第2話 ここは南国、奥乃島

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 まだ四月末だというのに、夏の始まりを思わせるようなまぶしい日差しが、腰の高さほどの若いサトウキビを鮮烈な緑に染めている。湿度を帯びた島特有の風が畑を波立たせながら、さぁっと音をたてて通り過ぎる。

 小高い丘のむこうまでまっすぐ伸びる一本道を、軽快にペダルを漕いでいると、後ろからチリンチリンとやかましいベルの音が追っかけてきた。


「そんな何度も鳴らさなくても聞こえてるって」

「ずいぶんと腑抜けた後ろ姿だったからな、目覚ましがわりだ」


 ライトグリーンのマウンテンバイクにまたがった繁田しげた力太郎りきたろうが人懐こい笑顔で、親指と小指を立てたこぶしを突き出した。

 焼き海苔みたいに太くて黒い眉毛と相反して、目は顔にできた裂け目程度に細く、肉付きのいい頬に押し上げられ、いつも笑っているように見える。翔真はうんざりしたような表情を作りつつも、右手に同じ形を作って、力太郎の左手にこつんとぶつけた。

 小学校入学前からの付き合いの翔真と力太郎は、兄弟のように一緒に育ち、今も同じ県立三津間高等学校に通う高校二年生だ。小太り体型でウニのお化けを乗せたようなボサボサ頭の力太郎といつもいるせいか、翔真は決して背が低いわけではないのに、人から小柄に思われることもしばしばだった。


「いよいよ今週末、全島大会だな!」

 力太郎が白い歯をむき出しにしてニッと笑う。しかし、翔真は浮かない表情で小さくため息をついた。

「なんだ翔真、まだ春疾風のことを気にしてるのか? もう三年も前だぞ?」

「わかってるよ。でも、ハルは間違いなく全島一になれる牛だった。それをわかっていてハルを潰すために、義将オジはわざとあんなことしたんだ」

「牛を飼っとるやつはみんな全島一になれる牛だと思っとるけどな。それに、牛が興奮して止めきらんことくらいある」


 力太郎は飄々といったが、翔真は納得できないとばかりにつんとあごを突き出した。

 十分ほど自転車を漕ぐと、長い下り坂のむこうに青く輝く海が見えてきた。この島の玄関口、三津間港だ。入港する鹿児島航路のフェリーから巨大な金管楽器のような汽笛が、海風にのって届く。

「急がねえと遅刻すんぞ!」

 力太郎は翔真を追い越し、「ひゃっほぅ!」と奇声をあげながら坂道を猛スピードでくだっていった。


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 坂をくだり切った三津間港前の交差点を北へ曲がり、島のメインストリートである役場通りを二分も走れば、右側に県立三津間高校が見えてくる。

 校門の手前で、力太郎がまたもや賑やかにベルを鳴らす。前を歩いていた二人の女子生徒が振りむいた。


「やっぱりリッキーだった」

 龍田たつた桃華ももかが迷惑そうに顔をしかめる。翔真は苦笑いで自転車のスピードを落としながら二人の横に並んだ。


「おはよう、桃華、若葉」

「おはよう鶴野くん」


 遠慮がちに挨拶を返したのは、この春に離島留学で奥乃島にやってきた三木みき若葉わかばだ。

 紺色のブレザーのボタンはしっかりと留められ、膝が隠れるほどのスカート丈。生徒指導室に掲示されている模範的生徒の写真みたいだ。肩よりも短いセミロングの髪は、脱色されておらず太陽の光に艶やかな輪を作っている。

 一方、緩くウェーブした長い茶髪をハーフアップツインテールにした桃華が、力太郎を見上げていう。


「リッキー、今度の土曜日に大会でしょ? どうなの、調子は?」


 こちらは太ももが見えそうなほどにスカートが短い。ブレザーではなくベージュのニットベストで、襟元のリボンも外している。この島では売っていないファッション雑誌を、わざわざネットで注文して取り寄せるほど、都会への憧れが強い桃華は、制服の着こなしもどこかあか抜けている。


「まあ、心配ないね。俺のももタロが勝つよ」


 自信たっぷりに返事をする力太郎と桃華が闘牛談義を始める。急に蚊帳の外に置かれた若葉は、二人の会話についていけずに困惑して視線を泳がせた。


「土曜日に闘牛大会があるんだ。そこにリキの牛が出場するんだよ」

 翔真の説明にもまだピンとこないのか、若葉は「へぇ、そうなんだ」と短い返事をした。


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 鹿児島県の南、南西諸島に浮かぶ人口七千人にも満たない奥乃島おくのしま。サトウキビやジャガイモといった農産物、そして畜産が主な産業というこの島は、テーマパークはおろか、ゲームセンターやカラオケボックスすらないというドがつくレベルの辺境の地だ。

 そんな島の最大にして最高の娯楽、それが闘牛だった。

 牛と闘牛士が戦うスペインの闘牛とは違い、この島の闘牛は体重が一トンにもなる雄牛同士が、リングと呼ばれる円形の柵の中で角をつき合わせて戦うものだ。その行動自体は牛が縄張り争いのために備わっている闘争本能によって力比べをするもので、四百年前には、闘牛がこの島でおこなわれていたといわれている。

 大人も子どもも男も女も、この島に生まれて闘牛を一度も見たことがない、という者はいないほどだ。むしろ、奥乃島では立派な闘牛を持つことが一家の誇りだとされている。浜辺では小学生にもならない小さな男の子が、我が家自慢の闘牛を引き連れて散歩させているのを、「どうだね、牛の調子は?」なんて話しかけたりするのも当たり前に見る光景だ。

 闘牛はこの島の生活の一部として深く根付いている。


「ワッキーは連盟理事の清正オジの家に世話になってるのに、まだ闘牛見たことなかったのか。だったら、週末に三津間コロセウムでやる全島大会を見に来いよ。絶対ハマるぜ!」

 自信たっぷりに力太郎が息巻く。

「みんな行くの?」

「俺とモモは行くけど、翔真は?」

「おれは……正直、どうしようか迷ってる」

「どうして?」

 桃華がきょとんとする。行かない理由がないといわんばかりだ。

「おれ、リキの対戦相手の牛と三年前に対戦したんだけど、最後に相手の牛が暴走してさ」

「それで鶴野くんの牛、どうなっちゃったの?」


 困惑した顔で若葉がきく。


「そのときは助かったんだけど、まるっきり闘争心をなくしてしまって、闘牛のトレーニングさえ怖がるようになったんだ。最終的には処分するために、本土の加工業者に……」

「闘牛の牛は、闘牛のためだけに育てる。だから、戦えなくなった牛を飼いつづけることはできないんだ。牛一頭育てるだけで、馬鹿にならないほどお金と時間かかるからな」


 若葉がはっと息を呑むのがわかった。翔真の牛が食肉に加工されたと理解したのだろう。


「それでもハルが四年間、翔真に大切に育てられたってのは事実だ。普通の肉牛は一歳でセリに出され、二、三歳で出荷される。しかも、ぶくぶくに肥えさせられてな。それを思えば、ハルは幸せだったと思うぜ」

 力太郎の言葉に翔真は少し表情を和らげた。

「おれは、お前の牛が鬼虎に負けたら嫌だと思って迷ってるんだ。ハルでさえ勝てなかった牛だぞ」

「ばーか。俺の『ももタロショーグンX』は、五連勝中だぜ? 負けねえよ」


 力太郎は大口をあけて「がはは」と豪快に笑う。けれど、どうしても翔真には払拭しきれない不安があった。

 それは烈豪鬼虎のあの目だ。憎悪に満ち溢れた顔つきは、興奮した末のものではなく、最初から春疾風を殺す気でいたのではないかと思えた。その殺意の矛先は、鬼虎の邪魔をした翔真にむいた。

 結果、翔真を投げ飛ばし、鬼虎の前に立ちはだかった稜真が鋭い角の餌食となった。一命はとりとめたものの、稜真は左足の太ももから下を切断する大怪我を負った。

 春疾風と兄の片足。二つの大切なものを失ったのは、勢子としての未熟さが招いた結果だと、翔真は何度も自分のことを責めた。それ以来、翔真は闘牛とも距離を置くようになったのだった。

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