第31話 秘密

「は? 何いってるの?」


 桃華は眉間にしわを寄せ、声を裏返す。虎徹は呆れとも笑いともつかない息をついて、繰り返した。


「だーかーらー。先輩の親父が、他所で子ども作ってるっつってんの。ちゃんと証拠もある。DNA鑑定って知ってるだろ? 鑑定には当然、父親の検体も必要になるけど、最近は検査の精度が上がってきてるから、使用済みの紙コップなんかでも全然OKなわけ。町長はよく肥後家の会合に来ているから、町長が使った紙コップなんて簡単に手に入るってわけだ」

「ふん。馬鹿馬鹿しい。だいたい、なんでそんなこと、肥後君が知ってるの? はったりならもっとうまい嘘を考えなさいよ」

「はは、嘘じゃないって。先輩だって知ってるでしょ? オレの一族が全国規模の病院経営してるってこと。その気になりゃ、データベースから患者のデータを引っこ抜くぐらいわけないんだよ。この前、ちょっとした噂を小耳にはさんでね。興味が湧いたもんだから調べてみたら、そういう事実が見つかったんだ。どう、このことを三津間の町民たちが知ったら面白くね? クリーンで誠実なイメージの町長が、実はよそで子どもつくって、しかも、その子どもを公費で養っているとしたらどう? 大問題だと思わね?」

「馬鹿馬鹿しい。不貞はともかく、婚外子を公費で養育なんてできないわ。そんな予算、取りようがないもの」

「そうかな? なんで町長があんな事件があったにも関わらず、それでも離島留学プログラムの参画を取りやめなかったのか。二年の空白のあとに突如、留学生を受け入れたのか、気にならない?」


 ニタリと虎徹は口許を歪めた。その狂気じみた笑みに桃華の背筋が凍り付いた。


「……君、私に何を求めてるの?」

「別に、悪いことをしようってんじゃないっすよ。ただ、オレにちょっとばかりメリットが欲しいってだけっすから」

「パパを脅迫するつもり? そんなことをしたら、肥後君のほうが犯罪者よ」


 途端におどけた表情を作って、虎徹は手のひらを振ってみせる。


「そんな怖いことするつもりないっすよ。龍田先輩ってさ、東京に行きたいんでしょ。デザインの勉強でしたっけ? でもそれ、建前っすよね? だって、こっちじゃ売ってない雑誌をわざわざ取り寄せて、読者モデルとして活動してるんでしょ?」

「……!?」


 驚愕に桃華は目を見開いた。どうして誰にも秘密にしていたことが、この男にばれてしまっているのか。虎徹は桃華の反応を楽しむように、品の悪い薄笑いを浮かべたまま、鞄から一冊の雑誌を取り出した。それは、桃華が毎月購読しているファッション雑誌だった。


「女子ってメイクを変えるだけで案外わからないものだよね。その上、ウィッグまで使ってたら、たとえ知り合いだったとしても気づかないかもしれない。でも、オレは気付いた」


 虎徹が開いたページにはカメラ目線の女性モデルのバストショットとコーディネイト全体を写したフルショットが掲載されている。モデルの名前はTOKA、年齢は十七歳とあった。記事のキャッチには、大きく「今JK大注目の人気インスタグラマー、初登場!」とある。


「先輩のスマホを見れば一瞬だけど、このTOKAって読者モデル、先輩っすよね。まさかウチの高校にこんな売れっ子インスタグラマーがいるなんてなぁ。ただ、島のビーチを背景にするってのはグラビアぽくて悪くないけど、何枚も島の景色が写ってりゃ、この島の誰かだってすぐバレちゃうっすよ」

「それを知ったからなんだっていうの?」

「そう怖い顔すんなよ、悪い話をするわけじゃないんだから。先輩、東京でモデルやるのが夢なんでしょ? だったら、コネって大事だと思わない? さっきもいったけど、オレの爺ちゃんは医療法人奥島会の理事長だ。政財界とのつながりも深い。この雑誌の出版元の文光出版の社長とも知り合いだから、こうしてひと足早く入手できるってわけ。それに、先輩がインスタで好きだって公言してるモデルが専属契約してる事務所への伝手もある。オレからじいちゃんにお願いすれば、モデルになる程度のこと、簡単なんだよ」

「あっそ。でもいらない。私は別にコネでモデルになりたいんじゃない。私が好きなものを共感してくれる人を増やしていきたいだけなの。肥後君とは根本的に考えが違うわ」


 桃華は虎徹の提案をばっさりと却下した。すると虎徹は余計に愉快そうに声をあげて「あははは」と笑った。

 しかし、すぐに目つきを鋭くして、桃華の頬を片手でつかむと、無理矢理キスを迫るように顔を近づけ、小声で警告するように低い声を出す。


「勘違いするな。いいか、オレは町長にとって都合の悪い真実を握ってる。町長を失職させるくらい、わけないくらいのネタだ。あんたは卒業してこの島さえ出られればいいと思ってるみたいだけど、今このタイミングで町長がスキャンダルで失職なんてしたら、東京どころじゃなくなるんだぜ? この島で町長の娘のあんたがどんな風に見られているか、知らないはずないだろ。その町長が不貞と不正に手を染めてるなんてレッテル貼られたら、簡単には消えないと思うけど?」

「……君、私にどうしてほしいの?」


 虎徹はにんまりと頰を緩め、手を離した。ついさっきとは別人のように軽薄な声色に戻っている。


「簡単っすよ。とりあえず、オレが先輩をプロデュースして、先輩には東京で売れっ子モデルになってもらうんだ。で、当然プロデューサーのオレとは付き合ってもらわないとねー。高校生プロデューサー、売れっ子モデルと熱愛! みたいな。面白いっしょ?」

「馬鹿みたい。スマホゲームじゃあるまいし。だいたい、そんな回りくどいことするなら、お爺さんのコネで東京の売れっ子モデル紹介してもらった方が早いんじゃない?」

「わかってないなぁ、先輩。自分で育てるからいいんじゃないっすか。牛もオンナも。オレの思い通りに育てるのが」


 怖気がたつというのを、桃華は初めて経験した。背中から首筋、胸、そして指先へと小さな泡がざわっと浮き上がるような気色の悪い感触。怯えた表情を見せないように、それを無理やり抑え込み、必死に虎徹を睨みつけた。


「もちろん、オレのいう通りにすりゃあ町長の秘密は誰にもばらさない。オレだって自分のオンナが不正町長の娘なんてダセえのは嫌なんで。けど、オレと付き合うつもりがないってんなら、そんときは、あんたら一族はこの島で暮らしていけなくしてやる」


 その時、中央のリングから苦し気な牛の鳴き声が上がった。この島の闘牛士たちが『アウガン』と呼ぶ悲鳴にも似た声がコロセウムのドーム天井に反響する。すると、虎徹は珍しい余興でも見るかのように、リングにいる二頭の牛を指さして笑い声をあげた。


「見てみなよ。あいつはもうダメだ。まったくダセえ牛だぜ、鬼虎は」

「鬼虎!? 嘘でしょ?」


 桃華はリングに視線を送る。

 タッチュ―と呼ばれる昔話の鬼のようにまっすぐ上にむいた立派な角。

 それは春疾風の腹を貫き、稜真の脚を破壊した恐るべき槍。

 そこにいるのは烈豪鬼虎に間違いなかった。ただし、今や対戦相手の牛に片目を潰され、体中から血を流してリング内を逃げ回っている牛がだ。


「ひどい……なにもあんな深手を負わさなくても……」

「馬鹿いうな。負けた闘牛に価値はない。唯一の使い道は、強い牛がさらに強くなるための踏み台になることだけ。烈豪鬼虎は負けたんだ。しかも、テレビ取材のカメラの前で。あんな一族の恥さらしは、オレの雷神威虎らいじんたけとらの踏み台にしてやったんだよ。そうなることがあいつの闘牛としての宿命だ」


 またも鼻先がふれるほどに顔を近づけた虎徹が、暗い底なしの沼のように、深い闇を湛えた瞳で桃華をのぞき込んだ。


「オンナも同じだ。オレを輝かせられるオンナだけに価値がある。そうでないなら、オレの踏み台になる。先輩もよく考えたほうがいいっすよ」


 虎徹は心底愉快そうに高笑いをしながらひょいと柵をのりこえて、雷神威虎のもとに歩み寄った。勢子をしていた男どもが深々とお辞儀する。


「返事は今晩一杯まってやるよ。それじゃあ、また明日」


 虎徹は雷神威虎の鼻先に綱を通すと、悠々とした歩みでコロセウムを後にした。リングの端には、浅く呼吸を繰り返す烈豪鬼虎がうつろな目で横たわっていた。

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