第15話 テストですと!?
朱鷺色が滲む東の空に薄く広がった雲が、燃えるように輝いている。水平線に顔をのぞかせた朝日が、穏やかな二見灘の海に光の一本道を描いていた。あと半時もすれば、島の景色の大半は、青く塗りつぶされるだろう。
翌週には中間テストもあるというのに、そんなことさえ気にならないほど、翔真の心もまた、晴ればれとしていた。
誰もいない早朝に登校し、牛舎の掃除と敷き藁の交換をし、餌桶に刈り取った草などの粗飼料を与えるのが、生物部としての毎日のルーティーンだ。
知念がユイマル号と呼んだ牛も、最近になってようやく部員たちに慣れたらしく、鼻綱を通して学校の裏山まで連れて行けるようになった。力太郎はそこでこっそり、闘牛のトレーニングをしていた。固い土の山肌に角を立てることで角の使い方を覚える、角突きという闘牛の基礎訓練だ。
闘牛の飼育は決して楽ではないけれど、それでも少しずつ成長していく牛の様子を見ているのは、部員にとって充実した時間だった。
ただ、その部員たちの中に、まだ桃華の姿はなかった。
「なあ、モモも一緒に生物部やらねえか?」
昼休み、牛舎にむかう前に普通科の教室に立ち寄った力太郎が、いつものように桃華を勧誘する。しかし、桃華は「うん、やらない」とつれない。
「どうしたんだよ、モモ。いつも俺と牛の世話するの、楽しそうにしてたじゃねえか」
「だってあれはリッキーの牛だったし、私は見てるだけでよかったもの。わざわざ、部活動なんてやってまで、牛の世話をしたいわけじゃないわ」
「……そりゃ、まあ、そうだけど。けど、翔真もワッキーも、モモが一緒だったら嬉しいと思うんだ」
「別に部活じゃなくても、学校で嫌でも顔を合わせるでしょ? 部だってちゃんと正式に学校に承認されたじゃない。私が入る必要性はないわ。それより、はやく牛小屋に行ったほうがいいんじゃない? 牛が餌待ってるわよ」
桃華は立ち上がると、クラスの友人に「食堂行こ」と声をかけて、教室を出て行った。
力太郎が大きなため息をこぼして、若葉にたずねる。
「最近、ずっとあの調子じゃねえか。ワッキー、モモから何かきいてねえか?」
「さあ、わたしも最近一緒に登下校してないから……」
若葉は翔真を横目に見たが、翔真も肩をすくめる。力太郎のいう通り、力太郎が生物部の活動を始めてから、彼女の態度が素っ気なくなっていた。力太郎が幾度となく彼女に入部を頼んでみたが、桃華の返事はいつもノーだった。
なんとなく重い気分のまま、翔真たち三人は牛舎へと向かった。
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このところ、ユイマル号はすっかり警戒心が解けて、その分、食欲も旺盛になっていた。イネ科やマメ科などの草は、年中温暖なこの島では容易に調達できたが、闘牛として、より体力をつけさせるには粗飼料だけではなく、穀物や配合飼料を与える必要があった。
「俺の家から、多少は配合飼料を譲って貰えると思うけど、運搬をどうするかだな。翔真、リョウ兄に車を出してもらうことってできるか?」
「できないことはないけれど、平日は仕事だから土日しかダメかな。車も軽だからそんなに積めないし」
翔真が難しい顔をつくると、思いついたように若葉が手を打った。
「作先生に相談してみたらどうかな? 先生、学校まで車で来ているみたいだし、お願いしたら出してもらえるかも」
「そうだな。そもそも、先生が持ち込んだ案件だし、嫌とはいえないはずだ」
力太郎も翔真も、若葉の案に賛同する。そこで早速、その日の放課後に三人で職員室の作の元へ、車をお願いしに行くことにした。
「車で飼料を運びたいって?」
作は周囲を気にするように、声のボリュームを落とす。
「はい。さすがに何十キロもあるのを、俺たちだけで学校まで運び込めないので」
「裏山の草とか食べさせてるんじゃなかったっけ?」
「粗飼料だけだと、体作りをするのに足りないんですよ。先生だって毎日米しか食えなかったら嫌でしょ? 飼料はウチの家にある配合飼料を譲ってもらうので、お金はかからないんですけど。つうか、そもそも先生が連れてきた牛ですよね?」
力太郎にずいっと詰め寄られた作は、バリアを張るように両方の手のひらを正面に構える。
「わ、わかったってば。ただ、早くても来週以降じゃなきゃ無理だ」
「来週以降?」
「君たち、来週から中間テストだろ? その間、職員室は出入り禁止だし、そもそも明日から部活動の停止期間になるじゃないか」
「はぁ!?」
突然、そう告知されて力太郎は素っ頓狂な声をあげた。
「あ、そうそう。明日から部活できなくなっちゃうから、今日のうちに牛を学外に移動しておいてほしいんだけど、大丈夫?」
「大丈夫なわけねぇーっ!」
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追い出されるように職員室を後にし、牛舎にむかう道すがら、翔真は深いため息をついた。
「どうする、リキ?」
「どうもこうも、いったん俺か翔真の家に運ぶしかねえけど、ここから四キロはあるからなぁ」
「のんびり歩いて連れていくしかないか」
うすうす感づいていたことだけれど、あの作という教師は見た目こそ優しそうだが、やることが大雑把すぎるし、何より教師としての自覚がたりない。そもそも普通の教師は牛を学校に連れてきたりはしない。
「仕方ねえ。となると、今日は自転車は置きっぱなしか。明日バスで登校するの、面倒くせえな」
自転車置き場を横目にちらりとみて、力太郎が肩を落とす。バスで通学すること自体は苦痛ではないが、いつもの時間に学校に着くためには、始発のバスに乗る必要がある。
ぼやきながら自転車置き場を通り過ぎ、ふと見ると、牛小屋のそばに人影があった。
「桃華!」
小さな叫び声をあげて翔真が駆け出した。牛舎の前には桃華が立っていた。
「どうしたの、もしかしておれたちと一緒に部活する気になった?」
「違うわよ。あんたたち、多分困ってるだろうと思って」そういいながら桃華は親指でくいっと牛舎をさす。「明日から部活禁止でしょ? こいつ、どうにかしなきゃいけないんじゃない? それに、ショーマたち、テスト勉強だってはかどってないでしょ?」
「あー、うん。まあね。桃華が教えてくれたら、助かるな」
頬をかきつつ、過不足のない素直な笑顔をむけると、桃華は「しょうがないわね」と両手を腰にあてた。
「ただし、リッキーはクラスが違うから自己責任でね」
「モモ、最近、俺に冷たすぎ」
桃華が無言で握った拳を肩まで振り上げると、力太郎は「ひっ」と一歩後ずさった。
♉
翔真たちの住む二見灘町へ続く坂道を、前は四人で歩いたが、今日は牛のおまけつきだ。そのせいで、いつもなら二十分も歩けば坂をひとつ越えるのに、今日は倍ほど時間がかかっていた。
牛を引く翔真を先頭に、その横に桃華が翔真の自転車を押しながら並ぶ。後方で牛の傍らに力太郎がぴたりとついて、その隣に彼の自転車を押す若葉が歩く。若葉は力太郎から牛の餌のことや、健康状態の診かたとか、そういうことを聞かされているらしかった。
「なんだか、久しぶりだね。この四人で揃うのってさ」
翔真が晴れやかな笑顔でいう。
考えてもみれば、桃華がいなくとも、翔真と力太郎のどちらかが牛の綱を引けば、残りの一人と若葉で自転車を押して帰ることはできた。けれど、桃華がこの場にいることが翔真は素直に嬉しかった。この牛がやってきてから、この四人が集まるのは久しぶりだった。
「そうね。今は若葉と登下校も別だから」
「もしかして、寂しい、とか?」
「馬鹿じゃない? なんで私が寂しくなるのよ」
桃華は吊り上がった目で睨みつけるが、翔真がにこにこ顔を崩さないので、肩透かしを食ったように声のトーンがすっと落ちる。
「ショーマってさ、絶対モテないよね」
「は? 何、急に?」
「うん、絶対にモテない」
桃華は上目遣いに翔真を見た。彼女からの意外なカウンターに翔真は返答に困った。
「ショーマもリッキーも闘牛でどれだけ駆け引きがうまくても、リアル女子にはまったく通用しないわ」
「なんだよ、桃華だって人のこといえるのかよ。いっつも島の男には興味ないなんていってるから、残念美人とか東京ばか奈とかっていわれちゃうんだぞ」
「別にいいもん、そのくらい。どうせ、あと二年で島を出るの。ここでの評判を気にしてもしょうがないわ」
そういった桃華に、翔真は真剣な目つきで見つめ返した。
「それってさ、おれとリキもなのか?」
その視線に一瞬ひるんだ桃華だったが、すぐに「当たり前でしょ。島の男だもん。同じよ」と、つんと鼻を高くしていい返した。翔真の短いため息が、緑色に波立つサトウキビの葉擦れの音に紛れて消えていった。
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