第6話 奇襲

 三人が観戦を始めてから一時間。いよいよ、ももタロショーグンXの取り組みが始まった。


「次に登場するのは、二見灘のももタロショーグンX。これまで五連勝と華々しい活躍で全島大会に登場です。迎え撃つのはこれまで十勝負けなし、一ノ瀬の烈豪鬼虎! ももタロショーグンXは今回、志願の取り組みという注目の一番です!」


 場内アナウンスと同時に、先に入場ゲートを駆け抜けたのは力太郎とももタロだった。前の取り組みの熱気が残るリングの中央まで進むと、ももタロは首を低くして、地面に顔をこすりつけた。十分に気合が入っている証拠だ。

 力太郎はその首筋を何度もさすっている。ここから見ているだけでもその緊張感が伝わってくる。

 やがて、入場口の方が騒がしくなる。島太鼓チヂンとラッパの音に導かれるように、「ワイド、ワイド」と声をあげ、男たちが塩を撒きながら、入場ゲートをくぐってリングの中央に進み出る。

 先頭はド派手な金色の法被に地下足袋姿の肥後義将、その背後には同じ法被を着る六人の勢子がいた。鼻綱を引くのは、その中で一番若い男だ。ひょろっとして背が高く、闘牛の勢子よりも、バスケットボール選手でもしていたほうがしっくりくる感じだ。

 義将は力太郎を睥睨しながら、何かいっている。多分、翔真のときと同じで、ガキが闘牛ごっこかとかなんとか、そんな挑発をしているに違いない。しかし、力太郎はニヤリと口許を吊り上げ義将を指さした。途端に義将の顔が憤怒の色に染まり、大声で叫んだ。


「クソガキが。調子に乗るなよ。おい、お前ら、ガキに負けたら承知せんぞ!」


 義将は勢子たちを怒鳴りつけると、のそのそとリングの柵の外へと歩み去った。やはり勢子はしないらしい。


 翔真は烈豪鬼虎の顔をじっと見る。春疾風を、そして他の有望牛たちをことごとく廃牛にしてきた殺し屋。

 その漆黒の沼のような瞳には、勝負への興奮も、異様な熱気への怯えも、そして勢子への信頼も、何ひとつとして浮かんではいなかった。やはり、その様子はどこか異常なものがある。

 二頭の牛が数十センチの距離で立ち会う。

先に力太郎が平手でももタロの体を強く打って叫んだ。


「やれぇ! ももタロッ!」


 鼻綱を解かれたももタロは、跳躍するように間合いを詰めると、大きく湾曲した角で鬼虎の角を外掛けにして抑え込む。鬼虎はそれをまともに受け、首を地面に押し付けられた。


「『もたせ』だ!」


 翔真の後方で誰かが叫んだ。

 もたせは、角をテコのように使い、相手の顔を地面に押し付け、呼吸を封じ体力を奪う技だ。

 持久戦に備え、鬼虎が前脚を折って姿勢を低くした瞬間、ももタロは外掛けにした角をはずし、すぐさま鬼虎のこめかみに昨日研いだばかりの鋭い角を突き立てた。


「甘いぜ鬼虎! 行け、ももタロ! 特訓の成果を見せろ!」


 平手でバシィンと空気が弾ける音を響かせて、力太郎が叫ぶ。ももタロはこめかみに突き立てた反対の角で眉間を突くと、ふたたび相手の横面を狙う割りを繰り出す。

 鮮やかな連続技に会場が大いに沸く。興奮した実況が、マイクにむかって叫んだ。


「ももタロショーグンX、速攻からの突き技の応酬! これは強烈だぁッ!」


 作戦通りだ! 翔真も思わず立ち上がって「仕留めろ! ももタロ!」と叫んでいた。

 試合が長引けば鬼虎に分がある。開始早々、今この瞬間こそがももタロにとっての勝負どきだ。

 そして、四度目の突きが鬼虎に決まったとき、鬼虎はついにももタロから離れるように、リングの中央に向かって走り出した。

 それを見て力太郎がこぶしを突き上げた。


「力太郎! まだだ!」


 翔真がそう叫んだときには、すでに鬼虎はリングの中央で、くるりと体を反転させ、ミサイルのような加速をつけて、ももタロめがけて突進していた。

 相手の遁走に勝利を確信していたももタロは、攻撃に備える暇もなく、鬼虎の角を脇腹にもろに受け、そのまま三メートルほど押し込まれる。アウガンと呼ばれる悲鳴にも似た鳴き声をあげて、ももタロは柵へと逃げるように走った。

 肥後陣営から勝鬨の声があがり、ラッパの音が鳴り響いた。


「おい、どっちだ?」

「先に逃げたのは鬼虎じゃなかったか?」

「あいつ、負けたふりをして奇襲しやがったぞ!」


 ざわつく場内を切り裂くように、スピーカーからアナウンスが流れる。


「ただ今の取り組みの結果についてお知らせします。ももタロショーグンXによる攻撃後の烈豪鬼虎は、戦意喪失をしておらず体勢を立て直すために距離をとったものと判断します。よって、この取り組みは烈豪鬼虎の勝ちとします」


 ドンドンドンと島太鼓が滅多打ちにされ、あちらこちらでピィッと甲高い指笛が鳴る。リング内では肥後義将が両手を挙げて手舞い足舞いをしながら、その周りに肥後の親戚連中も集まって、お祭り騒ぎになっていた。

 勝利に酔いしれる彼らの脇を、ももタロの鼻綱を引きながら、いかにもそれが敗者に定められた宿命であるかのように、力太郎は肩を落とし静かにリングを退場していった。

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