第21話 わたしの意思
「わたし、繁田くんがいなかったら、きっとこの島を出たくなっていたと思う。でも今は、繁田くんや桃華ちゃん、鶴野君が一緒にいてくれるだけで、この島での生活が好きになれる。楽しいの、みんなといるのが」
「そもそも、どうしてそんな思いをしてまでこの島なの? 離島留学なんて、よっぽど物好きな人しか来ないと思ってた。おまけに、この島では二年前に、離島留学生が放火事件を起こして、町中が大騒ぎになったこともあるのに……」
「それは……」
若葉はしゅんとして視線を落とす。桃華が小さく息をつき、若葉の肩をとんと叩いた。
「この島には昔っから変な仲間意識っていうか、互助精神っていうか、とにかく、人との繋がりを妙に大事にする気質があるの。良くも悪くも、だけど」
「うん。それはなんとなく、気付いてた」
「そう。だったらあれこれというつもりはないけれど、少なくとも、若葉は私たちの仲間よ。まあ、部員じゃない私が偉そうにいうのは筋違いかもしれないけれど」
若葉はぶんぶんと首を振った。
「ううん。ありがとう桃華ちゃん。大丈夫、きっと小林さんも話を聞いてくれると思う。だって……この島での私の家族だから」
若葉が微笑むのを見て、桃華はこぶしを突き出した。親指と小指を立てた、力太郎の考えたフィストバンプだ。若葉もしっかりと指を立てて、こつんとそのこぶしをぶつけ合うと、くすくすと肩をふるわせて笑った。
玄関を上がると、すぐ左に八畳の和室、その奥が台所で、短い廊下の突き当りの右が若葉の部屋だ。小林家の子どもたちはすでに島を出て、東京や大阪で働いていて結婚もしていた。島には年に一度帰るかどうからしい。居間を覗くと、清正が早めの晩酌をしながら、夕方のニュース番組を見ているところだった。
「おじさん、ただいま」
「おう、お帰り」
短くシンプルな挨拶。清正は決して人好きのするようなタイプではない。かといって、ぶっきらぼうかといわれればそうでもない。一方、養母の早苗はにこにこと愛想がよく、いつも若葉の世話を焼いてくれる。都合、どうしても養母との会話が多くなる。それに、祖父ほども年の離れた男性と、気軽に会話することにも、馴染みがなかった。これまでの若葉は相当限られた範囲でしか人間関係を築いていなかったのだ。
若葉は一度、自分の部屋に行き着替えを済ませる。いつもなら、夕食の時間になって、早苗が若葉のことを呼びに来るまで、自室にいるのだが、この日は若葉に課せられた使命があった。
「ワッキーの受け入れ先の小林清正って人は、この島の闘牛連盟の理事をやってるんだよ」
今日の部活で、翔龍若力の実践練習をしたいといった力太郎が、若葉にそう教えてくれた。
「廃牛寸前だった小林タイフーンの調教をして、この春の闘牛大会の軽量級の全島一チャンピオンにしたのも、清正オジだ。タイフーン以外にも、何頭もの牛を引き取ってトレーニングしては、全島大会に送り出し、番付の上位に名を連ねてる。だから、清正オジには『闘牛再生請負人』って二つ名があるほどだ」
「それじゃあ、おじさんに調教をお願いすれば、翔龍若力ももっと強くできるっていうこと?」
「ああ。ただし、清正オジは調教のプロだ。必ずしも、俺たちの力になってくれるとは限らない。それに、プロってことは、それなりの報酬を支払う必要もある」
「でも、今の生物部の部費じゃ、若力の餌を用意するので精一杯だよ?」
「だからこそ、ワッキーにお願いできないかって思ってるんだよ」
力太郎は若葉がお願いすれば、清正が調教を手伝ってくれるのではないか、と考えているようだった。
清正は離島留学生の若葉を受け入れてくれている。それだけでも十分に若葉は清正に対して恩を感じている。その上、闘牛のトレーニングまでお願いすることを、清正はどう思うだろうか。
右手の親指と小指を立てて、牛の角を作ってみる。力太郎が考えた闘牛士どうしの挨拶だ。しばらくその手をじっと見つめていた若葉だったが、意を決したようにぴっと眉を引き締めて、居間にむかった。
「あの……」清正の対面に正座し、思い切って話を切り出す。「おじさんって、闘牛をしてるんだよね? いろんな人の牛を調教してるって」
「ん? ああ。どうした、いきなり」
突然、改まってそうたずねられた清正は、口許まで運んでいた焼酎のグラスを止めて、若葉を見た。
「その……わたしにも闘牛を教えてほしいの」
清正は意外そうに若葉を見つつも、口許がわずかに持ち上がっている。感触としては悪くなさそうだ。
「若葉ちゃんもついに闘牛を覚えたか? だったら、今度一緒に闘牛を見に行くか? 次の開催は来週に有志主催の大会が……」
「あのね、わたし今、学校で闘牛を育てているの」
「ん?」
清正の表情がほんの少し曇る。訝るような様子で若葉にたずねた。
「それは、授業で……ちゅう感じではなさそうだな」
「部活動なの。生物部で闘牛を育てていて、それで、今は繁田くんと鶴野くんって二人の部員が牛を育ててる。わたしは島に来るまで牛なんて見たこともなかった。でも、この前、初めてこの島の闘牛を見て、カッコいいって思った。それで、自分でも牛を育ててみたいって。そうしたら、ちょうど、そのタイミングで学校に牛がやってきて……」
「それで、闘牛を育てとるってわけか」
「うん。でも、わたし、闘牛どころか犬や猫すら飼ったことないし、牛の育て方なんてまるで分らないから……でも、みんなの負担になりたくないし……というか、役に立ちたいの。だから、おじさんが闘牛に詳しいってきいて、それで……」
「それは、若葉ちゃんの意思なわけ?」
清正は眉根を寄せて、じっと若葉を見据えた。夕食は揚げ物なのだろうか、台所からぱちぱちと油の弾ける音が聞こえてくる。
清正は誰かが若葉を利用して、彼の技術の恩恵を受けようとしているのではないかと勘繰っているはずだ。それは、学校で力太郎にもいわれた。だから、なるべく、自分自身が闘牛に興味があるのだと、そう思わせてほしいと。
話を切り出したときは若葉もそうするつもりだった。生物部で自分が部の戦力になっていないことは、人にいわれるまでもなく理解していた。それでも、力太郎のそばにいられる一番確実な方法として、生物部員であることを選んだのは若葉自身だ。
だからこそ、このまま生物部のお荷物みたいに二人にぶら下がっていたくない。芽吹いた種子が葉を開き、枝を広げて大輪の花を咲かせるように、若葉の胸の内にはっきりと彼女の意思が形作られていく。
清正がプロの調教師だというのなら、自分だってそれに見合った方法で、お願いをしなきゃいけない。
「おじさん、留学生のわたしがこの学校にいられるのは、あと二年もないけれど、その間に、自分たちの牛が、全島大会で勝つ姿を見たい。この家の里子だからって特別扱いしないっていうなら、わたし、バイトでも家の手伝いでもなんでもする……委託費も助成金も、わたしのために使わなくてもいい! わたしがみんなと闘牛をやりたいの。みんなの牛を強くしてあげたいの!」
座卓に両手をつき、身を乗り出した若葉を、驚きの表情で見つめていた清正の背後から、穏やかな笑みを浮かべた早苗が夕飯の皿を手に諭すようにいった。
「あなた、いいじゃないですか。本土からきた若い子が、闘牛をやってみたいなんて、幸せなことじゃない。息子たちは年に何度も帰ってこないし、あなただってあと何年、闘牛をやれるかなんてわからない歳よ? 闘牛のこと、若葉ちゃんにも教えてあげたらどうですか?」
清正は「むぅ」と渋い顔で腕組みをした。若葉がもう一度「お願いします、おじさん!」と両手をついた。
「わかった。ただし、条件がある」
「条件?」
「部活ならば学校がちゃんと認可しているのかを確認したい。顧問と部長をこの家に連れてきなさい。教えるかどうかは、それから決める」
清正の目つきが、養父である彼とは別人のものになっていた。その眼が放つ異様なまでの威圧感に、若葉は気圧されそうになった。けれど、少なくとも一歩前進したのは間違いない。ただし、進んだ先には、また一つ大きな壁がそびえていたのだけれど。
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