第40話 暴走
奇異な生き物でも眺めるような数千の視線を一身に集めた若葉を守るように、力太郎は彼女を抱きおろして、客席との間に立ちふさがった。
「虎徹! てめえ、負けた腹いせにいい加減なこといってるんじゃねえぞ!」
「いい加減なこと? 笑わせるな。こっちにはちゃんと証拠もあるんだ。三木若葉が龍田謙三の娘だっていう証拠が。なんなら、DNA鑑定の結果を町の広報紙に乗せれば、面白いんじゃねえの」
虎徹はニィッと口許をゆがめたまま。マイクを投げ捨てた。網状のマイクグリルがコンクリートの地面にぶつかり、スピーカーからガツンと固い雑音が鳴る。
コロセウムに混乱と疑念をはらんだ不穏な空気が漂い始めていた。運営席では理事たちが右往左往するばかりだった。
勝利の歓喜から一転。ふいに発生した竜巻のように、無秩序に暴走する虎徹の狂気を止めるため、翔真は必死に知恵を絞ろうとした。しかし、起死回生の策など簡単に浮かぶはずもなく、翔真はただこぶしを固めるしかなかった。
虎徹はヒヒヒと下劣な笑い声をあげながら、ひょいと柵を乗り越えてリング内に戻った。
そのとき。
リングの片隅でとどまっていたはずの雷神威虎が、突如として重戦車のように地響きをあげて、まっすぐ虎徹に突進していった。
「虎徹!」
その名を叫ぶだけで精一杯だった。
虎徹は突撃をよける暇もなく吹っ飛ばされ、数メートル先の地面に叩きつけられた。それでも、威虎の暴走は止まらない。前脚で二度、リングの土を掻くと、首を翔真たちのほうへとむけた。
牛の黒い瞳のように見えるそれは、もはや生物としての感情を失った、穴でしかなかった。その穴に真っ逆さまに落ちる錯覚を覚えた瞬間、威虎が強く後脚を踏み込んだ。
そのとき、翔真は一歩前に踏み出し、両手を広げて力太郎たちの前に立ちふさがっていた。
「若葉を頼む、リキッ!!」
「馬鹿ッ! 逃げろ、翔真ァ!!」
若葉に覆いかぶさるようにして、地面に倒れ込みながら力太郎が叫んだ。
次の瞬間、岩を砕くような轟音が耳を貫き、翔真は思わず目を閉じた。
自動車事故にでも巻き込まれたような衝撃音が、翔真の脳を揺さぶり全身が強張る。
だが、確かに衝撃音があったはずなのに、体はなんともなかった。翔真は恐るおそる目をあけた。
立ち上る土煙の中、黒い巨体が威虎と翔真の間に立ちはだかり、真正面からその突撃を受け止めていた。
「若力!」
若力は角で右目を貫かれながらも、威虎に掛けた角に体重を乗せ、首を地面に押し付ける。威虎は必死に抵抗するも、鼻先を強く地面に押し付けられ呼吸困難に陥り、もがきながらがくんと前脚を折った。
「押さえろ!」
よく通る張りのある声が響き、数人の男たちがわっと二頭の牛を取り囲んだ。やがて、鼻綱を通された威虎は、男数人がかりでリングの外へと連れ出されていった。
「なにをしている、救急車だ! 早くしろ!」
声の主は清正だった。翔真たちの取り組みを最前列で観戦していた清正が、陣頭指揮をとり、リングに横たわる虎徹の救護にむかった。
翔真も慌てて清正とともに虎徹に駆け寄る。
角で突かれて破れたズボンの右太ももが、血で赤黒く染まっていた。しかし、虎徹の意識はあるらしく、うめき声をあげながら独り言のように「ちくしょう、ちくちょう」と何度も繰り返していた。
「まあ、この程度なら命の心配はないだろうが……」
大きく嘆息すると、清正は会場内を見渡した。
「まさか、力太郎が企画した特別戦がこのような結果を迎えるとはな」
そう独り言ち、悔恨を滲ませながら運営席に歩み寄ると、茫然としている謙三にむけていった。
「町長、あんたにゃ、この場を収集してもらわんとならんのじゃないか」
会場が騒然となっているのは、単に雷神威虎の暴走によるものだけではないのは明白だった。
「難しいことじゃない。身に覚えのないことなら、身に覚えがないといえばすむ話だ。なにも、この男の妄言を信用しようというわけじゃない。ワシはただ、この大会を滞りなく無事に終えたいだけだ」
しかし謙三は唇をぎゅっと引き結んで、口を開く様子はない。困ったとばかりに、清正が頭をぼりぼりと掻く。
そのとき、観客席の最上段から来賓席にむかって、通路の階段をゆっくりと降りてくる人影があった。
細い足にぴたりとフィットしたスキニージーンズに、淡いブルーの絞り染め風のチュニック。背中まである長い茶髪をハープアップツインテールにした特徴的な髪形。そこにいたのは三津間町長、龍田謙三の娘、桃華だった。
「モモ……?」
桃華の姿を目にとめた力太郎がぼそりという。桃華は翔真たちに一瞥をくれると、落ちていたマイクを拾い上げて、ゆっくりと観客席を見渡した。
「三津間町長、龍田謙三の娘の桃華です。さっき、肥後君がいったことについて、町長はきちんと説明をする責任があるわ。でも、今日はせっかくの全島大会なの。父の、町長の問題のことは大会が終わったら、必ず本人の口から皆さんに説明をすると約束する。だから、この大会の間だけは、町長だとか、離島留学生だとか、そういうことを全部なしにして、いち島民ということにしてくれないかしら? 私、ずっとこの大会を楽しみにしていたの。だから、最後まで全ての取り組みをちゃんと終えてほしいと思うんだけれど、みんなはどうかしら?」
ぽつり、ぽつりと観客席に沸いた拍手は、やがて歓声となり再びリングを熱気の渦が取り囲んだ。ラッパが高らかに鳴り響き、
桃華は無言で深々と礼をすると、運営席の片隅できょとんとしていたアナウンサーにマイクを押し付けた。
「ちゃんと仕事、しなさいよ」
うっすらと笑みを浮かべる桃華に、「ほぁい」と間の抜けた返事をしていたのを、彼が手にしていたマイクはしっかりと拾っていた。
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