第30話 龍田桃華
「翔真、モモを見かけなかったか?」
放課後、力太郎は廊下で翔真を見かけて呼び止めた。テスト前で部活動が停止になっているため、制服姿の生徒たちがいつも以上に多く、廊下も随分とにぎやかだった。
「桃華? 授業終わって出ていったきりだと思うよ。おれと若葉は掃除当番だったから、最後まで残っていたけど、教室に戻ってきた様子もなかったし。今日は桃華と図書室でテスト勉強するんじゃなかった?」
「ああ。しばらく図書室で待ってたけど、一向に来ないし、まだ教室かと思って」
「三津間図書館と勘違いしているんじゃないかな?」
若葉が口をはさむ。力太郎は不満そうに口を尖らせた。
「ちくしょう、モモのやつ。何があっても俺に勉強させないつもりか?」
「なにを馬鹿なことをいってるんだよ。とりあえず、靴箱を見れば校内にいるかどうかわかるし、行ってみよう」
三人で下足室に行き桃華の靴箱を覗いてみたが、案の定、そこには上履きがきれいに揃えて置かれていた。
「ほら、やっぱり図書館よ」
三人は靴を履き替え、校舎を出た。三津間図書館は役場通り沿いに建っていて、自転車ならば学校から五分とかからない。
力太郎はマウンテンバイクの後ろの荷台に若葉を乗せると、図書館を目指し、力いっぱいペダルを漕ぎだした。
図書館はテスト勉強をする三津間高生でいっぱいだった。しかし、閲覧室にも自習室にも桃華の姿はなかった。戻ってきた閲覧室でクラスメイトの女子を見つけた翔真が、彼女たちにたずねた。
「ごめん、桃華見なかった?」
「桃華ちゃん? さあ……見た?」
彼女は隣にいた友人を見遣る。すると、彼女は少し自信が持てない様子で、おずおずと答えた。
「ターミナルのバス停でそれらしい後ろ姿を見たけど、背の高い男の人といたし、あの子がバスで帰るわけないから、違うかも」
「バスで? なんだろう……」
考え込む翔真の隣で、力太郎は何かを思いついたように、はっとした表情を浮かべた。
「翔真、悪いけど先に帰っていてくれないか」
「どうしたんだ、リキ?」
「ちょっと思いつくことがあった。またなにかわかったら連絡するから!」
バタバタと慌ただしい靴音を鳴らして図書館を飛び出すと、力太郎は停めてあった自転車をくるりと反転させてまたがり、立ち漕ぎのまま全力でペダルを踏み込んだ。
役場通り沿いに植えられたヤシの木が、海からの風にあおられて大きな葉を揺らしている。低く垂れこめた雲は、深い鉛色で空を覆っていて、夕方には一雨きそうな気配だった。
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放課後、掃除当番の翔真たちの目を盗むようにして、桃華はそっと教室を出た。力太郎や翔真たちを、面倒ごとに巻き込みたくなかったからだ。
力太郎が自宅に来たことも、教室にあんな落書きがしてあったことも、想定外だったけれど、この問題が力太郎たちに知られなかったのは幸いだった。それに、力太郎が勉強を教えろといってくるのを逆手にとり、授業が終われば図書室に来るようにいっておいたので、多少の時間稼ぎもできるはずだ。
桃華は人目を避けるように早足で、学校からほど近いフェリーターミナルへとむかった。
平日の午後のターミナルのロビーは閑散としていて、ひと気がまるでなかった。普段ならば暇そうな高校生が、エアコンの効いたロビーでいつまでもおしゃべりに興じているのだが、テスト前ということもあって、大半は図書館で勉強をしている。ここまでは想定通りだ。
やがて、ロビーの自動ドアをくぐって一人の男が入ってきた。百九十センチ近い身長と制服のズボンを腰履きするヒップホップ系ファッション。この離島の高校において、肥後虎徹のような恰好をしている生徒は嫌でも目立ってしまう。もっとも、桃華も人のことをいえた立場ではないのかもしれないけれど。
虎徹は感情のこもらない薄っぺらな笑みを浮かべて桃華に近寄った。
「へぇ、ちゃんと来たんだ? 肉団子先輩に助けを求めるのかと思ったけど」
「他の人には関係ないもの。それよりも、場所を変えましょう。ここじゃ、そのうちリッキーたちに見つかるわ。これ以上問題をややこしくしたくないの」
「そうツンツンしないでくださいよ。二人きりなんだからデレてもらってかまわないすよ」
「悪いけれど、君の冗談は笑えないの」
「相変わらずつれないすね。じゃあ、ちょっとコロセウムにでも行きましょうか? テスト前にわざわざコロセウムに行くような酔狂な高校生はいないっすから」
虎徹は親指でターミナルの外をさす。ちょうどコロセウム方面行きのバスがフェリーターミナルのロータリーに入ってくるところだった。
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虎徹はこの島の重鎮、奥島会病院を束ねる理事長、肥後義虎の次男である義将が、東京奥島会病院で研修医として働いているときに結婚し、そこで生まれた一人息子だ。虎徹が小学一年生のときに、義将はこの島の奥島会病院の診療部長として赴任し、現在は院長を務めている。
虎徹が桃華に声をかけてきたのは先週、ちょうど力太郎が夏の闘牛大会出場のために奔走していたころだった。
翔真が部活にくるかとたずねてきたが、桃華はそれを断った。というのも、その日は桃華が毎月ネットで購入しているファッション誌が届く日だったからだ。特に、今月号については、郵便を両親が受け取ることは避けたい理由があった。
ところが、翔真たちと別れ、急ぎ足で校門をくぐったところで、背後から「龍田桃華先輩っすね」と男の声で呼び止められた。
桃華は虎徹のことを知っていた。
父親が三津間町長であるがゆえに、この島の権力者一族、肥後家とはどうしても政治的な付き合いは避けられなかったのだ。町長選挙では肥後家がどの陣営につくかで、勝敗に大きな影響があったのだ。
桃華は政治家の娘であることを嫌悪していた。町長の娘というだけで、誰からも監視されているような気分になるのは、思春期の多感な女子にとっては、自由への足かせでしかなかった。
虎徹はそんな彼女に対して、こういった。
「オレ、龍田町長が、闇に葬りたいと思っている事実を握ってるんだけど、ちょっと話きいてもらえないっすかね」
心の中に土足で踏み入ってくるその言葉に、警戒心たっぷりに見上げた桃華は、機先を制するように、
「私を強請ってもなにも出ないわよ一年生の肥後虎徹君。こんな田舎の町長なんて、なんの権力もないんだから」
といい返した。
虎徹は愉快そうにけらけらと声をあげて笑うと、まるで桃華をデートにでも誘うかのように、月曜日の放課後にフェリーターミナルまでくるようにといい残して、去っていった。
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平日のコロセウムの観客席には誰もいなかったが、リングには勢子と思われる男性が二人、互いの牛で試合形式の稽古をしていた。
虎徹はリングを囲む観客席に腰を下ろすと、桃華にも「座ったら?」と気安くいった。桃華は心持ち虎徹と距離をとって、コンクリート製のベンチに座った。ひやりとした感覚がスカートを通して桃華のふとももに伝わる。
「それで。用件は何?」
「気のはやい人っすね。まあ、オレも手短にすましたいんで単刀直入にいいますよ」
そのとき、虎徹の目つきが変わった。まるで、研ぎ澄まされた刃物のような鋭さで、桃華の顔を正面から貫いたかと思えば、ぐにゃりと片側の唇を吊り上げた。
「三津間町長の龍田謙三に隠し子がいるって、知ってる?」
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