第8話 決意

「あれ? ショーマ?」


 堤防の先から足を投げ出して座っていた桃華が肩越しに振りむいた。思ったよりも堤防が長く、翔真は膝に手をついて息を切らせながら、呼吸の合間に不満そうにいう。


「なんだよ、桃華たち、来てるんなら、電話くれたら、よかったのに」

「悪りぃ。別にのけものにするつもりじゃなかったんだけどな」


 珍しく困ったように眉尻を下げ頬をかく力太郎をみて、桃華がにんまりと目を曲げた。


「リッキー、こう見えてプライド高いから、落ち込んでる姿をショーマには見られたくなかったのよね」

「別に落ち込んでねえよ!」

 力太郎がムキになって反論する。それを桃華が余計に面白がる。

「さっきまで、ずっとももタロが負けたのは俺のせいだってウジウジしてたくせに」

「誰がウジウジしてんだよ!」

「ももタロはまだやれたのに、俺がガッツポーズをしたせいで、あいつの集中力が切れたんだ、っていってたじゃない。現に、今さっきだって泣いてたし」

「泣いてねぇ! 暑いから汗かいてるだけだ」


 そういうや、力太郎は両手で身体を押し出すと、堤防から三メートル下の海へと飛び込んだ。豪快な水しぶきをあげて、その大きな体が海中に沈む。


「ちょっと、繁田くん!?」

 驚いて若葉が海面をのぞき込む。数秒後、海面から顔を出した力太郎が叫んだ。

「モモの方こそ、ももタロが譲渡に出されるって聞いて泣きそうになってたじゃねえかよ!」


 驚愕に目を見開いた翔真の視界の端で、何かが海にむかって飛び出した。つぎの瞬間、ドボンとさっきよりは小さな音と水しぶきが上がった。堤防に目をやると、桃華の姿が消えていた。


「桃華ちゃん!?」

「桃華!」

 翔真と若葉が慌てて海をのぞき込む。すぐに長い髪を海藻みたいに顔に張り付けて、桃華が水面から顔を出した。

「ホント今日はあっついわね」

「お、おい。モモ?」


 桃華は立ち泳ぎで力太郎のそばに近寄ると、泡を食ったような顔をしている彼の大きな頭を両手で挟んだ。そして、そっと自分の額を力太郎の額にくっつけた。


「悲しかったら泣いたらいい。悔しかったら叫んだらいいでしょ。せめて、私やショーマの前くらい、カッコつけるのやめたら」


 力太郎も桃華もびしょ濡れになっていたから、はっきりそうだとはいえないけれど、たぶん二人とも泣いていた。涙を流す力太郎を、翔真は初めて見た。


 さすがに三メートルの堤防を登ることはできず、力太郎と桃華は自力で漁港内のスロープまで泳いで戻ってきた。

 力太郎はともかく、さすがに全身ずぶ濡れの桃華から翔真は思わず目をそらした。普段、起伏に乏しいと思っていても、やっぱり女の子の体が描く曲線は、見てはいけないものに思えた。どぎまぎとする翔真を気にすることもなく、桃華は「リッキーのせいでびしょ濡れよ」と不平を口にしてワンピースのスカートを絞っていた。

 誰もいない芝生広場のステージの上に、四人で干物みたいに並んで寝ころんだ。我が物顔で空のど真ん中に居座る太陽が体を焦がす。この様子なら二人の服もすぐに乾くだろう。


「なあ、ももタロが譲渡に出されるって本当なのか?」

 空を見上げたまま翔真がきく。

「ああ。もともと親父はおれが闘牛することにあまり賛成してなくてさ。リョウにいの事故のこともあったしな。けど、三津間町長やってるモモの親父さんが、闘牛はこの島の将来に欠かせない観光資源の一つだっていって、三津間にコロセウムを作った時期だっただろ? それまで、どっちかというと地元のオヤジどもの娯楽って位置づけだった闘牛を、もっとクリーンなイメージにしていきたい。参加者の間口も増やしていきたい、そのためには地元の子どもたちにも積極的に参加をしてもらいたいといって、俺が闘牛をやる後押しをしてくれたんだ。

 そこで、親父は俺に条件をだした。どうせやるなら、島一番の強い牛を育てろと。もし番付が花形から上がる前に負ければ、そのときは牛を手放すって約束だった。だから、俺も必死にももタロの調教をしたんだ。ときどき、なんでこんなに毎日時間削ってまで牛の世話をしなきゃいけないのかって思うこともあったけど、それでも翔真やモモが手伝ってくれたから、やっぱり負けられねえって思えた」

「だって、私のパパがけしかけたのよ? 多少の責任は感じるわ」


 桃華が淡々といい放つ。力太郎は呆れたように「責任か」と笑う。


「今回、鬼虎に勝てばももタロを昇格してもらえるはずだった。チャンスだって思ったんだ。たった一つ勝つだけで、あいつをそばにおいておけるって。それで、勝負を焦っちまった」

 自虐的に笑って力太郎は続けた。

「実は前から譲渡の話自体はあってさ。ももタロをどうしても譲って欲しいっていう人が沖縄にいるんだよ。ずっと断ってきたんだけどさ」


 闘牛の世界では、牛の譲渡は決して珍しいことではない。むしろ、今も盛んに闘牛が行われている沖縄や宇和島などの牛主からは、奥乃島の闘牛は技、パワー、スタミナが特に優れていると評判で、闘牛のスカウトのために熱心にこの島に足を運ぶ者も少なくない。

 中でも繁田家に足繁く通っていたのが、うるま市の座間ざまあゆむという青年だと力太郎はいった。


「だったらまだいいじゃないか。ちゃんと闘牛として活躍の場が与えられるんだ。その点では春疾風よりはずっと幸せだ」

「まあな。でも、ももタロショーグンXの名前はもう使われることもないんだと思うと、ちょっと寂しいな」


 力太郎の目許が太陽の光を跳ね返す。それを指摘すれば、きっとまた「汗だ」とにべもなく答えるに違いない。

 しばらく四人で並んで、ぼうっと空を眺めて平和で穏やかな時間をすごした。風に乗って流れる綿菓子みたいな雲が、翔真の視界に淡い影を落とした。


「あの、もしかしてだけど。ももタロショーグンXって、人気アイドルグループをもじったんじゃなくて、繁田くんと、鶴野くんと、桃華ちゃんの三人の名前からとって名付けたの?」

 一番左に寝ころんでいた若葉がふいにいった。


「さすがに若葉でも気づくよね。リッキーは名づけセンスが皆無だから。私は『ピーチパワー♡かける』にしようっていったんだけど」

 桃華がいうと、若葉は乾いた愛想笑いでごまかした。


「……あの、ずっと気になってたんだけど……もしかして、繁田くんと桃華ちゃんって付き合ってるの?」

「はぁ!?」


 桃華と力太郎の裏返った声が重なる。二人は謎の呪術でよみがえったゾンビのように、むくりと上体を起こし、若葉を睨みつけた。左右からの鋭い視線に若葉が消え入りそうな声でいう。


「え? でも桃華ちゃん、いつも繁田くんと一緒にいるし、てっきり……」

「なんで私がリッキーなんかと付き合わなきゃならないのよ?」

「待てよ、そりゃ俺のセリフだ! 俺にだって選ぶ権利ってもんがある! お前、周りになんていわれてるかしってんのか? 『東京ばか奈』だぞ?」

「ちょっと、それどういう意味?」

「そのまんまだ! 馬鹿みたいにトーキョートーキョーいってる女だっつうの!」

「なによっ!」

 ついに二人が取っ組み合いを始めたので、仕方がなく翔真が仲裁に入る。

「はいはい、二人ともストップ。それともこれから闘牛場のリングに行く?」

「それも悪くねえな。いつか桃華とは決着つけなきゃと思ってんだ」

「それ、こっちのセリフなんだけど」


 バチバチと火花を散らして睨みあう二人に翔真は深いため息をつき、この事態を引き起こし、ハラハラとしている若葉をちらりと見遣った。


「リキと桃華はなんだよ。リキの母親と桃華の母親がいとこで、小さいときから桃華はよくリキの家に遊びに来ていたんだ。それで、リキと一緒に遊んでたおれとも幼馴染みなんだよ」

「そうだったんだ」

「小さいときからリキの家の牛と触れあっていたから、街っ子の女子の中では珍しく牛に詳しいし、闘牛も好きなんだ」


 話題が闘牛のことになったので、力太郎が目の色を変えた。


「もともと、島で闘牛が盛んだったのは、北部の一ノ瀬町だったんだ。あそこは自然の浜辺が多くて、町内には野外の闘牛場が三つもあった。連盟もそこでしょっちゅう闘牛大会を開催していた。ところが七年前、三津間に巨大な闘牛施設『三津間コロセウム』ができると、闘牛大会はだいたい三津間で行われるようになった。おまけに、ちゃんとした施設ができたことで、島外からの観光客なんかも呼び込むいいネタになったんだよ」

「でも、一ノ瀬の人にとってみたら、それが面白くないわけ。昔から、この島の闘牛文化は一ノ瀬が支えてきた自負があるから。それをコロセウムなんかをつくって三津間が横取りしたって思ってる。だから、三津間町長の娘ってだけで、私まで一ノ瀬の町民から白い目で見られてるのよ」

「そんな、別に桃華ちゃんが悪いことをしたわけじゃないのに……」

「若葉のいた東京じゃ、ありえないことかもだけど、この狭い世界のなかじゃそれがあたり前なの。どこそこの誰っていう肩書が、勝手にくっついてくる。本人の望む望まないはお構いなしにね」


 桃華が手のひらを空にむけてやれやれと首を振った。


「でも、もう慣れた。それにあと二年だもん。二年後には私は島を出る。島を出て東京に行けば、こんな思いはしなくて済むの」

「それでモモは都会の人に馬鹿にされたくなくて、東京のことを勉強しとるんだぜ。東京ばか奈って呼ばれる所以だ」

 力太郎が意地悪く歯をみせて笑った。

「田舎者ってバレることのほうが、町長の娘ってことより、よっぽど自尊心を傷つけられるわ」

「だったら、都会に出なきゃいいのに?」


 若葉が不思議そうに桃華の顔をみた。


「それでも、私は東京に行く。絶対に」


 揺らぎない決意のこもった目で、桃華は空を見上げた。背後の防風林のどこかで、夏を告げるアカショウビンの「キョロロロー」という澄んださえずりが響いていた。

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