第五章 サムライ・ブル

第37話 開幕!

 本土から隔絶されたこの辺境の島にも、夏になれば多くの観光客が訪れ、にわかに活気づく。

 太陽の光に照らされてコバルトブルーに輝く海や、息をのむほどに美しい星空に魅了されて島を訪れた者の中には、島で見た闘牛の魅力に取りつかれ、何度となく足を運ぶ人も多い。

 そんな闘牛ファンで賑わう大会が、本土のお盆の時期に開催される『夏の町長杯争奪全島一闘牛大会』だ。

 春と秋の大会と並び、栄誉ある全島一の称号を冠する大会で、ここで優勝した牛には三津間町長から全島で一番強い牛であることを示す金の優勝杯が贈られる。

 朝っぱらから、車外スピーカーを搭載した三津間町の広報車が、「本日、午後六時より。三津間コロセウムにて、夏の全島一町長杯争奪闘牛大会が開催されます。ご家族、ご親戚、ご友人の皆様でふるってご参加ください」と、選挙カーさながらの大音量で、島中を走り回っていた。

 夏の大会は日中だと暑さで牛も人も参ってしまうため、気温の落ち着く夕方からの開催になる。そのため、島民にとっても観光客にとっても「夏祭り」気分で楽しむことができる大会でもあった。

 会場となる三津間コロセウムは周囲を祭り提灯で飾り付けられ、出店の屋台や物産店などが並んでいた。

 その一角には三津間高校農芸科のテントが出ていて、店の前には長蛇の列ができあがっていた。

 今回、農芸科との打ち合わせの中で提案されたメニューが「奥乃島ポークと三津間米の肉巻きおむすび」だった。

 農芸科畜産コースの生徒が育てた豚と、農産コースで栽培した米を組み合わせたのだ。

 温暖なこの島ではコメの収穫は七月上旬に行われる。山がちで平地が少なく収穫量が少ない米は、この島での主要産業ではなかったが、それでも収穫したばかりの新米と、ブランド牛との組み合わせには十分なパンチ力があったらしく、予想以上の盛況ぶりに、農芸科の主任教諭も舌をまくほどだった。


「大盛況じゃないか。やったな、力太郎」


 会場で力太郎の姿を見つけた友樹が駆け寄ってきて、肉付きのいい肩をがばっと抱き込んだ。祭りの熱に充てられたように顔を紅潮させている。


「さっき、農芸科の先生にもあったぜ。力太郎を問題児だっていったのは訂正しておいてもらったからな」

「はは。ありがとう」

「それで、どうだ、生物部は?」

「やれるだけのことはやった。あとは若力次第だ」

「そうか……勝てるといいな」

「ああ。勝てるさ。トモ兄のほうはどうだ? 練習時間も少ない中だったんだろ?」

 にやりと余裕のある笑みを口許に浮かべて友樹はいった。

「お前をがっかりさせるような演奏はしねえよ。まあ、楽しみにしておいてくれ」


 二人は互いにこぶしをぶつけて別れると、それぞれの勝負のリングへとむかった。

 オープニングの時間が迫るにつれて、コロセウム全体が燃え盛る熱気を帯び始めていた。


     ♉


 力太郎は翔真たちを探してコロセウムそばのヤドリまでやってきていた。ヤドリは出番を待つ牛たちを繋ぐための待機小屋で、今日の大会に出場する牛たちが区画された個室につながれて、気合のこもった息を吐いていた。


「リキ!」


 声がしたほうに顔をむけると、翔真が手をあげて力太郎を呼んでいた。

 半衿に「三津間高校生物部」と染め抜かれた鮮やかな黄緑色の法被を羽織り、肩からは「勢子」と刺繍された白いタスキをかけている。揃いの法被姿の若葉が力太郎の姿を見つけるとぱっと表情を輝かせた。


「繁田くん、お疲れさま!」


 駆け寄った力太郎に手にしていた法被を差し出す。背中は力強い筆文字で「翔龍若力」と白く染め抜かれている。その法被に袖を通しながら、力太郎はたずねる。


「どうだ若力の様子は」

「絶好調だ。これまでにないくらいに気合が入ってるよ」


 力太郎は若力の角をひと撫ですると、その先端を指の腹で押して尖り具合も確認した。


「角研ぎもばっちりだな、翔真。それに、ワッキーもありがとう。この一カ月間、若力の体調管理をしてくれたおかげで、いい毛艶をしてるし体中の筋肉もばっちり張ってる」

「うん。大変だったけどすごく楽しかった。若力と直接触れ合ってはじめてわかることもいっぱいあったよ。この子にもちゃんと感情があって、嬉しいときとか不機嫌なときとか、肌を通して感じられた。なんていうか……わたしも今、闘牛をやってるんだって実感がわいてる」

「そうだ。リングで勢子をするだけが闘牛じゃないさ。ワッキーはもうりっぱな闘牛士だ」


 力太郎はその大きな手で若葉のあたまを包み込むように、ぽんと手を置いた。若葉がはにかんだ笑みを浮かべるのを見遣り、すぐに表情を引き締めた。


「虎徹とあいつの牛は?」

「見てない。ここには来るつもりがないのかもしれない。どちらにしても、ここまで来たらあとはリングに立つことしかできないよ。戦って勝つ。それだけだ」

「そうだな。指名特別戦の取り組みは花形戦を二試合終えた後だったな。まだ時間に余裕があるし、オープニングを見にいかないか。俺もトモ兄の雄姿を見ておきたいから」

「おれは若力のそばについていたい。放っておくわけにもいかないしね」

「それもそうだな。じゃあ、すまんが若力を頼む。行こう、若葉」


 力太郎が差し出した手を若葉がためらいがちに掴んだ。人々でごった返すコロセウムで、若葉とはぐれないように、力太郎はしっかりと若葉の手を握って観客席へとむかった。

 場内はこれまで以上に盛況だった。あちらこちらで応援団らしき男たちの島太鼓チヂンやラッパの勇ましい音があがるのは毎度のことだが、いつもと違う客層も目に付いた。もしかしたら吹奏楽部員たちの家族や友人なのかもしれない。

 そんなことを思いながら、会場を見渡していると、突然、ファンファーレが高らかに鳴り響き場内の熱気を真っ二つに引き裂いた。


「ただいまより、夏の町長杯争奪全島一闘牛大会を開会します!」


 場内のスピーカーから司会の開会宣言が流れると、地鳴りのような歓声が会場から湧いた。

 その興奮の波に乗るように、吹奏楽部員たちが楽器を演奏しながら、本来なら牛がリングに入場するための花道を通って登場した。

 この島の海のような鮮烈なブルーのポロシャツ姿で背筋をぴっと伸ばし、まっすぐ正面に楽器を構えて行進する姿に、会場内の興奮の熱が一段とあがった。

 演奏曲は「レイダースマーチ」、映画インディー・ジョーンズの主題歌になった、誰もが一度は耳にしたことがある軽快なマーチだ。

 ブラスバンドはリングの中央まで進み出てそこで円を描く陣形をつくり、観客席にむけてベルアップしながら円周にそって行進する。ワンフレーズを吹き終えると、今度はゆっくりとバックステップをしながら中央に集まった。隊列がまっすぐ二列になって、両端から順にくるりと正面むきにスピンターンをする。全員が前を向いたところで、マーチはフィニッシュを迎えた。

 会場を拍手喝采が包み込む。あちらこちらから、彼らを称賛する甲高い指笛ハトが、ぴぃっと鳴った。


「オープニングを飾るのは、三津間高校吹奏楽部の皆さんです!」


 司会者の紹介で部員たちが深々と礼をする。それにあわせて客席から、歓声や滅多打ちする太鼓の音が飛び交った。

 吹奏楽部のプロフィールや曲目を簡単に紹介したあと、さらに演奏は続いた。

 次の曲は『闘牛士のマンボ』。ラテン風のファンファーレを合図に、今度はひし形にフォーメーションが展開される。その中央で友樹がアルトサックスのソロを演奏していた。


「すごい! 春に初めて闘牛に来たときもすごい熱気だったけど、今日はそのときよりももっとすごい!」


 観客席の最上段でその演奏を食い入るように眺めていた若葉が、顔を薄桃色に染めて興奮した声をあげる。


「ああ、でもすごいのは吹奏楽部員だけじゃないぜ。この企画のきっかけをくれたのはワッキーだ。ワッキーがいなければ、この景色は見れなかったんだ。ワッキーだって十分すごいぞ」

「そんな……でもやっぱり、それを形にできることがすごい」

「ああ、ここまでは大成功だ。あとは俺たちが勝つだけだ」

「うん」


 緊張した面持ちで若葉がうなずいた。りりしく引き締まった眉は、いつもの彼女とはまるで別人のようだった。

 吹奏楽部によるマーチングドリルは友樹が宣言した通り、大成功だった。


「オープニングを飾っていただきましたのは三津間高校吹奏楽部のみなさんでした、皆さん、今一度おおきな拍手を!」


 満場の拍手が彼らの退場の花道を飾る。部員たちはみんな、この上ない喜悦をみなぎらせながら手を振って、リングを後にした。


「では、続きまして、三津間町町長の龍田謙三様より、ご挨拶を賜りたいと思います。よろしくお願いします」


 司会に促されて、謙三がスーツの襟を正しながら来賓席で起立し、闘牛場の正面に据えられた小さなステージに登壇する。まだ黒ぐろとした髪を整髪料で撫でつけていていて、高校生の娘がいるとは思えない若々しさだった。


「まずは、今年もこの夏の全島一闘牛大会が盛大に執り行われることをお祝い申し上げます。さて、先ほどの三津間高校の吹奏楽部員たちによる演奏に、深く感動しました。子どもたちのもつパワー、エネルギー、そういった情熱が爆発したといっても過言ではないでしょう」


 謙三は、吹奏楽部員や農芸科の生徒たちの活動に賛辞をおくり、そして、島が抱える少子化問題に言及する。立場上、どうしても事務的な挨拶になってしまうのだろう。吹奏楽部員たちの演奏による興奮の熱が、ゆっくりと冷めていくのが感じられる。


「しかし、闘牛のように、この島にはこの島の良さがあり、誇るべき文化がある。それを守り伝えていくのは、島の子どもたちだと私は思う。子どもはこの島の宝だ。一人でも多くの子どもたちが、この島を愛し、それを広く伝えていってほしいと願っている。そういう意味でも今日は、子どもたちの力によって、この島が新しい一歩を踏み出したといってもいいでしょう。彼らへの敬意とさらなる活躍を祈念して、私の挨拶と替えたいと思います」


 謙三はそう締めくくり、もとの来賓席に着席する。町長派と思われる一部の観客だけが、彼の長口上に熱心な拍手を送っていた。


「さあ、お待たせしました。これより、夏の町長杯争奪全島一闘牛大会、花形戦を行います! 注目の第一試合は、一ノ瀬の『喇武勇らぶゆう音里おんり』対三津間の『とまり海運かいうん宙船そらふね』まず、登場しましたのは泊海運宙船です!」

 そのナレーションにすっかりクールダウンしていた場内が瞬時に沸き、異様な興奮に包まれた。島太鼓チヂンが打ち鳴らされ、ラッパがパララッパララッと短いメロディを奏でる。

 塩を撒く露払いの男を先頭に、勢子が黒牛の鼻綱を引きながら、リングの中央へ走り込んだ。


「俺たちもそろそろ準備したよう、ワッキー。俺たちは絶対に三人で勝つんだ」


 これまでの祭り気分を吹き飛ばす真剣な声で力太郎がいった。すると、若葉は小さく首を振る。


「ううん。桃華ちゃんを入れて四人よ」


 桃華の命運をかけた一戦が幕を開けようとしていた。

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