時に、耳元に少し低い彼の声が響く。


「や、ちょ、ちょっと待って」

「そんなに嫌いか? 俺のこと」

「ち、違う、違くて」


 気落ちするようなラグスの声に、バッ、と振り返りながら言えば、思った以上に近くにあったラグスの顔に、頬の熱さが増す。


「……じゃあ、何?」

「な、何って……」

「嫌いじゃないなら、何?」

「い、言えない」

「俺はアリスが好きだけど」

「なっ?!」

「ま、その反応なら、お前も、だよな」

「なんで、そんな自信満々?!」

「何で、って、ずっと見てきてんだ。お前のことなら大抵分かる」

「そ、そんなの」


 違うかも知れないじゃない。

 そう小さく呟けば、ラグスは瞬きを繰り返したあと、ふっ、と小さく笑う。


「んじゃ、嫌なら拒めよ」

「え、どういう」

「こういうこと」

「な、っ?!」


 そう言って、近づいてきたラグスの顔が、目の前で止まる。


「アリス」


 ラグスが話す度に、息を吐く度に、息が当たる。


「好きだ」

「ラグス、私」

「答えは、知ってる」

「ラグ」


 頭の後ろに回った手は、決して力が入ってるわけではない。

 けれど、彼が触れた箇所が、どくどくと脈を打って、熱い。


 ほんの一瞬、掠めるように唇が触れ合った。

 そう思った次の瞬間。

 唐突に、思い出した。


 あの時、ラグスが言った言葉。



     「騎士団副団長になって、絶対にアリスにーーー」


 あれは、まだ、彼が騎士団に入ったばかりの、頃。

 あの時、私は、

 あの時から、彼は


「ラグス、あの時、ここで」

「やっと思い出したか」

「え、やっぱり、あれって」

「それはまた今度」



 青い海を閉じ込めた瞳が、頬の紅い私をうつしながら、そう静かに言って笑った。









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