第5話 出陣

 朝からぐんぐんと気温が上がり、島全体が全島大会の熱気に包まれたゴールデンウィーク初日の土曜日。

 翔真は二見灘から全力で自転車をすっとばして、三津間港のフェリーターミナルに駆け込んだ。額から汗があふれてくるのを、シャツの袖でグイっと拭う。


「遅い!」


 ターミナルの待ち合い室で、桃華が腕組み姿で仁王立ちしていた。大ぶりなフリルのついたオフショルダーに、ボタニカルのロングスカート。サイドテールにした頭にはベレー帽をかぶっていて、さながら都会からの観光客みたいだ。

 隣で若葉が苦笑いで手を振った。シンプルなプリントシャツに、デニムのショートパンツとヒール付きのサンダル。ふたりとも制服のときと足の見せ方が真逆だな、と翔真は不思議に思った。


「ごめん。ももタロの出陣に立ち会ってたから」

「そ。で、どう? リッキーたちの調子は?」

「うん。いいよ。気合十分だった」

「そっか。じゃあ、行こ。もうすぐバスが来るし」


 桃華は若葉に振り返り、ジェスチャーでついてくるように促す。朝一番のフェリーが出港した後だったが、コロセウム方面行きのバス乗り場には多くの人が列を作っていた。その列の一番後ろに翔真たちも並んだ。

 間もなく、グリーンの車体にオレンジ色の帯の入ったバスがターミナルのバス停に入ってきて、乗客たちを次々と飲み込んでいった。

 バスの中は、さながら闘牛評論家たちの寄り合いだった。大会のチラシを手に、今日の取り組みについて、ああだこうだといい合っている。


「結びの一番、勝つのはやはり小林タイフーンじゃろ」

「いや、盛島雷電のマキツキの威力は群を抜いとる。正面から組めば盛島じゃ」

「大関戦も見ものだ。角技で勝る紅蓮皇帝レッドエンペラーと、圧倒的パワーを誇るファイティングよし坊の技と力の対決よ」


 最近では闘牛の名前もバリエーションが豊富で、それだけをきくとプロレスのリングネームのようだ。


「それよりも、例の取り組みはどうよ。ほら、肥後の鬼虎と指名でやる花形」


 鬼虎の名を耳にした翔真の心臓がギュッと縮んだ。つい、その声のほうに意識がむく。


「ああ、これまで戦った牛の半分を廃牛にしたっちゅう殺し屋か」

「鬼虎には闘牛としての誇りなんてもんは微塵もあらん。力で相手を破壊することしか頭にないんじゃ。肥後もそんな鬼虎を、ただ勝つためだけに利用しとる。あんな美徳のないもんは闘牛やあらん。不良の喧嘩じゃ。相手の花形も可哀想にのう」


 白髪の男が苦々しい口調でいう。

 翔真は反論しそうなのを、のど元でなんとか抑え込んだ。あれは喧嘩で済まされるような闘牛ではない。あの牛は狂気に冒されていて、義郎は島一番の称号のためだけに、その狂気を利用している死神のような男だ。

 手すりを握る右手が微かに震える。強く握りしめていたせいか、爪先が白く変色していた。

 その手にそっと触れる指先があった。視線で指先から腕を辿ると、窓の外を眺めたままの桃華の横顔があった。桃華は翔真にだけ聞こえる声でつぶやく。


「まあ、そんな喧嘩闘牛も今日で終わりだけど」

 ももタロの勝利を確信しているからこそいい切れる力強さだった。

「ああ、そうだよ」

 翔真も不安を追い払いうように、頷き返した。


     ♉


 コロセウム前は、入場を待つ闘牛ファンでごった返していた。

 三日間にわたり開催されるこの全島大会は、牛の体重別にミニ軽量級から重量級までの四つの階級に分かれていて、初日は体重七五〇キロ以下のミニ軽量級の取り組みが行われることになっていた。

 ミニ軽量級ではまず最初に今回が全島大会デビューとなる花形戦が三番組まれている。花形は番付の一番下で、そこからは相撲と同じように、小結、関脇、大関とならび、最高位は当然、横綱だ。この横綱牛の勝者こそが全島で一番強いチャンピオン牛で、誰もがその『全島一チャンピオン』の称号を目指し、日々鍛錬に励んでいる。

 一回の取り組みは数十秒で終わることもあるし、一時間を超えることさえある。時間無制限でどちらかの牛が戦意喪失するまで戦うことが、この島の闘牛のルールだ。


 コロセウムのそばには、取り組みを待つまでの間、牛を繋ぎ留めておくヤドリと呼ばれる待機小屋がある。チケット購入を桃華に頼み、その間に翔真は小屋をのぞく。力太郎とももタロショーグンXはそこにいて、翔真の知らない背の高い青年が一人、力太郎と何やら会話をしていた。

 声をかけるか少し悩んでから、翔真は力太郎のそばに駆け寄った。


「リキ!」

「おお、翔真!」


 力太郎は青年との会話を打ち切って、翔真をいつもの親指と小指を立てたグータッチで迎えた。青年は「それじゃあ、頑張って」と、その場を後にした。


「よかったのか?」

 青年を指さして翔真がきく。

「ああ。モモとワッキーは?」

「今、チケットと場所取りをお願いしてる。それよりもリキ、鬼虎についてだけど……」


 翔真は三年前のあの取り組みを思い出す。胸の奥がぎゅっと縮まるような苦しさがこみ上げる。ぶんと首を振ってそれを払い落とすと、翔真は力太郎を見た。


「あいつは多分、最初にこっちの攻撃を受ける。組み合って体力を奪おうとするはずだ。それで、こちらの疲れが見えたころに一気に眉間突き《マキツキ》と腹取りで勝負に来る。だからペースに乗せられたらダメだ。最初から、速攻で勝負に出たほうがいいと思う」

「わかった。サンキュー、翔真」

 力太郎はふと翔真の顔を覗き込むようにして見上げた。

「ようやく憑き物が落ちたって感じの顔になったな」

「そうかもしれない」


 翔真の返答に、力太郎は細い目をにんまりと曲げる。


「じゃあ、俺がお前のその新たな門出に、勝利の花を持たせてやる。しっかり見ておけよ」

「ああ。頑張れよ!」


 お互い高くかざした手をパチンと打つ。ももタロがブフゥと、気合いのこもった息を吐いて、二人の笑いを誘った。


     ♉


 場内はすでに座る場所もないほどの大盛況ぶりだった。

 それもそのはずで、人口七千人にも満たないこの島の闘牛場に、多いときで一日二千人もの観客が訪れるのだ。

 翔真たちは、なんとか三人並んで座れる場所を確保した。ゲート横の中段。ここからなら取り組みもよく見える。

 最初に行われる特別試合の「封切り戦」が終わって、ちょうど花形戦が始まったところだった。二頭の黒牛がリングの中央で間合いを計りながら、首を低くしてお互いを睨みつけていた。

 次の瞬間、ゴツッと鈍い音とともに、二頭が頭をつき合わせた。会場内にどよめきの波がたつ。スピーカーから流れる実況の声も、瞬く間に観衆の興奮の渦に飲まれていく。


「わぁ、すごい迫力!」

 初めて見る闘牛に、若葉が熱のこもった歓声をあげてリングを指さした。

「牛の横にいる人は審判?」

「ううん。あれは勢子といって、牛の戦いをサポートする役割をしてる人。ボクシングのセコンドみたいなものかな。ほら見てごらん、牛の体を叩いたり、目の前で地面を強く踏みしめたりするだろ?」


 翔真が指さす。リングでは勢子が「へイヤー! へイヤー!」と威勢のいいヤグイをあげて、中腰姿勢でしきりに牛に攻撃を促していた。


「ああやって叱咤激励したり、ときには牛をおさえて落ち着かせたりして、牛を巧みに操るのが腕のいい勢子なんだ。ヤグイっていうかけ声も人によって違っていて面白いよ」

「でも、牛ってそんな簡単に人間のいうことを聞いてくれるものなの?」

「まさか」

 桃華が呆れたように笑う。

「そんな簡単なら苦労しないって。昨日の力太郎を見たでしょ? 毎日、牛とああやってコミュニケーションをとるからこそ、力太郎は牛のことを理解するようになるし、牛は力太郎を信頼するようになるの」

「それが繁田くんがいう絆……?」

「私は嫌いじゃないよ、そういうの」

「むしろ好きだよね。闘牛のこと」


 翔真が笑うと、ふん、と鼻を鳴らして、「別に。どうせ東京に進学したら見られなくなるから、今のうちだけよ」と反論した。


「……桃華も、兄ちゃんと同じことをいうんだな」

「何が?」

「別に……あ、それよりほら! 割りを出すぞ!」


 翔真がいうのと同時に、場内に「おおおっ」と野太い声がこだまする。

 それまで相手に角をかけられて、一方的に攻め込まれていた牛が、すっと体を入れ替えるや、後ろ脚で強く地面を蹴って、相手の側頭部めがけて角を突き立てる「割り」と呼ばれる技を繰り出す。

 二回、三回。角を突くたび、それに合わせて歓声があがる。


「たぶん、あっちが勝つよ。相手はもう疲れてきてる」

「なんでわかるの?」

 若葉が目を丸くする。

「舌を出して呼吸が上がってるし、踏ん張りがきいてない。あ、見ろ! 腹取りを決めた!」


 翔真の歓喜の声と同時に、横っ腹を強く突かれたほうの牛が、リングの柵に沿って走り出していた。

 会場内からどっと歓声が上がり、勝者の関係者たちがリング内になだれ込む。


「ただ今の取り組み、勝者はシューティングスター☆いのくま! 取り組み時間は七分二十五秒でした!」


 リング内では島太鼓(チヂン)のリズムに合わせて、男たちが「ワイド! ワイド! ワイド!」と、牛の名前の染め抜かれた幟を誇らしげに掲げて手踊りしている。勝った牛の背中には、ガウンと呼ばれる金色のフリンジで縁どられた、色鮮やかな布地をかけた。牛も、自分が勝者だといわんばかりに、つんと頭を高くする。小さな子供が駆け寄ると、勢子に抱きあげられ、そのまま牛の背中に乗って両手を突き上げた。


「これが、闘牛」


 すっかり心を奪われたように、若葉は続く試合も夢中になって観戦をした。

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