第四章 ユイと反目

第27話 肥後虎徹

 テスト前の部活動の停止期間中、翔龍若力は清正が預かってくれることになった。

 放課後、学校まで運搬車を乗りつけた清正は、慣れた手つきで翔龍若力をその荷台に乗せた。


「君たちとの約束通り、この牛の調教は責任をもって請け負う。しかしな、例え調教で若力が強くなったところで、それを世話する者たちが強くならねば、全島大会で勝つことはできない。君たちも、若力と同じように力をつける必要がある。力太郎も翔真君も、そして当然、若葉ちゃん。君もだ」

「わたしも、ですか?」

「当然だ。君も部員なんだからな」


 そういわれると若葉は不安な顔をするんじゃないか、と勝手にそう思っていたが、力太郎の予想に反して、彼女はぴっと眉を引き締めて「はい!」と力強く返事をした。


「それじゃあ、テストが終わったら君たちも含めて、本格的にトレーニングを始めるから、そのつもりでな」

 清正はそういって、運転席に乗り込んだ。

「それじゃあ、繁田君、鶴野君。また明日」

 助手席に乗った若葉が窓を開けて手を振る。二人が手を振り返すと、車はゆっくりと発進して、やがて見えなくなった。


「おれたちも帰るか?」

 翔真がたずねた。

「翔真は先に帰っててくれ」

「何か用事か?」

「今週はずっと翔真たちに任せっきりだったからな。せめて、牛舎の中の掃除くらいはやらせてくれ」

「そうか。じゃあ、任せたよ」


 翔真もそういって、力太郎を残して先に自転車に乗って帰っていった。

 力太郎は一人学校に残って、徹底的に牛舎を掃除する。

 いつもなら一番気乗りしない仕事だったけれど、今はそんなことが気にならないくらい、気持ちが昂っていた。

 全島大会に出場できる。

 それも、春疾風の弟牛で、翔真たちと一緒に。

 そのことが、今は何より嬉しい。

 もちろん、今回は特別番組であって、勝ち星を積み上げてたどり着いた舞台ではないということはわかっている。それでも、またあの舞台に立つことができると想像しただけで、知らず知らずのうちに胸が躍ってしまう。

 しかも若葉のおかげで、闘牛再生請負人と称される調教師、清正の調教も受けられる。これだけ条件が整っていて、勝てないというほうが想像がつかなかった。

 まずは、夏の闘牛大会で勝って注目を集めることができれば、それだけ対戦希望者は増える。あとはその対戦で勝ち星を重ねていくことで、やがては全島一の称号も手に届くはずだ。

 唯一の気懸かりは、翔真や桃華、若葉たちと一緒に過ごせる時間は、そう長くないということだ。翔真と桃華は本土に進学するだろうし、若葉にいたっては離島留学生だ。卒業までこの島にとどまってくれるかどうかすら確約されてはいない。

 全島一闘牛大会は年に四回あり、その横綱戦で勝利した牛に贈られる優勝旗こそが、島で一番強いチャンピオン牛である証しだ。卒業までに開催される全島大会は、今回の夏の大会を除けば残り六回。受験のことを考えれば、全員で出場できるチャンスは実質五回しかない。だとすると、在学中に全島一への挑戦権を得るにはこの先、一度も負けるわけにはいかなかった。


 ようやく牛舎内を綺麗にし終え、ようやく一息ついたと思ったちょうどそのとき、牛舎の入口で、カタン、と小さな物音がなった。


「翔真が戻ってきたのか?」


 そう思って振り返ると、牛舎の入口の枠にもたれかかる人影があった。一見して翔真ではないと判断できた。翔真よりも一回りほども身長が高く、二メートルはある入口の木枠に頭の先が届きそうだったからだ。逆光のため顔まではよく見えない。ただでさえ細い目を一層細くして、その人物に問いかける。


「ここ、生物部だけど。なにか用事?」


 万が一にも入部希望者だとしたら、あまり邪険にしては感じが悪くなる。極力、不快感を表にださないように、しかし、警戒感をはらんだ声できく。すると影がふっと薄く笑った。フレンドリーとは程遠い、ともすれば見下しているような笑い声だった。


「へぇ、生物部か。なるほど、学校で闘牛を飼う大義名分はあるってことか」

「入部希望者ってわけじゃなさそうだな」


 声のトーンを落とし、表情を険しくして力太郎はいう。影が一歩二歩と、牛舎の中に入ってくる。思った通り、身長は百八十センチ以上ある。腰よりも低い位置で穿いたズボンからだらりと出した制服のシャツはボタンを二つ外してあり、首元には細いネックレスが覗いている。一見して優等生じゃないことは想像できた。


「まあ、そう邪険にしないでくださいよ、繁田力太郎先輩」

「俺が知らないヤツに名前を知られるくらいには、有名人になったらしいな」

「ちょーっと目立ちますんでね。牛飼ったり、署名活動やったり。それにしても、正気っすか? 学校で飼ってる牛を闘牛大会に出すんだって?」

「お前、一年だな? 俺にあれこれ質問する前に、自己紹介ぐらいしろっての」


 力太郎はすこしイラついた口調を投げかける。男子生徒の中途半端に伸ばした茶髪の間に小さなピアスが光っていた。


「あー、そうっすね。オレは一年、普通科の肥後ひご虎徹こてつ。あんたのももタロショーグンXとか、鶴野翔真の春疾風をボコった烈豪鬼虎の勢子もやってるんだけどな、先輩の記憶には残らなかったみたいっすね」


 あまりにも軽すぎるその挨拶と外見からは、ただのチャラい男にしか思えなかった。しかし、虎徹の何かを見据えていそうで、視点が定まらないような空虚な眼差しを目の当たりにして、力太郎は一瞬でその考えを改めた。

 その眼の奥から、にじみ出る得体の知れない黒い感情のうねりに力太郎は見覚えがあった。


「烈豪鬼虎……お前まさか、義将オジの息子か?」


 睨みつけながら力太郎がいう。すると、虎徹はにんまりと口許に下卑た笑みを張り付けた。

 この島出身の者なら医療法人奥島会の理事長、肥後義虎と息子の名を知らないものはいない。

 義虎は戦後、この島がまだアメリカ軍の統治下にあって、誰もが貧しさにあえいでいた時代に医師を志し、たった一代で奥島会病院という巨大病院グループを作りあげた、この島の重鎮だ。

 医師でありながら、医師会には属さず、むしろ医療界の常識をことごとく打ち破った異端児として知られ、その上やたらと好戦的な性格で奥島会の職員には今でも暴君として恐れられているらしい。

 六十歳を過ぎてからは衆議院議員選挙にも立候補し、奥島会の職員を総動員するという熾烈な選挙戦を繰り広げ、島民として初めて国政に進出した。義虎がこの島に港や空港、道路といった大規模産業基盤をもたらし、さらには国から多額の離島振興交付金も引っ張ってきたといっても過言ではない。

 あの春疾風を廃牛にし、ももタロを譲渡するきっかけとなった試合の対戦相手である、烈豪鬼虎の牛主である肥後義将は、義虎の次男にあたり、この島にある奥島会病院の院長でもあった。根っからの闘牛好きで、何頭もの闘牛を飼育し、チャンピオン牛にまでのぼり詰めた牛も少なくない。

 

「で、その鬼虎の勢子が、なんの用事だ? 俺はお前に構っていられるほど暇じゃないんだ」

「まあ、ちょっと挨拶をね。あんたら、清正オジに調教を頼むんだって?」


 呼び方が先輩からあんたに変わっている。なぜ、そのことを知っているのか、と眉をひそめただけで、返事はしなかった。


「どうせ、離島留学生の女使ってうまく取り入ったんだろ。農芸科や吹奏楽部まで巻き込んでるらしいし。オレさぁ、前からあんたのこと嫌いだったんだよ。うぜえつうか、暑苦しくて。おまけに、三津間町長の娘にも随分と入れあげてるっていうし」

「なにがいいたい?」


 虎徹は「ははは」と軽薄な笑いをこぼして、突如、人が変わったかのように目つきを鋭くした。


「簡単なことだ。気に入らねえから、オレがあんたとあんたの牛を潰す。全島大会に集まった三千人の観衆と三津間町長の前でな。じゃ、そういうことだから」


 ひらりと左手を振ると、その手をポケットに突っ込んで虎徹は牛舎を出ていった。唖然とした表情でその後ろ姿を見送りながら、口の中で小さくつぶやいた。

「潰すだと……?」

 背筋に得体のしれない生物が這いずり回っているような、気味悪い感覚が走り、ぞわりと全身が波打った。その不気味な感触を振り払うかのように、力太郎は自らの頬を両手で打った。

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