第42話 告白
海沿いの開けた場所に建つ、白い五階階建ての奥島会病院は、この島にある建造物の中でも頭一つ分抜けて背が高く、その存在感そのものが肥後一族の権力を表しているかのように思えた。
病院に入ってすぐの総合案内で虎徹の見舞いであることを告げ、教えられた最上階の五階へエレベーターでのぼる。Pタイルが白く蛍光灯の光を返す無機質な廊下をすすみ、一番奥の病室の前で立ち止まる。
入り口のプレートには虎徹の名前だけ。どうやら個室のようだ。さすがは理事長の孫。特別待遇らしい。
ノックをしたが中から返事はなかった。構わずドアを開けると、ベッドの上でぼんやりと窓の外を眺めている虎徹の姿があった。
「骨折で済んでよかったわね」
見舞いの言葉というよりも、皮肉を込めた声で桃華がいった。
片足を失った稜真や、廃牛になった春疾風。そして、片目を潰された翔龍若力。もし運命の天秤があるとするなら、彼らが背負った運命と、虎徹の足の骨折など、到底釣り合うものではないだろう。
虎徹は無言のまま身じろぎもせず窓の外を眺めている。こちらをむく素振りすらない。
「リッキーとの約束だから、はっきりさせておかなきゃと思ってね。肥後くん、悪いけど私と別れて」
「……いいたいことは、それだけか」
「私ね、人から町長の娘っていわれるのが大嫌いなの。だってもしパパが選挙で負けたら、その瞬間、私は町長の娘じゃなくなる。でも私は存在してる。じゃあ、ここにいる私は何者? ってそう思っちゃう。肥後君はどう? 島一番の権力者の孫、奥島会病院の院長の息子って、楽しい?」
その言葉に反応した虎徹が、苦り切った表情を桃華にむけ、声を荒げた。
「当然だ! 肥後義虎の孫ってだけで、好き勝手にできる! みんながオレに気を遣う! オレの機嫌を損ねたら、爺ちゃんに何されるか、わかったもんじゃねえんだ! だから、みんなオレを……腫れ物に、触れるみたいに、扱うんだよ」
「ええ、そうよ。肥後君はまさに腫れ物なんだもの。触れて破裂でもさせてしまったら、自分が痛手を負う。それが嫌だから、結局みんな君を遠巻きに眺めてる。あの闘牛馬鹿を除いてね」
闘牛馬鹿とはもちろん、力太郎のことだ。あの男は、島一番の権力者の孫をやりこめたら、その後に自分がどうなるかなんてことを考えもしないで、ただただ、自分の気持ちにまっすぐに突っ走って、虎徹と真正面からぶつかり合ったのだ。それを馬鹿といわずに、何といえばいいのか、桃華にはわからなかった。
「でも、今回は君が火をつけたようなものなんだから、ちゃんと後始末までしてもらわなきゃ。今、私のパパが役場で会見を開いてる。マスコミはこぞってそっちに押しかけているけど、多分、大した情報は出ないわ。そうなったら、今度は間違いなく君の所に押しかけてくる。いっておくけど、マスコミの皆さんは遠慮なんてしてくれないわよ。よりセンセーショナルで、世間の注目を集められるネタを探すのに血眼になってるんだから」
「好きにさせればいい」
はぁ、と桃華はため息をついて、胸の前で腕を組んだ。
「肥後君はどうやってパパと若葉が親子だなんて知ったの?」
「……いっただろう。いま、DNA鑑定の精度は格段に上がってる。紙コップでも十分、検体として使える」
「その検体はどうやって手に入れたの?」
「お前ら、牛小屋を部室代わりにしていただろ……」
「もしかして牛舎のゴミ箱漁ったの? うわ、キモ」
桃華はしかめっ面を作った。たしかに、空調のない牛舎では、みんな水分補給のために二リットルのペットボトルのお茶を紙コップに注いで飲んでいた。コップには判別のために、名前を書いてあったから、若葉が使った後のコップを入手するのは簡単だ。
「でも、パパの分はどうやって手に入れたの? いくら集会をしていたからといっても、部室のコップみたいに名前を書いてあったりはしないでしょう?」
「会合ではあらかじめ座る場所が決まっている。その席から割り箸でも持ち帰ればいい」
ふぅん、と桃華は短く息をついてほんの少しだけ考えるそぶりを見せる。
「つまり、若葉のDNAと一致したのは、あくまで会合に出席していた誰かってことよね。たしかに、結婚前のパパが東京にいたときに、ママ以外の女と付き合ってて、その女がしばらくたってから、子供を産んだってパパにいってきたことは事実だけど、だからといって、肥後君が持ち帰ったDNA鑑定ではパパが父親とは特定できないんじゃない? その女、東京の奥島会病院の看護師だったらしいし」
虎徹の目に驚愕の色が浮かんだ。
もう、彼は気づいているだろう。虎徹の父親である義将は、かつて東京の奥島会病院で研修医として働いていた。つまり、若葉の母親と接触する機会は彼にもあったのだ。
「自分のつけた火がどう燃えていくのか、ただ見ていたいだけならそうしたらいいわ。こんなちっぽけな島の火事なんて、どうせすぐに消えちゃうんだから。だけど、覚悟を決めたら人って強いものなのよ。ショーマも、リッキーも、若葉も、もちろん私もパパも。みんなが覚悟を決めた。だから、肥後君に勝ったのよ。負けっぱなしが悔しいなら、肥後君も覚悟決めてみせなさいよ」
そう告げると桃華はくるりと回れ右をして病室を出た。肥後の声が追いかけてくることもなかった。
あれほど手を焼かされた虎徹が、たった一言であんな顔をしたのを思い出し、口許が緩んで、知らず知らずのうちに口角があがった。
♉
待ち合わせ場所にしていた三津間港で、桃華はいつものように突堤から足を投げ出して座っていた。隣には若葉もいる。
ターミナルのほうから駆け寄ってくる翔真たちの姿を認めて、桃華はスカートについた砂をぱっと払って立ち上がった。
「どうだった?」
そうたずねると、力太郎が肩をすぼめた。
「たぶん、あれ以上町長を責めたところで、何も出ないんじゃないかと思うぜ。親子関係が立証されたとしたら、認知するっていわれたらそれ以上どうしようもないし、記者たちも、肩透かしを食らったって感じだったな」
「まあ、昔のパパのヤンチャが原因とはいえ、結婚前の元カノとの話ってだけじゃ、センセーショナルな記事にもならないだろうし。元カノだって、有名な芸能人ならともかく、ただの一般人だしね」
「それにしても、桃華はよくあの場であんな風にいい切れたもんだね。大したもんだよ」
闘牛大会での桃華の堂々たる弁舌に、翔真は呆れとも感心ともつかない息をつく。桃華は微笑みを浮かべ満更でもなさそうにいった。
「そう? でも、あれ実のところは打ち合わせ済みだったのよ。ほら、テスト前に休んだときあったでしょ?」
「そういやあったな。おかげでまた俺赤点ギリギリだったぜ?」
桃華がぎろりと睨むと、力太郎は銃口をむけられたみたいに両手を挙げた。
「あのときにパパとママに真正面からそのことをきいたの。ある人から、パパに隠し子がいるって噂を聞いたってね。軽く修羅場になりかけたけど、町長杯を冠する大会に当然パパは出席するでしょ。もし肥後君が負けたら、少なくともそのままおとなしく引き下がるなんてことないわ。彼は自分が握ってる秘密を公にするはずだし、そうなったら家の中での修羅場なんか比べ物にならないわけだし。だから、肥後君が会場でそのことを暴露したとして、どうすればその場を収められるかを考えた。
で、結局、一番いいのは『無視すること』だってなったの。けれど、パパがあの場で『無視しましょう』っていったところで、周りは『絶対にやましいことがあるからだ』って思うでしょ。だから私が『町長から説明させるから、とりあえず無視しない?』って提案したってわけ」
「だから桃華ちゃんがあんなマイクパフォーマンスをしたのね。町長の娘だけど、桃華ちゃんに落ち度があるわけじゃない。その桃華ちゃんが毅然と町長から説明させるっていえば、観客たちは闘牛大会と町長のスキャンダル、あの場でどちらを取るのか天秤にかけざるを得なかった」
「まあ、普通なら町長の釈明は後回しだな」
腕組みする力太郎に、若葉が「それって普通なの」と苦笑いする。
「とにかく」と、桃華が輪の中から一歩進み出て、そして振りむきざまに「行きましょ」と三人にいう。
「行くって、どこにだよ?」
力太郎の問いに、桃華は真顔で答えた。
「東京よ」
「は? 何いってんだ。東京に憧れすぎてついに壊れたか?」
「馬鹿。違うわよ。別にパパと若葉のDNA鑑定なんてしなくたって、たった一人だけ真実を知っている人がいるでしょ」
「桃華ちゃん、それって……」
恐るおそる、若葉が口を開く。当然といったように桃華はいう。
「若葉の母親にきけば全て解決でしょ」
桃華は今から飛行機で東京にむかい、若葉の母親の自宅に突撃すると息巻いて歩き出した。
若葉は呆れを通り越して、諦めたようにうなずき、桃華についてきた。
混乱と苛立ちとで、頭を掻きながらその後に続いた力太郎が、振り返って翔真を呼んだ。
「おい、翔真。とりあえず行くぞ!」
しかし翔真は返事もせず、むっつりと拗ねたように下唇を噛んで俯いたままでいた。
「どうしたんだよ、翔真」
じれったそうに力太郎が声を張り上げる。隣で若葉が少しだけ気に懸けるように、力太郎のシャツの袖口を引いた。
「あの、多分だけど……鶴野くんは桃華ちゃんを助けるためだけに、毎日、過酷な闘牛のトレーニングを必死にしてきたのに……でも、実は桃華ちゃんがそこまで考えてたって知ったら、自分はなんのためにあんなに頑張ったのかって、もしわたしが鶴野くんの立場だったら、きっとそんなふうに悔しい気持ちになると思うから……」
そういわれて、力太郎はかける言葉が見つからなかったのか、ただ、心配そうな眼差しを翔真に送った。
「二人とも、先に行ってて。翔真を連れてすぐ追いつくから」
桃華は二人にそう告げると、堤防の上を堂々とした足取りで、翔真に歩み寄った。
穏やかな波が揺れる音。肌にまとわりつく湿り気を帯びた潮風。
歌うようなイソヒヨドリのさえずり。
いつも当たり前にあるこの島の音を背景にして、桃華は翔真から体一つ分離れて立つ。長い髪がふわりと風に舞った。
「いっておくけど、私は信じてたわよ。ショーマなら絶対に勝つって。だからこそ、私だって絶対に負けないって、そう思えたんだから。私に覚悟をくれたのは、ショーマよ」
桃華の言葉に、翔真はゆっくりと顔をあげる。
「……ありがとうね」
これまでに誰にも見せたことがない優しい笑みを湛えて、翔真の頬に顔を寄せ、そっと唇を押し当てた。
突然のキスに、ぎょっとしたように翔真が桃華を見る。
桃華は日だまりの中の猫みたいに、ゆるりと目を三日月に曲げて、翔真にだけ聞こえるほどの声で囁いた。
「大好きよ、ショーマ」
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