第18話 レンズの魔力

 取材班のワゴン車に乗って翔真は自宅に向かっていた。住所が三津間から二見灘に代わると伝えると、ディレクターは問題ないといってくれた。

 自転車なら三十分はかかる帰り道も、車なら十分とかからなかった。ちなみに自転車は三津間港に置いてきた。どうせこのあと牛を連れて学校まで戻るのだ。帰りの足があるに越したことはない。

 自宅に到着すると、翔真はさっそく学校から連れ帰ってきていた牛をテレビカメラの前まで連れてきた。その圧倒的な存在感に、ディレクターから「おおー」と驚嘆の声がこぼれた。


「これは、翔真君が飼っている牛なの?」

「いえ、一時的に預かってるんです。こいつは闘牛用の牛で、今六歳」

「闘牛って、スペインとかでやってるやつ?」

「いえ。あれとは全く違って……」


 翔真が説明をしようとしたとき、「翔真ぁ!」とよく通る大きな声で名前を呼ばれ、その場にいた全員が思わず声のしたほうに振り返った。

 そこには、もう一頭の真っ黒な巨体を引き連れた力太郎がいた。その隣には若葉もいた。

 ディレクターもさすがに「ええっ?」と目をまんまるにして二頭の闘牛を交互に見遣る。


「座間さんも知念さんもオーケーだって。さすがに怪我は勘弁してくれっていわれたけど、もともと知念さんも体調を見て、ある程度トレーニングできる状態にしてから引き渡すつもりだったらしいから、馴らしにはちょうどいいだろうって」

 ディレクターが会話に割って入る。

「彼は?」

「ああ、おれの幼馴染の力太郎。連れてる牛は、彼が飼っている牛。今からこの二頭の牛を戦わせます。それがこの島の闘牛」


 へぇー、とディレクターが嘆息する。


「それはそうと、場所はどうする? さすがに闘牛場までは遠いぜ。今日は輸送車もないし」

「場所は裏の空き地で充分だよ。別に本気で戦わせるわけじゃないし」

 そういうと翔真と力太郎はそれぞれ牛の鼻綱を引いて歩き出す。翔真の隣には桃華が、力太郎の隣には若葉が自然と並び、カメラを構えるディレクターが四人を追いこして、後ろ歩きでカメラをむけた。


「今からこの二頭の牛が、角をつき合わせて戦います。本番じゃないんで、鼻綱はつないだままだし、場所も闘牛場じゃないんですけど、闘牛の迫力はわかってもらえると思います」

「ところで、この牛には名前はあるの?」

 ディレクターがきくと、力太郎が答えた。

「俺が引いてる牛が『ももタロショーグンX』って名前で、翔真が引いている牛は……」

 力太郎がちら、と翔真を見た。結局、名前のことはまだ棚上げになっていたのだ。すると、翔真が力太郎の言葉を引き継ぐようにいった。

「こいつの名前は『翔龍しょうりゅう若力わかりき』です」


    ♉


「やっと港が見えてきたな」


 たかだか数キロの道のりでも、重さ一トン近くもある牛を引き連れながらだから、時間も体力もかかる。さすがに力太郎も翔真も疲れきった顔をしていた。日が長くなったとはいえ、これからまた自転車に乗って、もと来た道を引き返すと思うと、ずんと気が重くなった。


「なあ、リキ。これ、試験のたびにやってたんじゃ、こっちも大変だし先生に最低限の牛の世話くらいは許可してもらうように、ちゃんとお願いしておいてよ」

「そうだな。それよりも翔真、お前の自転車は?」

「三津間港に置いてる」

「じゃあ、交差点まででいいぞ。こいつは俺が牛舎まで連れて行くから」

「悪いな。えっと、若葉は……リキの自転車押してるか。じゃあ、学校まで付き添いよろしく頼むね」

「うん。わかった」


 静かに若葉がうなずく。翔真はちらりと桃華を見た。そういえば、桃華との話が中途半端なままだった。もっとも、翔真はもうあの話の返事を桃華に確認する必要はなくなっていたけれど。


 遡ること一時間半前。

 力太郎のももタロショーグンXと、生物部の翔龍若力(とその場で翔真が名付けた)の闘牛の稽古の様子を収録した取材スタッフは、闘牛に興味をもったらしく、力太郎から今週の土日に三津間コロセウムで有志団体主催の闘牛大会があるときいて、それまで滞在をすると決めたようだった。

 そのとき、スタッフが力太郎に「この牛たちは出場しないの?」とたずねてきた。

 力太郎は、少し寂し気な表情で「こいつ、実は土曜日にほかの牛主さんに譲渡される予定なんですよ」と伝えると、その様子も取材したいと申し出てきて、力太郎はそれを了承した。

 はじめはその譲渡に立ち会うことに消極的だった桃華だったが、ディレクターに「今日と同じメンバーのほうが、構成上もよくなると思うし、それに、彼女がいると、てきにも華があるから」といわれて、気を良くしたのか、譲渡の場に立ち会うことを約束したのだ。


 交差点のところで翔真は力太郎たちと別れた。桃華の自宅は高校とは反対方向だったので、ここで解散の形になった。

 三津間港に置きっぱなしにしていた自転車に乗って、交差点まで戻ってきたとき、桃華はまだ交差点にいた。


「桃華。どうしたの?」


 ブレーキ音を鳴らして桃華のそばに自転車を停める。彼女は顔を伏せたまま、ぽつりとつぶやくようにいった。


「牛の名前。あれでよかったの?」

「あれって、翔龍若力のこと?」

 桃華がこくんとうなずいた。翔龍若力の四文字は翔真、力太郎、若葉の名前から一文字、桃華の苗字である龍田からも一文字とったというのが歴然だった。


「いいも悪いも。なにか問題があった? 語呂もいいし、力強そうだし、なにより字面がかっこいいし、おれは最高の名前だと思うけど」

「でも……」桃華は迷ったようにいい淀む。ほんの数秒の間をおいて、「『フライングドラゴン☆ヤングパワー』とかのほうが良かったんじゃない?」

「桃華、何でも横文字にすりゃかっこよくなるわけじゃないよ……」

 

 翔真は乾いた笑い声を返す。やがて静謐な空気が二人の間に横たわる。

 どんよりと曇った空から、少しずつ光が失われていく。家に帰りつくころには、真っ暗になっているだろう。


「桃華」

 翔真の呼びかけに、桃華は顔をあげた。いつも勝ち気でつんとした目許が、今日はどこか寂しげに見える。

「あのさ、ありがとう」

「なにが?」

「譲渡に立ち会ってくれること。やっぱり、リキにとっては、ももタロは思い入れの強い牛なんだ。手放すのに、なんの感慨もないはずがない。そのことを一番わかってあげられるのは、やっぱり一緒に育てていた桃華だから」

「テレビが出てくれっていうから仕方ないじゃない」


 桃華のいい分に翔真はくすりと笑う。こんな調子でずっとやってきたんだから、いまさら違うふうにされても、翔真だって困惑してしまう。桃華はいつもの桃華がいい。

 翔真は唇ときゅっと引き締めると、真剣なまなざしで桃華の顔をみた。


「昼間に『もし、好きな人のそばに、その人を好きでない人がいつも一緒にいたらどう思うか』ってきいただろ。おれの答えは、例えそうだったとしても、やっぱりその好きな人と一緒にいる時間を少しでも多くしたい。同じものを一緒に見たい、いろんな思いを共有したい。きっと、そう思う。だから、桃華、おれたち四人は、今までみたいに一緒にいようよ」


 交差点の信号が青に変わった。青になっても、渡る人も車もない。これが本当に島のメインストリートでいいのだろうかというほど、長閑な時間が流れている。

 桃華はふぅと短く息をつく。長いまつ毛がかすかに伏せた。かとおもえば、再び瞳にいつもの強い光が戻り、まっすぐに翔真を貫いた。


「牛と一緒にいすぎて、ショーマまで草食動物になっちゃったんじゃないの?」

「は?」と翔真は素っ頓狂な声をあげる。


 桃華はバレリーナのようにくるりとターンをすると、点滅を始めた青信号の横断歩道を軽やかに渡りきる。むこう側についたときには、信号は赤に変わっていた。反対側の歩道でひらりとプリーツスカートを揺らしながら、もう一度回れ右をして両手でメガホンを作った。


「ショーマ、また明日ね!」


 いつもどおり、いつもの別れ際の挨拶。けれど、翔真はその桃華の声色に、ここ最近の彼女の中の迷いのようなものがすっと溶けていくように感じられた。

 たったそれだけのことで、帰りの坂道を漕ぐペダルが軽くなった。


     ♉


 中間テストが終わって、通常の授業が始まったので、翔真は翔龍若力のために、朝日が昇るころに家を出た。野鳥のさえずりがあちらこちらから降り注ぐ中を、全力でペダルを漕ぐ。早朝のひやりとした空気が気持ちいい。

 裏門のナンバーロックを解除して校内に入り、駐輪場に自転車を停める。牛舎の方から「遅せぇぞ、翔真!」と力太郎のあらっぽい声が挨拶代わりに翔真を出迎えた。


「ごめん。テスト明けで体がまだ慣れてないみたいで」

 適当に言い訳をしつつ牛舎を覗くと、そこには若葉と桃華の姿があった。

「や。ショーマおはよう」

「桃華! もしかして、入部するのか⁉」

「さあ」

 桃華は悪戯っぽく目をくいと曲げる。

「さあって、それでいいのかよ」

「別に、生物部に入らなきゃ、牛舎を覗いちゃダメとは決まってないもんね」


 若葉に同意を求めるように首をくいっと傾げる。若葉はちょっと困ったように眉を下げながら、「そう、と思う」と曖昧にうなずく。


「ま、細かいことはいいじゃねえか。なあ、翔龍若力!」


 力太郎が牛の体をブラッシングしながら、おおらかに笑う。翔龍若力も低く、それでいてどこかのんびりとした「ムゥウー」という鳴き声をあげた。


「ほら、ショーマ。この子がお腹すいたってさ!」

「わかったよ桃華。えっと、それじゃあ若葉、手伝って」

「うん」


 翔真と若葉は手押し車を押しながら、餌となる草を刈るために、牛舎の裏山にむかった。斜面を登る両足が軽やかに弾んでいた。

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