第17話 第一町人発見!?
かりかりとシャーペンが答案用紙の上を走る音だけがする異様な静けさで、教室の中は満たされていた。
テストの問題用紙とのにらめっこも、三連戦ともなるとさすがに集中力が途切れがちになる。翔真は無意識のうちに、前髪をごそごそと掻きむしっていた。
桃華は、あの日以来、翔真たちとろくに会話もしないままだった。当然、テスト勉強を教えてもらえることはなく、力太郎と若葉とで放課後に三津間図書館の自習室にこもって勉強してみたものの、勉強が苦手な者同士がいくら集まったところで、結局は傷のなめ合いにしかならなかった。
「はい、そこまで」
チャイムと同時に監督教諭が手をぱんぱんと叩いて立ち上がり、答案を回収する。出来不出来はとにかく、なんとかテストはすべて終わった。
解放感を噛みしめるように、翔真は大きく伸びをした。と、同時にこれまで無理やり心の内側に押し込めていた雑多な感情が、洪水のように押し寄せてきた。
窓際の席に座る桃華を見遣る。彼女は隣の席の女子となにやら談笑している。たぶん、いつもみたいにテレビのバラエティやドラマの話だろう。翔真は立ち上がると、つかつかと彼女の席まで歩み寄った。それに気づいて桃華が翔真の顔を見上げる。
「どうしたの、ショーマ」
「桃華、今日時間ある?」
「もしかして、今度は牛を学校に連れてくる手伝い?」
桃華は一人でおかしそうに笑う。翔真は真面目な顔で首を振った。
「ふぅん、まあ別にいいよ」
桃華の返事は拍子抜けしそうなほど、あっさりとしたものだった。
ホームルームが終わると、翔真は桃華を連れて三津間港に向かった。いつか、堤防に座って話をした場所だ。外は雨こそ降ってはいなかったが、抱えた雨粒をいつ落とすのかわからないほど、厚い鉛色の雲が水平線に覆いかぶさっていて、いつもなら鮮やかなライトブルーの三津間の海も、グレイにくすんでいる。
堤防の一番先には先客がいて、長い釣竿を竿受けにかけたまま、うつらうつらと居眠りをしている。釣果はイマイチのようだった。
桃華は堤防から足を投げ出して座ると、前置きもなしにきいた。
「それで、どうしたの?」
「別にどうもしないよ。ただ、なんとなく久しぶりだなと思って」
「えー、なに? もしかして、ショーマくん、私につれなくされて傷ついちゃった?」
「茶化さないでよ。桃華、無理してるでしょ。おれにはわかるよ」
「嘘よ。ショーマにはわからない」
重たく佇む水平線のむこう側を眺めているだけで、どうして、ということは口にしなかった。けれど、翔真にとって桃華の見解はどうでもよかった。
「……ももタロの譲渡がこの週末に行われる。リキはなんでもない風を装ってたけど、内心はすごく寂しいんだと思う。ずっと大切に育ててきた自分の牛がいなくなるんだ。おれは、その辛さをよく知ってる」
「なんで、それを私にいう必要があるの?」
「ももタロは、リキにとっては桃華との絆だった。あいつは桃華が喜ぶ顔が見たくて、ずっとももタロを世話してきたんだ。だから、せめて週末はリキのそばにいてやってほしい」
「別に私である必要はないんじゃない。例えば」
「若葉、とか?」
足元で、ざぶんと波が堤防に当たって砕ける音が繰り返される。桃華の沈黙はそう長くなかったはずだけれど、それでも翔真には、自分の鼓動が桃華にも伝わるんじゃないかと思えるほどの時間はあった。
やがて、鉄塊のように重いため息をついて、桃華がいった。
「だから、ショーマって女の子にモテないっていうの。ずばりいえばいいってもんじゃないのよ?」
「ごめん。でも、桃華が距離をとってるのって、リキからじゃなくて若葉からなんだって気づいて、それで……」
「ショーマだったらどう思う。自分の好きな子のそばに、別にその人を好きでもない人がいて親しげにしていたら。嫌じゃない?」
翔真に答えを求めるようないいかたをしておきながら、桃華は翔真が何かをいう前に立ち上がって、スカートのお尻についた砂利を両手でさっと払った。
翔真も慌てて立ち上がると、桃華を追う。
「待ってよ、桃華! おれは別に、リキや若葉のことをいいたいんじゃない。大切に育てた牛が人の手に渡るときの、あの瞬間の、悔しさとか情けなさとか、そういうのをおれはよく知ってる。立ち直るのにおれは三年もかかった」
「リキならきっと大丈夫よ。それに、もう新しい牛が学校にいるでしょ」
振り返ることなく桃華はいう。
「違う。あの牛はももタロじゃない! リキにとって、ももタロは桃華と育てたあの牛だけだ! 桃華だってわかるはずだ。ももタロだから、リキと一緒に育てられた。あの牛は桃華の牛でもあった、そうだろ!?」
突然、桃華が立ち止まったので、翔真は勢いでその背中にぶつかりそうになった。
「わっと」
「ショーマ、あれ!」
桃華が指さした先、港の広場に二人の男がいる。彼らが着る揃いのTシャツの背中には『日本全国ルーレットの旅』と大きくプリントされている。
「ヤバい! あれって、タドコロさんのルーレットの旅のロケじゃない!?」
目をらんらんと輝かせて桃華はショーマの肩をぐわんぐわん揺さぶる。ゆらゆらと揺れる視界のなかで、ディレクターらしき男性の手にカメラが握られているのが見えた。
日本全国ルーレットの旅といえば、タレントのタドコロ
郵便番号の各桁の数字をルーレット方式で抽選して、決定された地域に取材にいき、そこの名物や素敵な住民たちを紹介するという、素人いじりと町ブラ系の元祖ともいえる番組だ。この島でも受信できる数少ない民放局のバラエティ番組で、桃華もときどきクラスの友人と、出演しているタレントの話題で盛り上がっていた。
そのスタッフが二人に気づいたらしく、なにやら耳打ちをしてから翔真たちに近づいてきた。
「ヤバい! マジで! どうしよう!」
「どうしようって……べ、べつに普通のロケだろ」
そうはいったものの、翔真の心臓はさっき桃華と話していたときの倍ぐらいのスピードでどくんどくんと脈打っている。この島にテレビのロケが来るなんて、ほとんどなかったのだ。まして、全国ネットのバラエティ番組の撮影など、今までに一度も来たことがない。二人が近づいてくるにつれ、翔真の鼓動は大きく、強くなっていった。
「こんにちわー、この島の方ですか?」
ひょろりとしたディレクターらしき男性が、カメラのレンズをむけながら、翔真たちに声をかけた。声の感じはきさくで、嫌味がない。なんとなく、自分に話しかけられたような気がしたので、翔真が返事をする。
「はい。これって、もしかしてタドコロさんのルーレットの旅?」
「そうなんですよ。知ってます」
ディレクターが柔和な表情をむける。桃華が翔真の腕をつかみながら、「ヤバい、ヤバい」を連発している。テンションが一気に上がり切ったみたいで、さっきまでの物憂げな空気はどこかに消し飛んで、おまけに語彙力が崩壊してしまっている。
「学生さん?」
「高校生です。今日、中間テストが終わったところ」
「あ、テストだったんだー。ちなみに、感触はどうでした?」
「結構厳しめというか。こいつが勉強教えてくれるはずだったんだけど、すっぽかしをくらったので」
翔真が冗談交じりにいうと、カメラのレンズがすっと桃華にむいた。桃華は片手で口許を覆うようにして、反対の手でバシバシと翔真の肩を叩いた。余計なことをいうなという抗議らしい。
「もしかして、彼女さんですか?」
「いや、クラスメイトの幼馴染」
翔真が手を左右に振って否定する。桃華もその答えを肯定するようにこくこくとうなずく。
「私たち、第一町人!?」
桃華がきくと、「いえ、第一はさっき別のところで」と苦笑いとともに、質問が返ってきた。
「この町の面白いものを探してるんですけど、何かありますか?」
翔真と桃華が目を合わせた。娯楽もなにもないこの島で面白いもの、といわれて思いつくのは一つしかなった。
「……闘牛?」
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