第28話 叩きのめす!
「いた、こいつだ」
自宅のテレビにかじりつくようにしていた力太郎が画面を指さした。
家に帰るなり、力太郎は電話で翔真を呼び出して、部屋から三年前の全島大会のDVDを持ち出して映像を確認していた。
翔真にはすでに今日、学校で出会った肥後虎徹という一年が「翔龍若力を潰す」と宣言したことを伝えてある。
画面には、春疾風と烈豪鬼虎との取り組みの映像が流れている。鬼虎の入場のシーン、義郎が引き連れている大人たちに交じって、一人、若い勢子の姿があった。
このときの虎徹は中学一年生のはずだが、すでに身長が百七十センチほどもあり、いわれなければ中学生だとは思えない体格だ。
「虎徹はこのときから勢子をやっていたのか」
「でも、おれが記憶している限りでは、こいつは取り組み中は勢子につかなかったはずだ……」
そういう翔真の額にじわりと脂汗が滲んでいる。取り組みの映像が進むにつれ、顔からは血の色が失せていき、やがて俯いて黙り込んでしまった。
「翔真、無理するなよ」
「大丈夫……それに、ちゃんと見ておかなきゃ。兄ちゃんの足と、春疾風を奪った張本人が映っているなら、おれの目で確かめなきゃ」
意を決したようにくちびるを引き結び、翔真はもう一度赤く縁どられた目で睨みつけるようにテレビ画面を見た。
円形リングを押しつ戻りつする二頭の牛を追うカメラは、入場ゲートの反対側からの定点のため、牛の影に隠れると勢子の姿ははっきりととらえることはできない。何度か鬼虎の勢子が交代したが、翔真がいう通り、取り組み中に虎徹が鬼虎についている様子はなかった。
やがて、鬼虎の眉間突きで春疾風が劣勢になり、そこからあっという間に腹取りを決められ、勝負がついた。その瞬間、観客席から義郎の一族がどっとリング内になだれ込んで鬼虎のまわりで勝利の舞いを踊り始めた。
画面は手舞い足舞いする人々で埋め尽くされる。
鳴り響くラッパの音色、滅多打ちされる島太鼓、「ワイドッ! ワイドッ!」と声をあげ、両手を高くかかげて踊る人々。その中にほんのわずかな時間、虎徹の横顔が映った。喜悦のみなぎる群衆の中、鬼虎の横で氷のような冷たい目を春疾風にむけている。
次の瞬間、乱舞する男たちに混じって、虎徹の体が小さく揺れた。よほど、意識を集中していなければ見えないほどの動きだったが、それは牛の体に平手を打ち、鼓舞する動作だ。勢子をしている力太郎や翔真でなければ、見逃していただろう。
そしてそれを合図に、鬼虎は春疾風に追撃を加えたのだ。
鬼虎の角による攻撃はその後四回繰り返された。そして、翔真が鬼虎に飛びつき、吹っ飛ばされる直前で映像が終わった。おそらく、事故部分を編集したのだろう。
翔真も力太郎も呆然とした表情で、次の取り組みに切り替わった映像を見るともなしに眺めていた。春疾風を廃牛に追い込んだのは、義郎ではなく、虎徹だったのだ。その事実を目の当たりにし、力太郎は口の中で小さく呟いた。
「ひょっとしたら、鬼虎との取り組みで廃牛になった牛たちは、みんな虎徹のせいで……連盟にはすべてのビデオがあるはずだから、それを確認していけば」
「そんな必要ないよ」
翔真がいう。低く、重く、怒りを含んだ声。
「あいつが意図してハルを潰しに来たってのは、今の映像で十分わかった。その上で、若力も潰すってんなら、今度は迎え撃ってやる。虎徹の歪んだ闘争本能を叩きのめして、ハルの仇をとる」
「翔真、お前……」
「こんなこと、絶対やめさせなきゃだめだ。けど、連盟が注意してもきっと無駄だ。こんなに堂々と宣戦布告するんだ、正攻法で虎徹がやめるとは思えない。非道な闘牛をやめさせるためには、おれたちが闘牛のリングでぶちのめすしかない」
「……わかった。けど、このことはワッキーと清正オジには黙ってろ。余計な心配をかけさせたくねえし、せっかく調教してもらえるのに、それに影響がでるのもごめんだからな」
力太郎はプレイヤーからディスクを取り出してケースにしまう。ももタロとの対戦のDVDもあったが、今この場で確認をする必要はないだろう。翔真と力太郎は、この喧嘩を買うことにしたのだから。
♉
翌日、いつもなら朝日が昇るのと同時に、自転車で学校にむかう力太郎だったが、今週は清正が翔龍若力を預かってくれているので、力太郎は久しぶりにゆっくりと朝の支度を整え、いつもよりずいぶん遅く家を出た。すっかり昇りきった真夏の太陽が、容赦なく照り付けてきて、ペダルを漕ぎだすとすぐに背中に汗がにじんだ。
いつもより遅いといっても、まだ生徒たちが登校する時間よりも随分早い。ふと思い立った力太郎は、三津間港の交差点を学校に行くのとは逆の南向きにハンドルを切った。
しばらく行くと、比較的新しい家が立ち並ぶ住宅地になった。その中の一軒の前に自転車をとめると、力太郎は門柱のインターホンを押す。ステンレスをレーザー加工した表札には「TATSUTA」とアルファベットで書いてあった。玄関扉を開けた女性が軽い驚きの声をあげた。
「あら、力太郎君? 久しぶり」
「おはよう、静江おばさん。モモは?」
「今ご飯食べてるわ? 上がっていく?」
「じゃあ、お邪魔しまーす」
力太郎は自転車のスタンドをおろすと、静江に促されて室内に入った。力太郎の母親と桃華の母親がいとこ同士で、力太郎が小さかったころは、この家にもよく出入りしていたが、このところは久しく桃華の家にあがることはなかった。
ダイニングテーブルには、桃華の父であり、この三津間町の町長でもある謙三が、コーヒーカップを手に新聞に目を落としていた。その正面でテレビをみながらパンをかじっていた桃華が、「はぁっ!?」と声を裏返して力太郎を見た。
「なんでリッキーがいるの? 牛の世話は?」
「今は清正オジが預かってくれてる。学生はテスト勉強しろってさ」
力太郎はごく自然な動作で桃華の隣の椅子に腰かけると、向かいに座る謙三にも挨拶をする。
「おはよう、謙三おじさん」
「おお、力太郎か。久しぶりだな。どうだ、調子のほうは」
「ももタロは春の全島大会で負けてしまって、親父との約束通り譲渡に出したんだけど、今は学校で別の牛を育ててる。しかも、夏の町長杯で特別番組やることになったんだぜ」
力太郎は体調でも、勉強でもなく、闘牛のことを答えた。謙三は「そうか、それは楽しみだな」と、よく通る低いトーンの声でいった。ぱりっとしたワイシャツと、首元までしっかりと締めたネクタイ。前髪は櫛を通して後ろに撫でつけていて、ダンディーという言葉がぴったりだ。
この島でここまでスーツ姿が似合う男も少ないだろう。
静江が力太郎に厚切りのトーストの乗った皿を差し出し、力太郎はそれを当たり前のように口に運んだ。桃華が呆れたように息をつく。
「で、なんでウチに何の用?」
「前回はテスト勉強、教えてもらえなかったからな! 今回は絶対に教えてもらおうと思って」
「そんなことで朝から家に突撃しないで。だいたい、農芸科は私の守備範囲外よ!」
「三教科は同じだろ? な、頼むよこの通りっ!」
力太郎が額の前で両手を合わせて懇願する。
それを見た謙三が、コーヒーカップを置いて桃華にいった。
「桃華、いじわるせずに、力太郎に教えてあげなさい。人に教えることで、自分の身につくことだってあるんだから」
桃華は深呼吸よりも深く息を吐き出して、キッチンの静江にいった。
「ママ、ちょっと早いけれど、私出るわね」
大成功、とばかりに力太郎は無邪気に笑った。
登校途中に若葉の家にも立ち寄った。この数週間、早朝にひとりで登校していた若葉は、力太郎と桃華が迎えに来てくれたことに驚きながらも、満面の笑みで喜んだ。
一方、翔真は三津間港の交差点で合流したものの「なんで先におれを誘ってくれなかったんだよ」と不満げに口を尖らせた。
「この時間ならほかの生徒たちもほとんど登校前だし、ゆっくりとテスト勉強を教えてもらえるな」
力太郎は呑気に笑いながら普通科の教室のドアを引き開け、立ち止まった。
「ちょっと、リッキー! 入口で立ち止まらないでよ!」
桃華の咎める声に、力太郎は低く囁くような、しかし、真剣な声で答えた。
「お前ら、入ってくんな」
「入ってくんなって、どういう意味よ」
力太郎は両手を広げて通せんぼをしたが、桃華は路地裏の猫のように、しなやかに力太郎の腕をかわして教室の中に入った。そして、力太郎と同じように立ち止まり、「なによ、これ……」と正面に視線を固定したまま呟いた。
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