第39話 決着

 ばっと土煙が上がったかと思えば、巨体どうしがぶつかる音とともに、翔龍若力の首筋に雷神威虎の長い角が食い込んでいた。

 若力は攻撃から体を逃がそうとしてリングの柵ぎわまで後退する。威虎は上に下に追撃を加えながら剛脚にまかせて押し込んでくる。

 防御をする若力は、一気に形勢が不利になった。

 若力は左前脚を踏み出し、左右に首を振り相手の角をほどいて、なんとか柵ぎわから脱出した。

 追撃は凌いだものの、いまの攻防で大きく体力を奪われていた。それを証拠に、若力の体表に汗がにじみ、呼吸に合わせて腹部が大きく上下していた。

 迷いのスキを突かれた。

 虎徹もただのドラ息子ではないらしい。こちらの失策を簡単に見逃してはくれない。これ以上のミスは許されない。

 しかし、突き合いではまるでダメージを与えられず、まともに組み合えばあの長い角が若力眉間の傷に突き刺さる。

 どうすればいいのだ。

 途端に翔真の中から潮が引くように冷静さが失われていく。

 そうしている間に、突進してきた威虎と真正面から組み合わされ、今度は角掛け合戦になる。押さえ込もうとする側と抜け出そうとする側。しきりに首を振る二頭の攻守が目まぐるしく入れ代わる。クロやパンダとの稽古では、てこの原理で角を支点に相手の首を押し込んで、有利な体勢にもっていけたのに、長くまっすぐに伸びた威虎の左角が眉間の傷に当たるせいで、力を入れようとするほど、若力にもダメージが返ってくる。

 正面からまともに組み合ってはダメだ。若力のスタミナも底が見え始めている。なんとか側面から攻撃して、一気に腹取りを狙うしかない。右角で威虎の角を外掛けにし、相手の首を下げさせることができれば、まだチャンスはある。

 いや、それしかない。

 翔真はいったん距離を取ろうと、若力の耳を引いて一歩下がらせた。

 しかし、威虎はその動きを読んでいた。

 角が外れた瞬間、右足を踏み込み太い首の筋肉を一気に弾ませて、あごの下から長い左角の強烈な一撃を放った。

 若力の前脚が浮きあがる。そこに威虎の連続攻撃が襲い掛かった。

 まるでダンプカーと相撲をするかのように、若力はリングの際から反対側まで、地面に溝を刻みながら一気に押し込まれる。

 一瞬のことに逃げ場を失った翔真は、押し込まれた若力もろとも吹っ飛ばされ地面に叩きつけられる。

 後頭部をしたたか打ちつけ、視界が点滅するようにちかちかとしている。

 その真横を二頭の牛が地響きを立てながら通りすぎる。慌てて地面を転がり、踏みつぶされそうになるのを間一髪のところでよけた。


「おい、翔真っ! 生きてるか!?」

「勝手に、殺すな……」


 うつ伏せから腕立ての要領で立ち上がり、ごほごほとむせながら返事をする。頭を打ったせいか、くらくらとして立つのもやっとだ。この間にも、若力は必死に威虎の攻撃をしのいでいる。

 力太郎が大声で叫んだ。


「だったら、寝ぼけてんじゃねえぞ! なんのために、あんな辛いトレーニングをやったんだ! お前以外に、誰がモモを守ってやれるんだよ!」


 そうだ。

 力太郎も、友樹も、みんな必死にやって、ちゃんとやり遂げた。おれひとりだけ、こんなところで這いつくばってなんかいられない。

 両手で思いっきり自分の頬を打つと、威虎と頭を突き合わせて組み合う若力に駆け寄った。


「すまない、若力! 反撃いくぞぉっ!!」


 バシィンと乾いた音を立てて、渾身の平手を若力に打ち込み鼓舞する。

 すると、それまで防戦一方だった若力が、ぐんと後脚を踏ん張って踏みとどまり、大きく首を振って威虎の角掛けから抜け出した。

 若力と威虎は、ふたたび一メートルの距離をあけて対峙する。

 額に滲んだ赤黒い血は、徐々に顔に広がりつつある。血が鼻をふさぐことになれば、一気にスタミナを失う。そうなれば圧倒的に不利になる。

 残されたチャンスは、おそらく次の一撃しかない。

 威虎は得意技の眉間突きから割りの連続技で来るだろう。この額の傷の状態で眉間突きが直撃すれば、その傷が原因で廃牛となる可能性だってある。

 翔真は自分の右手を置いた若力を見る。汗をかいてじとりと湿っている体は、興奮と代謝で随分と体温があがっている。

 そこには命があった。

 人間たちの都合で戦わせ、その上、他人の人生の選択までも託し、翔真たちはこの命をどうしようとしているのか。

 自問する翔真に、若力が低く声帯を震わせて唸った。


「早く攻撃を指示しろ」


 まるでそういっているようだった。

 闘牛は本能で戦っている。ずっと、そう思っていた。

 けれど、もしそうだとするなら、なぜ、若力はこんなにボロボロになっているのに、まだ立っているのだ。

 本能が戦うことを求めているからか?

 違う。

 若力はちゃんと知っているのだ。

 自分は勝つためにこのリングに立ってにいるのだと。


「わかった、絶対に勝たせてみせる。闘牛、翔龍若力の誇りにかけて!!」


 翔真は振りかぶった手を、思いっきり若力の体に打ち付ける。


「ひぃやあああああああああああぁぁぁっ!」


 翔真のヤグイが、野獣の咆哮のようにドーム天井に響き渡る。

 雷鳴の如く鈍い音をたてて二頭の牛がぶつかり合った。

 殺し屋と呼ばれた鬼虎をも貫いた威虎の矛が、若力の眉間に突き刺さる。それでも若力はひるまず、自らの右角を外からかけて、威虎の顔をぐいと深く押さえ込む。当然、力をこめればこめるほど、威虎の角が深く食い込む。

 それでも、若力は反対の左角を、威虎の鼻先をめがけて深く突き刺した。

 牛は鼻先が弱点だ。

 だからこそ、鼻に綱を通して牛の動きを制御できるのだ。

 若力はその太い首の筋肉を波打たせながら、さらに角を深く押し付けた。

 こうなれば、あとは二頭の我慢比べだった。

 若力の眉間から流れる血が鼻先を伝って、リングの土の上に落ちる。

 やがて、顔を下にむける威虎の口が開き、よだれが垂れ始める。

 ついに威虎は痛みから逃げるように、首を引いて、若力に体側を見せた。


「いけぇ、若力! ここで決めろーっ!!」


 翔真の右手が三度みたび、若力の肩口を打った。

 低く構えた姿勢から、大きく突き上げた角は雷神威虎の左わき腹に深々と突き刺さる。

 アウガンがあがった。

 威虎は悲鳴にも似た声をあげ、次の瞬間、若力に尻をむけて駆け出していた。

 勝負あったとばかりに、会場内がどっと湧き上がる。

 しかし、翔真はその動き目で追いながら、若力の首筋を押さえて、その場にとどまらせた。

 まだだ。

 春の全島大会。ももタロが負けたのは、このとき安易に勝利を確信したからだ。同じ過ちは二度と繰り返さない。奥歯を噛みしめて、威虎の挙動をじっと凝視する。

 一瞬、雷神威虎の動きが緩慢になり、前脚を力強く踏み込んだ。


「来るぞ、若力。迎え撃て!」


 翔真の疾呼と同時に、くるりと向きを変えた雷神威虎が頭を下げ、リングの土を巻き上げながら角を突き出して突進する。その鋭い切っ先が一直線に若力めがけて弾丸のように迫る。

 若力は、前脚をぐっと折って体勢を低く構えると、ロケット砲のような爆発力で突撃してくる威虎の角の、更に下から強烈な頭突きのアッパーを放った。

 地鳴りのような歓声が場内に響き渡る。

 突き上げられた雷神威虎は、翔龍若力に背を向けると、今度こそリングの柵にむかって逃げ出していた。


「ただ今の取り組みは、二十分四十秒で翔龍若力の勝利です!!」


 場内アナウンスが流れると、翔真は高々とこぶしを突き上げた。


「うおっしゃあ!!」


 歓喜の雄叫びをあげる翔真のもとに駆け寄った力太郎が、その勢いを保ったまま肩を抱き込んだ。


「やった! 勝った! 勝ったぞ、翔真ァ!」

「ああ、勝った!! おれたちが、翔龍若力が勝ったんだ!」


 力太郎がきょろきょろと視線を巡らせる。観客席の最前線に若葉の姿を見つけ、両手を大きく振って手招きする。


「ワッキーも来い! 俺たちの勝利だ!」


 柵をくぐって力太郎のそばまで小走りでやってきた若葉を、軽々と抱き上げ、そのまま若力の背中に乗せた。突然のことに若葉は耳まで真っ赤になった。


「ちょ、繁田くん!?」

「ははは、勝ったときのお約束だ!」


 興奮する力太郎とは正反対に、翔真の頭からすっと熱が引いていった。約束という言葉に反応して、虎徹のほうを見遣った。

 彼はまだリング内にいて、ぎりぎりと歯噛みしながら翔真たちを睨みつけていた。

 翔真は若力のそばをはなれ、ゆっくりと虎徹のほうへと歩み寄る。牛の体ひとつぶんほどの距離をあけて立ち止まると、虎徹に聞こえるようにいった。


「約束だ。もう桃華には関わるな」


 屈辱と羞恥とで顔をゆがめていた虎徹が、突然、表情を緩めた。その変貌ぶりに、翔真は怪訝そうに眉をひそめた。


「ああ、あの女はあんたらが好きにすりゃあいい。だけど、この島の島民どもがあの女をどう思うかは、別のことだけどな」


 そういうなり、虎徹は踵を返しリングの外、運営席に座る男性アナウンサーのマイクををつかみ取った。いきなりのことに、戸惑う運営スタッフたちと、その隣の来賓席に座る謙三を睥睨すると、マイクのスイッチを入れた。予想外の虎徹の行動に場内が水を打ったように静まり返った。誰もが虎徹の一挙一動に注目している。その視線に恍惚とした表情を浮かべて虎徹がマイクを口許に運んだ。


「よくきけ。ここにいる三津間町長、龍田謙三には、隠し子がいる。しかも、その隠し子の養育費を町の公費から支払ってる。そんなことが許されるのか? この島民に対する重大な裏切りと不法行為を断罪すべきだ。三津間町長、龍田謙三」


 生き肝を抜かれたように、仰天する謙三を射抜くようにさした指先を、すっとリングにいる力太郎たちのほうにむけて、虎徹はニタリと邪悪に唇を歪ませた。


「そして、その隠し子である、離島留学生の三木若葉を!」


 コロセウムにいた全員の視線が、若力の背に乗る若葉に集まった。

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