第25話 負けねえ
「そうか、ダメだったか」
「すまん、トモ兄。まさか百人分の署名を集めてこいといわれるとは思わなかった」
「力太郎のせいじゃない。それに、たった二日でよくここまでやってくれた。それだけでも素直にすごいって」
力太郎を労うように友樹がいうが、それでもまだ納得がいかない力太郎は首を振った。
「いや、結果が出なきゃ意味ない。闘牛もそうだ。いくらトレーニングの調子が良くても、本番で勝てないんじゃだめなんだ」
「でも北野先生は来月でも再来月でも、いつでも話を聞くといってくれたんだろ?」
「ダメなんだよ。来月じゃ」
「どうして?」
友樹が首を傾げる。
「だって、このままだとトモ兄は来月のコンクールで引退だろ? それまでに話をまとめないと、引退してからじゃ、トモ兄は『部員として』参加できないじゃねえか」
力太郎が呆れたようにいうと、友樹は目を丸くしていった。
「それだけの理由で、明日の会議にかけてもらうつもりだったのか?」
「それだけって、最大の理由じゃねえか。それに、まだ諦めてねえよ、俺は。明日の夕方までに、絶対に残り八十人の署名を集めてやる。俺は負けねえ、勝つまで諦めねえ」
息巻いてそう宣言したものの、その日の下校時刻までに力太郎のこの企画に賛同してくれたのは、クラスメイトの男子が二人だけ。まさに焼け石に水でしかなかった。
署名集めに躍起になっていたため、若力の世話とトレーニングを翔真と若葉に任せきりにしていた力太郎は、帰る直前になってようやく牛舎の二人のところに戻った。
戻るなり、結果を告げると、二人とも残念な表情を作ったものの、まだ諦めていないという力太郎の意思を尊重して、彼にもう一日、署名集めのための時間を与えてくれた。
「若力のこと、任せきりにして悪いな。せめてもう少し、部員がいれば交代で何とかなるのにな」
「仕方ないよ。それよりもそろそろ帰らないとな」
三人は片付けをすませると、牛舎を後にする。駐輪場へむかう途中の豚舎では、農芸科の三年生が飼育している豚たちを豚舎へと追いやっているところだった。
「そういえば、力太郎たちは農芸科なのに豚の世話しなくていいのか?」
「ああ、今は米作り中だしな。けど、夏休みが終わったら本格的に実習が始まるんだ。牛の面倒をみながら豚の世話もすることになると思うと、気が重いぜ」
嘆息しながら力太郎の横で、若葉が声を弾ませた。
「でも、凄いよね。奥乃島ポークって東京だと鹿児島の黒豚と並ぶブランド豚なんだよ。それが、この島の高校生たちが育てていたなんて、わたし全然知らなかった」
「もちろん、奥乃島ポークすべてが高校で育ててるわけじゃないけれど、ここでノウハウを学んで実家の養豚業を継ぐ奴は多いよ。仕事の乏しいこの島では、成功している産業の一つかもな……」
そういいながら、豚舎の脇を通り抜けようとした力太郎がはたと足を止めた。実習の三年生の姿をじっと見つめ、ぽつりと問いかけるようにいった。
「翔真、夏の闘牛大会。島外からの観光客ってどのくらいいた?」
「どうだろう。兄ちゃんにきけばはっきりとした数字はわかるかもしれないけれど、少なくとも数百人程度は観光客が来ると思う」
「そうか……だとすれば、いけるかもしれない」
振りむいた力太郎の眼差しにいつもの力強さが戻っていた。
「いけるかもって、闘牛大会参加のこと?」
「ああ、あと八十名分の署名。明日の昼までに集められるかもしれない!」
力太郎は駐輪場に停めていた自分のマウンテンバイクを、大げさなアクションで方向転換させると、体格に似合わない軽快な動作でサドルの上に飛び乗った。
「それじゃあ、ワッキー、また明日な! ほら、翔真も急げ!」
そういうや、ぽかんとする二人を置き去りにして力太郎は力いっぱい自転車のペダルを漕ぎだした。
♉
翌朝、力太郎は三年生の農芸科の教室の前にいた。その手には『闘牛大会で奥乃島ポークを宣伝しよう』と書かれたビラと、署名簿の挟まったバインダー。
力太郎が集めようとしているのは、農芸科の生徒たちの署名だった。力太郎が考えついたのは、農芸科で飼育している奥乃島ポークを闘牛大会の会場で試食販売をすることだった。
奥乃島には闘牛観戦のために来島する観光客も多い。そこで、農協や三津間町の観光振興課が島外に赴き、躍起になってPRしている奥乃島ポークを、全国各地から来島した観光客に向けて宣伝できると考えたのだ。
もし闘牛場で奥乃島ポークがたくさん売れれば、今より飼育頭数も増やすことができ、農芸科の資金不足も解消できるかもしれない。
そこに目を付けた力太郎は、農芸科の生徒に片っ端から声を掛けていくことにしたのだ。自分のクラスはこっそり授業中に回覧すれば全員の署名は難なく集められるだろう。
残り四十名分の署名は現在飼育実習真っ最中の三年生にターゲットを絞り、登校してきた三年生を教室の前で待ち構えて、片っ端から署名させていった。
中には不審な目をむける者もいなかったわけではないが、多くは好意的に受け止めてくれ、昼休みが終わるころには三年生の農芸科の大半と、ついでに友樹に手伝ってもらい、彼の普通科の友人たちと合わせて、合計百名分の署名を集め終わった。
「マジかよ。力太郎、お前すげえな」
昼練習を終えた友樹が、教室の前で力太郎にクラスの署名簿を渡して感嘆の声をあげた。受け取った署名簿をめくりながら、内容を確認した力太郎は首を振る。
「違うぜ、トモ兄。俺はバインダー抱えて突っ立ってただけだ。本当にすげえのは、ワッキーだ。闘牛場が人の集まる場所だなんて簡単なこと、ワッキーにいわれるまで誰も気づけなかった。それに奥乃島ポークに価値があるってことも。人が集まればそれだけたくさんのチャンスがある。闘牛と吹奏楽と奥乃島ポークを繋いでくれたのは、ワッキーだ」
「そうか。だったら、その気持ちはちゃんとあの子に伝えろよ」
友樹にいわれた力太郎は、はっとした表情をうかべた。
「お前が彼女に対してそう思う気持ち、なにも隠すようなことじゃない。もし俺だったら、人から感謝されたらすげえ嬉しい。やってよかったって思う。でも、そういうのって、ちゃんと口にしなきゃな。仲間だから自然と伝わるなんてのは、傲慢ってもんだ」
「そうか。そうだよな……わかった。トモ兄、ありがとう」
「礼をいうのは俺の方だ。俺たちのためにここまで必死になってくれてありがとうな」
面とむかっていわれると、照れくさいような、むず痒いような気持ちになる。でも、今はまだゴールではない。力太郎は集まった百人もの署名を手に、職員室にむかった。もちろん、昨日のリベンジを果たすために。
♉
放課後、呼出メロディに続いて校内放送で北野が力太郎を職員室に呼び出した。普通科の教室で翔真たちと待機していた力太郎は、すっと立ち上がって「行ってくる」と硬い声でいった。
「頼んだよ、部長」
翔真に送り出されて力太郎は足早に職員室にむかった。
中で北野が力太郎を手招きして、校長室に隣接する応接室へと通してくれた。生徒指導室のパイプ椅子とは比べ物にならない、ふかふかのソファに座る。ずんと座面が沈み込んでどうも収まりが悪かった。
壁際に設置されたガラスケースの中には、いくつかのトロフィーが飾ってあった。陸上部が県予選会で好成績を残したもののようだ。
すぐに顧問の作と教頭の錦織が入ってきて、作は力太郎の隣に、錦織は正面の一人掛けソファに座った。
その隣のソファには北野が座るものだと思っていたら、彼女はソファセットのサイドにあるスツールに腰をかけた。空席になったソファをぼんやり見つめていると、応接室の奥の扉から、毛髪がすっかり抜け落ちたスーツ姿の男性が入ってきて、正面の空いたソファに腰かけた。
年に何度も顔を見ないその人物は、この学校の校長だった。
校長はソファに座るなり、力太郎が提出した要望書と百名分の署名を応接テーブルの上に広げた。
「君たちの要望書は読んだよ。簡単にいうと、君たちは闘牛大会に参加し、イベントをしたいということか」
「そうです」
余計なことをいわないように、きっぱりと自信を持って力太郎はいいきった。
「オープニングの演奏、農芸科の物産、生物部の闘牛パフォーマンス。これについて闘牛連盟の見解は?」
「理事の一人を通じて要望しています。今のところ、学校の許可があるならば、連盟としては受け入れたい、といってもらってます」
「そうか」
校長はそういうと、背もたれに体を預けるようにして、ソファに深く座りなおした。
「いくつかの条件は必要になるだろうが……」ひじ掛けに置いた校長の両手の指が、キーボードをたたくように細かく上下している。「この三件の要望についての参加を許可しよう。ただし、連盟からの謝礼金等の受け取りは固辞するように、各団体には通達を出す。それと、各団体とも必ず連盟と覚書を交わして、学校に提出するようにしなさい。教頭からは何かありますか」
「いえ。今日の職員会議において議題に上げますが、反対が出なければおおむね校長がおっしゃる通りでいいでしょう」
「わかりました。じゃあ、そういうことで」
そういうと校長は席を立って、校長室へと戻っていった。あまりにもあっけないというか、歯ごたえがなくて、むしろ力太郎の方が肩透かしを食らった気分になった。
応接室を出るとき、生徒指導教諭の北野が「繁田君」と声をかけた。腕組みをして立つ北野にお小言の一つでもくらうのだろうかと思ったら、彼女はあの鋭い目つきを幾分和らげていった。
「君なら百人の署名を集めてもう一度要望するだろうとは思ったけど、まさか一日で再交渉にくるとは思いもしなかった。今回は先生たちも君の情熱に負けた気がする。ただし、許可が出たからといって、なんでもかんでもオッケーになったと勘違いしないで。節度をもって行動することは忘れないように」
「わかりました。ありがとうございました!」
大声でお礼を述べて、力太郎は深々と頭を下げた。飛び跳ねて喜びたい気持ちを必死に抑えながら。
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