第44話 国境付近はちょっと遠い。

「あ?」

「だから、お父さんたち、次にリボアの咲く頃に帰ってくるって」


 今朝、郵便屋さんから届いた手紙を、お昼前にうちに来たラグスに見せれば、「ふうん」と短い言葉が返ってくる。


「それだけ?」

「……それだけ、って言われてもなぁ。喜ぶような歳でもないしなぁ。お前と違って」

「む。同じ歳でしょ!」


 ラグスの言葉に思わず唇が尖る。

 そんな私に軽く笑ったあと、「てかさ」と目の前の幼馴染みは呆れたような表情を浮かべる。


「次って、こないだ咲いたばっかだろ」

「だから次の、って言ってるんじゃない??」

「……そんな先のこと言われても、って感じしかしねぇけど。まあ、暫く帰ってこないっつーことは、仕事は順調ってことだろ」

「きっとね! って、そうじゃなくって!」

「あ??」

「もー! 帰ってきた頃には、ラグスたちはカロレンツァに行ってるわけでしょ? 全然会えなくなっちゃうじゃない」

「そんなのいまさらだろ?」

「そうだけど、そうじゃなくて」


 もう……とお父さんたちの手紙に視線を落としながら呟けば、「親父たちも気にしてないって」と欠伸混じりの、のんびりとしたラグスの声が聞こえる。


「むう……」


 ラグスの反応に、口を尖らせていれば、私を見てラグスが笑う。


「そんなに言うんなら、レンリ辺りに遊びに来たらいいだろ。カロヒとレンリだったら治安は悪くないし。ツァザは……ちょっと遊びに、とは言えない地区だからなぁ。地区の端から端まで移動するだけで最低4日はかかるしな」

「ラグスたちがいるのは、一番端、ってことでしょう?」

「そ。国境警備だからな。まあ、事前に連絡くれれば」

「行ってもいいの?」

「事前に連絡くれれば、だ。そうすりゃマノンも休みの調整できるし」

「する! 絶対する!」

「はいはい」


 あぐ、と自分で買って持ち込んだカロンとボルルのジャムパンを食べながら言ったラグスに、やったあ! と喜んでいれば、私を見てラグスが笑う。


「とりあえず、俺がいないからって無茶ばっかりするなよ?」

「へ?」

「自覚ないようだから言っておくけどな。アリスは危なっかしいんだよ」

「そんなこと無いよ?」

「あるから言ってんの」


 そうかなぁ、と首を傾げた私に、「あのなぁ」とラグスがため息をついて、腕を伸ばす。

 次の瞬間。


「あ痛っ」


 ペシッ、とテーブル越しに伸ばされた手が、私のおでこを軽く弾く。


「好きな奴が危ない目にあってるって知らされる俺の身にもなれってことだよ。すぐに駆けつけられない距離に、行くんだから」


 晴れた日の海色の瞳に見つめられ、思わず視線をそらす。


「…………ぜ……」

「ぜ?」


 言葉がつまった私を、頬杖をつきながら覗き込むラグスの声は、あまりにも優しい声で。


「…………善処します」


 かろうじて、そう呟いた私に、ラグスは「そうしてください」とふわ、と柔らかな笑顔を浮かべて笑う。


 最近、ラグスのそういう笑い方が増えた。

 それこそ、二人ともが同じ気持ちでいた、と自覚した頃から、だと思う。

 それでも、前と変わらずに意地悪なこともするし、言うし、よく叱られるし。

 それなのにさっきみたいなのって。

 なんか。なんだか、とても。


「調子がくるう……」

「あ?」

「……何でもない」

「なんだよ」

「何でもない!」

「何でもなくないだろ」

「何でもないってば!」

「いや、あるな」

「もう、しつこい!」

「いまさらだろ、諦めろ」

「やだ!」

「無理」

「い! や!」

「知りたい」


 グッ、と私の腕を軽く掴んで、見つめてくる瞳に、胸の中をグッと掴まれたような、そんな気になる。


「…………っそういうとこ!!」


 ぎゅっ、と目を瞑りながら半ば叫ぶように言えば、少ししてから、ラグスの腕の力が少し緩む。

 反応が無い。

 怒らせただろうか。


 そう思い、ちら、と目を開けて様子を伺った瞬間。


「残念。あと少しでキス出来たのに」


 そう言って、今度はほんの少し意地悪な顔をして笑ったラグスの顔に、思わず両手のひらを押し付けた。



「そっかぁ。アリスママたち、まだまだ先だねぇ。じゃあ、ラグスたちとはすれ違いかあ」

「そうみたい」

「残念だねぇ」

「そうか?」

「相変わらずだね」


 最後に笑いながら言ったマノンが、暖炉からポットを持ってこちらに戻ってくる。

 いつもならユティアのお店に集まるのだけれど、どうやら今日は久々にお店がお休みらしく、それぞれが好きなご飯を買って、私の家に集合したのだ。


「あ、そういえばね、次のお休みの日なんだけど」

「ああ、ユティア、そのことなんだけど」

「うん?」

「その日、僕の店の手伝いをしてくれない?」

「お手伝い??」


 ユティアに続いて言ったクートの言葉に、ユティアがこてん、と首を傾げた。



「じゃあ、えっと……つまり……二番隊の皆に、薬学を教える、ってこと?」

「薬学を、というよりは正しい薬草、薬学講義、かな」

「?」


 クートの言葉に、ユティアが首を傾げる。


「正しいってどういうこと?」

「ああ、ほら、少し前に、騎士団と旅客の一部の人たちが薬草と毒のある野草を誤って摂取して、療癒院に運ばれた時期があっただろう?」

「そういえば、そんなこともあったわね。療癒院の人たちだけじゃ手が回らないから、ってクートとアリスもって」


 頷きながら言ったユティアに、「そう。その一件でね」とクートが言葉を続ける。


「国内外を問わず、そういう事例は案外多くてね。時々あるんだけど」

「酒場とかごはん屋でときどき聞くよね」

「そうそう。あと自分がちゃんと人の話を聞かなくてひどい目にあったのに、なぜか自慢しちゃう旅人」

「いるね」


 うんうん、とクートとマノンが一緒に頷くのを見て、ラグスが苦笑いを浮かべている。


「まあ、前から言っているんだけど、薬草も正しく使わないと危険なんだってことを、みんなにも知っておいて欲しくてね。ほら、今回は東の国境地区カロレンツァへ二番隊が出向になっただろう? あの地区は、薬師も少ない地域だからね」

「そか……じゃあ、怪我とか身体の具合が悪くなったらどうするの?」

「うん。良い質問だね、ユティア。ところで、少し前からうちの店にいる青年、わかるかい?」

「ああ、ニック君でしょう?」


 黒髪の背の高い穏やかな青年が、見習い薬師として、クートのお店に立っている。


「そう。あの青年、エリーからお願いされていてね。本来は宮廷薬師だから、市場にはあまり出ないんだけど、どうやらエリーたちのほうが、ツァザの件をかなり早くから知っていたみたいでね。もともと彼は、ツァザ地区への出向予定があったんだよ。ただ街での経験値が少ないから、修行、ってところかな」

「なるほど」

「エルンストって、けっこう凄い人だよね」

「まあ、能力は高いからね。うちに来ると子どもの喧嘩みたいなことしか言わないけど」


 マノンの言葉に、クートはクツクツと笑いながら言う。

 

 「おれはエリーじゃない! エルンストだ!」と聞こえてくる気さえもしてくる。

 そんな、エリーの様子を思い浮かべてふふ、と笑い声が溢れる。


「まあ、そんなこんなで、細かいところは省くけど、ニックは二番隊に同行してツァザ地区に行くんだけど。流石に、大人数に彼一人、だと大変だろうからね。何かあった時に、自分たちでも最低限のことができるようになっていたほうがいいんじゃないか、ってラグスとマノンから言われてね」

「初めは、アリスちゃんかクートに紙にまとめて書いてもらうだけで済まそうか、って話してたんだけど、実際に体験してみるべきだ、って二人に言われちゃって」


 なるほど、とクートとマノンの言葉に、ユティアが頷く。


「で、どうせ体験するんだったら、もういっそ、二番隊まとめてやればいいんじゃない? ってことになったわけさ」

「オレとラグスはちょこちょこ此処に来るから面識あるけど、他の隊員とは面識がほぼ無いしねぇ。いきなり当日に初めまして、よりはいいかなって」

「そ。あと、多分、彼自身も初めて体験することがたくさん出てくるだろうし。本当に大変だろうから、ひとまず今回は僕がニックの補助に入ろうと思ってね。ただ、ちょっと予定が狂って、僕が行けなくなってしまったから、僕の代わりにアリスに補助をお願いしたんだ」


 そういうこと、とクートとマノンの説明にユティアが頷く。


「その日、どうしても外せない商談が入っちゃってさ。商談自体は店内でするし、すぐ終わるんだけど、何時に来れるかがわからなくてね。だから、僕が商談をしている間だけ、ユティアに店番をお願いしたいんだけど」

「それは構わないけど……」

「勿論ちゃんと報酬は出すよ」

「いらないって言っても無駄なんでしょう?」

「そりゃあね。仕事ですから」


 にっこり、と笑ったクートに、ユティアは小さくため息をはいたあと、ラグスとマノンを見やる。


「あ? どうした? そんな顔して」


 なんだか少し、泣きそうな、寂しそうな顔をするユティアに、ラグスが不思議そうな顔を浮かべる。


「いや……なんていうか……本当にしばらく帰ってこないんだなぁ、って思ったら、寂しくなっちゃって」

「……ああ、それか」


 はは、と乾いた笑いを浮かべたラグスに、マノンが「ふは」と笑い声をこぼす。


「え、なんでマノンが笑うの?」


 きょとん、とした顔で自身を見たユティアに、マノンがふっと小さな笑い声を噛み締めながら口を開く。


「アリスちゃんにはそれ、言ってもらえなかったもんね?」

「な、マノン、てめぇ」

「え、私?」


 ふはははっ、と笑い声を吹き出しながら言うマノンに、ラグスがほんの少し慌てた様子で声をあげる。

 突然、名前を呼ばれた私はというと。


「なんで??」


 理由がわからずに、首を傾げれば、ラグスが大きなため息をついたあと、テーブルへおでこをくっつけた。



















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