第4話 姉と弟

 宇宙人が地球を侵略に木星からやってくる。

 白鷺乃音は21世紀末に訪れるという、その審判の日に備えるべきであると、人類に警鐘を鳴らし続けている。

 しかし、そんなことよりも由々しき事態が俺達にはある。


 それは、今から数か月後に訪れる進路の選択だ。

 高校三年の俺達は、進学か或いは就職か、自分の進路を決める人生の岐路に立たされているわけだ。

 そんな半世紀以上も先の、生きているのかいないのかわからない未来のことよりも、すぐに訪れる未来の心配をしなくてはならないのだ。


「と、言うわけで……。聞いているの一ノ瀬君?」

「え? いや、聞いてませんでした」


 俺の返事に担任の高坂先生は眉間に皺を寄せながら大きく溜息を吐いた。


「あなたの進路なのよ。もう少しまじめに聞いてくれないと先生悲しいなぁ」

「面目ないです」

「で、進学? それとも就職? どちらにしようと考えているの?」


 今は進路相談、と言うか。三年生に上がった時に今の所どちらを考えているのか提出しなければならなかったのだが、俺はそれをいまだに出していなかった。

 その為、放課後に個別で呼びだされて臨時の進路相談をしている真っ最中だった。


「えっと、まだ悩んでて」

「お姉さんには相談したの?」

「いや、姉ちゃんにはまだ何も言ってないです」


 そう言うと、先生は困った顔をした後に、少し悲しそうな顔をすると優しい口調で俺に言う。


「私は教師だから、一人の生徒を特別扱いすることはできないけれど。でも、やっぱりあなたのことは心配なの。ご両親が亡くなってからもう7年経つけれど、冬花とうかはずっとあなたの為にがんばってきたのを先生はよく知っているし」

「はい……」

「もし、冬花に負担をかけたくないって理由から進学を悩んでいるのなら、先生は賛同できないわ」

「いや、そういうわけではないんですけど」

「そうね。確かにそうよね……あのこは、公務員の私なんかとは違って、年収うん千万の超キャリアウーマンだものねっ! 要するに忙しくて相談できないのよね。ああ羨ましいっ!」


 言いながら一人ヒートアップし始める高坂先生。


 高坂先生と俺の姉は知り合いだ。と言うか、同じ高校の同級生であり大学も一緒だった。

 俺が10歳の時、親父とおふくろは飛行機事故でこの世を去ったのだが、それからというもの、姉はアルバイトをしながら受験勉強をして大学に合格し、俺の面倒まで見て来たのだ。

 ある程度の学費は、航空会社からの保障と生命保険で賄えたんだろうけど、姉はそのお金には一切手をつけていないらしい。


 姉は俺にとってのヒーローであると同時に守るべきヒロインでもあった。


 両親が亡くなってから、毎日のように泣いていた俺のことを慰めるどころか、ぶん殴って叱りつけてきたあの日のことは今でも忘れない。


 その日も、俺はいつまでもウジウジとして、なんだか家に帰りたくなくて日が暮れても学校の近くの公園で、ブランコに乗りながら一人しょぼくれていた。

 そんな俺のことを探し廻っていた姉は俺のことを見つけると、血相を変えながら息も絶え絶え俺に駆け寄って来た。

 葬式の時にも懸命に涙を堪えて、幼い弟は自分が面倒を見ると言って親戚の説得を聞かなかった姉が、その日は泣きながら俺をボコボコにしたのだ。


『男のくせにいつまでもグジグジしてんじゃねえっ! お父さんもお母さんも、もう帰ってこないんだ! おまえまで帰ってこないつもりかよばかっ! 姉ちゃんだって、うぐぅ、姉ちゃんを一人ぼっちにするつもりかバカぁぁぁ、あああああああん!』


 そんな姉を見て、俺も泣きだし、二人大声で泣きながら抱き合っているのを慰めてくれたのもこの高坂先生である。


「まあいいわ。お姉ちゃんと離れたくないのはわかるけど、あんたもいつまでも子供じゃないんだから。いい加減、姉離れしなさいこのシスコン」


 最早、最後の方は完全に悪口になっている先生に頭を下げると、俺は教室を出て行くのであった。


 あれ? 進路指導はどうなったの?


 釈然としないまま、俺は下校するのであった。



 夏ももう目前の季節。

 陽も長くなり、夕方18時頃になってもまだ外は明るかった。

 いつもの帰り道、自転車を走らせると数分もしない内に汗ばんでくる。梅雨入り間近なのか、ジメッとした空気にアスファルトの匂いが少し混じっているのを感じると、雨が降るのかなと思いながら、俺は家路を急ぐことにした。


 しばらくすると、左手前方に灰色の雑居ビルが見えてくる。

 俺が中学1年くらいまでは、よくわからないなにかの雑貨屋をやっているテナントや、雀荘なんかが入っていた古い5階建てのそのビルはもう廃墟になっていた。

 もう5年近くも経つのにいまだに取り壊されずに残っている為に、かなり朽ち果ててはいるものの、浮浪者や非行少年達の溜まり場になっているような雰囲気もないし。

 なによりも、常に暗くどんよりとした空気を放っているので、誰も近寄りたがらない建物であった。


 別に幽霊が出るとかそういう噂があるわけでもないのだが、俺もそのビルの雰囲気はあまり好きではないので、急いでその前を通り過ぎようと思った時に。ビルの入り口付近になにか白い影がフワっと動くのが見えた様な気がして俺は自転車を止めてしまった。


 まさか、幽霊か? 夕方とは言ってもこんな明るい時間に? いやいやまさかな。でも、この黄昏時ってのは、現世と別の世界が重なりやすい時間であり、物の怪などが現れ始める時間とも言われているとか、なんかどっかで聞いたことがある。


 そんな迷信めいたものを信じるなんて、なんだか白鷺乃音とたいして変わらないんじゃないかと思うのだが、この異様な雰囲気の廃墟を見つめているとまんざら迷信でもないのではないかとも思ってしまう。


 すると、また白い影が動くのが見えた。

 今度は間違いなくはっきりと見えた。

 ビルの廊下の奥、ゆっくりと出入り口に向かって来ているようにも見える。


 俺はなぜだかその場から逃げ出すこともできずに、じっと出入り口を見つめていたのだが、その影の正体が分かると幽霊なんかよりも驚いて声をあげてしまった。


「白鷺乃音!?」


 驚く俺の姿を無表情のまま見つめる白鷺乃音は、真っ白な長い髪を風に靡かせると特に感情も籠めずに答えた。


「あら、あなた? こんな所で会うなんて奇遇ね。なにを幽霊でも見た様な表情をしているの?」



 いや、幽霊見るよりビックリしてんだけどね。



 つづく。

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